種を蒔く人のたとえ ~つまらない宇宙の真理を知るのがイヤなら読まないでください~

【種を蒔く人のたとえ】


 種を蒔く人が種蒔きに出て行った。

①蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。

②ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。

③ほかの種はいばらの中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。

④また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。



 イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。



【このたとえの説明】



 弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。

 イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、『彼らが見ても見えず、聞いても理解できない』 ようになるためである。」

 


 このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。

①道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。

②石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。

③そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。

④良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。



 ルカによる福音書 8章4~15節(※番号は筆者が勝手に挿入)



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 このお話に関しては、内容を説明するまでもないだろう。

 読めば、だいたい意味がつかめるのではないかと思う。

 種がどういう地に落ち、どういう結末を迎えるかが語られ、それは結局この話を聞く者に 「じゃあ、あなたはどうしますか?」を突きつけてくるのだ。

 昔話でいう、「いいおじいさんと悪いおじいさん」の対比みたいなもので——

 じゃあ、誰々ちゃんはどっちになりたい? という、正論だけど「姑息な」お説教であり、大人に都合のいい誘導尋問なのである。



「個人の選択」とは言っても、結局どれがいいのか悪いのか、という評価は決まっているのだ。これは体のいい強制である。良い地に落ち、百倍の実を結ぶのがいいに決まっている。

 こんな回りくどい、いやらしい言い方をしなくても、「神様の言葉を素直に聞いて、従いましょうね。信仰を持ちましょうね」と一言言えば済む話ではないか。

 なぜ、覚者イエスは、素直に話せばすぐ済む話を「そうできない人の例」まで挙げて、ネチネチと話す必要があったのか?

 今日は、このたとえ話の一般的解釈をひっくり返してみたいと思う。



 ここで、一般に知られていないお話をひとつ。

 クリスチャンでさえ知らない人も多い話をひとつ。



●前半のたとえ話は、イエスが実際言ったと思われる。

 しかし、後半の「弟子が解釈を聞きたがり、イエスが説明するくだり」は——

 後世の人間が書いたものであり、イエスが言ったものではない。



 こういう話は、教会ではしないのね。

 教会の指導者は、神学校で学んで知っていても、あえて言わない。

 末端の信者には、「聖書は全体が聖なる書物」ってな感じにしておきたいから。

 確信犯的に、聖書批評学は避けて通る。

 つまり、後半の解説は、後のキリスト教会が、自分たちの都合のいいように解釈したものを付け足した。イエスが言ったことにしておけば、余計に説得力が増す。

 皆、神の教えに従順になる。イコール、教会に協力的になる。

 今日、この箇所を読み説く上で大事なのは、教会の信者でもないなら後半の解説には意味がない、ということである。



 じゃあ、イエスがこのたとえ話をしゃべったということしかヒントがないのなら、ここから何を読み取ればいいのか?

 もちろん、答えはひとつではない。

 私は 「解説はイエス本人の言葉ではない」 とは言ったが、これだってひとつの立派な解釈ではある。これを採用して生きるのも、もちろんいいことだ。多くのクリスチャンは、そうしているだろう。

 じゃあ、ここで筆者流の読み方を紹介してみよう。



 イエスは、種まきの結果を、いくつかのパターンで紹介している。

 道端に落ちた種。これは、人に踏まれ鳥に食べられる。

 石地の、土の薄い土地に落ちた種。これは、すぐ枯れてしまう。

 茨の中に落ちた種。茨も一緒に伸び、そっちのほうが高いので日も当たらずそれ以上伸びず。

 良い地に落ちた種。土も深く養分もたっぷり。日も十分に浴び、百倍の実を結んだ。

 イエスの話は、ここまでである。

 だから何? というお話が、直後に一切触れられていない。

 ただ、それぞれの種がそうであった、という事実的観察だけである。

 イエスはなぜ、このお話に解釈を残さなかったか。

 最初の三つは悪い例で、最後のやつを目指しましょう、と一気呵成にオチまで語らなかったのか?



 イエスが、単に4タイプの成り行きを語り、何のコメントもしなかったのには意図がある。

 自由意思はなく、ただ起こることが起こるだけだからだ。

 もし自由というものがあるなら、最後の4つ目を皆目指しましょう、という話になる。できない人は、どこか間違ってますよ。ちょっと努力や意識がたりないかもしれませんよ——

 そういう「できる人が褒められ、できない人が尻を叩かれる」世界ゲームが強化される。豊かに実を結ぶ、つまり目に見えて豊かで幸せになる事績を残せないと、ハイあなたは悪い種のどれかでしたね、ということになる。全力で頑張って生きてきていても。

 実で種が知れるという理屈で言うと、結果がすべてなのだ。

 でも、すべて決まっているなら、分類することはできてもだから他のを目指しましょう、という理屈は意味がない。バランスの取れた役割分担だからね。どの役も、誰かやらなきゃいけない。

 だからイエスは、「ただそうであるだけ。すべてはシナリオ」ということが言いたかった。



●こういう人生もあるだろう。

 ああいう結末も、あるだろう。

 どれが優れているとか、劣っているとかはない。

 どれが幸せで得で、どれが不幸で損で、という話はない。

 すべてただの脚本の違い、だけ。役の違いだけ。

 ただ、映画が上映されるように、起こることが起こる。



 だから、4つのタイプのどれもが同価値。

 決まっているのだ。決まっているから、個々の責任を問うても、無意味である。

 仮にあなたが、この聖書箇所を読んで、「僕は豊かな実を結ぶ、良い種になりたい!」と思って頑張って、うまくいったとしたら。そのことすらも、「決まっていた」ということだ。

 決まっていることに対して、評価や「どれが望ましい」ってことを言っても仕方ないでしょ。だからイエスは「人生、いろいろ」という話をしただけなのに——

 後世の人間がオチを付け加えて教訓話にしてしまったので、皆その教訓が指し示す「理想基準」に向かって必死に「自分高めごっこ」をしているというわけだ。

 イエスのこの言葉にも、注目である。



●『彼らが見ても見えず、聞いても理解できない』 ようになるためである。



 つまりは、どうなるか決まっている、ということの暗示とも取れる。 



 今日、久しぶりに紀伊国屋書店に行ってきた。

 スピリチュアル本の新刊や売れ筋コーナーを見ると、だいたいこういう文字が踊っている。



 こうすればうまくいく

 あなたの人生の流れが変わる

 成功する秘訣とは

 あなたを~にする10の方法

 引き寄せ放題! 意識をうまく使うとは?



 世は、成功哲学を求めている。

 自分が「幸せになれる方法」を、探し求めている。

 何かを見つけて何かすれば、何かを得られると思っている。

 だから、せっかく大勢が気分よく遊んでいるところへ、私のようなヤツがいらんことを言うと、そりゃまぁ水を差す、みたいな感じにもなるでしょう。

 でも、言いたいことは言いたいんだから、言わせてもらう。

 もちろん、その結果はちゃんと受け止めていく。後悔はしない覚悟である。

 どちらでもいい悪いはないが、私はこちらを選ぶシナリオだったようだ。

 


 自由意思信仰がまだ盛んで、私のような確信はまだまだ人気がないということも決まっていたとすると、この世界には徹底して問題というものはない。

 自分のエゴが喜ばない、都合の悪いことすらも(自分のせいとかでなく)決まっていたと思うから、結構落ち着いていられる。

 自由意思と責任があると考えると、その世界観の中には「失敗」と「出来不出来」が宿命的に生じる。物事がうまくいっている内は、優越感や達成感で甘美な世界に浸れるが、失敗する側に回った時、そのツケを払うことになる。

 成功本を誰かが世に出すことも決まっているし、それを読んで誰がうまくいき、誰がうまくいかないかも決まっている。そう考えたら笑えてくる。

 おっと、少々考えすぎたようだ。

 ぜーんぶ決まってるんだから、もうどーでもいーや!


 

 なるように、なるさ。

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