イエスは平和ではなく、分裂をもたらすためにやってきた?

 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。

 そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。

 今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。

 父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。



 ルカによる福音書 12章51~53節



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 生命というものの起源において、命がこの世界で最初にやったことは——



●ふたつになること。



 ……であったようだ。一番最初の細胞分裂。

 最初一(いち)であったものが、まったくもって異質な領域・二(に。相対性) の世界へ飛び込んだ瞬間である。矛盾なく、すべてにおいて「ツーカー」な一 (いち)をやめて、あえて「個別」という体験をする冒険の旅に出た。

 ふたつになるということは、ちょっと嫌な言い方をすれば「分裂」であり「隔絶」 であり、「隔離」とも言える。自分という固定的視点、つまりエゴ(自我)から外界を観察して、何事も判断するしかないようになった。



 イエスの言葉は、この世界のそもそもの始まりについて、その熱い動機を解き明かしている。

「根源的存在」には、何もこの世界を作らねばならない「必要」や「義務」はなかった。何もしなくてもパーフェクトなのだが、それでも何かしたくなった。

 それは人間が、それをしなくても誰も責めないのに何かを成し遂げたくなったり、夢や目標を実現したくなったり、困っている人を見過ごしにできず助けたいと思うような感情に似ている。

 


●めっちゃ言い方を変えれば、この世界のはじめに「問題」を作ったのだ。



 TVゲームだって、何かのクリアすべき条件がまずあって成り立つ。

 スーパーマリオだったら、ピーチ姫がさらわれている、という問題がまず最初にある。で、それを救いに行くという結構な難題を背負わされることになる。

 なぜ? どうして? は意味ない。何せやるってことにすでに合意しているので、いちいち考えだしても士気が下がるだけである。この世界の課題は、「思い通りに行かない、千差万別なあらゆる状況においてでも、幸せという要素を見つけ納得というか、折り合いをつけていく」というゲームである。



 陰陽の、相対性のドラマに飛び込む時には、分かっていた。

 これが、壮大で果てしなく、決して簡単ではない旅になることを。

 始めてしまえば、もう後戻りはできない。

 分裂という、個々が独自の別視点を持つことで互いが「分かり合えない」という前提のゲーム。

 でも、それでも傷付きながら、時には心震える喜びも体験しながら、進んでいく。

 世に数多ある映画やTVドラマも、まず最初に問題設定がある。

 そして、その問題を通して「大変さ」を経験し、でも最後にはハッピーエンドというか、その落としどころをつけていくわけである。



 私は小学生の頃、子役タレントを目指したくて、誰にも黙ってオーディションの申し込みを送ったことがある。要は履歴書のようなものだが、世間を知らない私にはなかなか大変な作業になった。で、完成して郵便ポストに入れる瞬間。



 コトリ



 その封筒の角の音がした瞬間、賽は投げられた、と思った。

 ああ、本当に一歩を踏み出してしまった。

 私は、思いを馳せた。これがたまたま通ってしまったら生まれる両親への事態の説明義務。

 きっと、「そんなもんなれるのは一握りなんだから、ちゃんと学校で勉強せぇ!」 と言われることに対する覚悟と対策。自ら、面倒事を背負いこんでしまった形だ。

 でも、背負いたいから背負ったのである。



 イエスは、この世界の本質は「分裂」であると言った。

 それは、ある見方からしたら「皆エゴ視点でしかものを見れず、そこにすれ違い・分かり合えないというドラマが生じる」という、何とも寂しいものである。

 でもそこには、逆にでっかい「夢と希望と期待」があった。

 その大変な「問題を抱える旅路」において、困難でもまた情熱の懸けがいというのがある。

 どんなに長い旅になっても、必ず帰ってくるぞ——。

 まるで宇宙戦艦ヤマトみたいだが、この世で「ひとつのものがふたつになったその記念すべき瞬間」において、辛く苦しい幻想の旅路の開始が告げられるとともに、逆にそこから始まるドラマを「楽しむ」ことのできるワクワク感もまた、セットなのである。



 分離とは、「問題上等」の覚悟で、それでも求めないわけにはいかない魅力にあふれていたのだろう。

 結局のところ、イエスの言葉を「俺は、この世界を搔き乱しに来たんだぞ!」と単純に読むのは的外れで、イエスは文字通り人を仲違いさせたいのではなく、



●分裂=別れる=それぞれが違う個性を、違う人生の道を行く。



 決して画一的な、似たような道を人類が行くのではなく、その人にしか歩めない道、他人に真似のできない貴重な人生の旅路を行く者を、オレは全力でサポートするよ、ということを言っているのである。

 イエスはなんでも面白おかしく大げさに言う人だったので、人がそれぞれユニークなその人らしい人生を送ることを、他人には真似できない別の道を行くことを、それぞれの『分裂』と比喩的に表現したのである。

 ケンカを奨励しているわけではなく、人の人生の営みがドラマチックに、熱く展開していくことを奨励したのである。分裂(問題)が起きないと、何のドラマも生じないから。

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