結局全部体験するのだから ~パラレルワールドという視点~

 今飢えている人々は、幸いである。あなたがたは満たされる。

 今泣いている人々は、幸いである。あなたがたは笑うようになる。

 しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である。あなたがたはもう慰めを受けている。今満腹している人々、あなたがたは、不幸である。あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である。あなたがたは悲しみ泣くようになる。



 ルカによる福音書 6章21~26節



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 イエスの言葉であるが、普通に読むと難解な部分である。

 飢えている人、泣いている人は幸い?

 満腹している人、笑っている人は不幸?

 普通は、逆である。

 もちろん、ここに関してクリスチャン的な解釈ももちろんある。

 ここでそれを紹介することは、今回は割愛する。

 いきなりではあるが、私なりの読み方を紹介しよう。



 パラレル・ワールド(並行現実)というものがある。

 そんなものが存在する理由は、ひとつ。

 宇宙は、すべての可能性を体験しつくそうとしている。

 すべての選択・すべてのパターンを味わいつくそうとしている。

 ワンネス(宇宙の根源)は、無数の「個」という幻想に分離することで、まずは『違い』というものを体験しようとした。

 しかし。それだけではまだ十分ではない。

 分離した「個」においても、ひとつの人生パターンだけではなく、生まれる時右足から出たか左足から出たか、から始まって無数の分岐を味わうこととした。

 私たちの頭脳にとっては想像を絶することであるが、あなたは今のあなただけではない。別次元に、少しづつ違う(人生の別の選択をした)あなたがいるのだ。



 パラレル・ワールドとは、全人類にとっての「ああいう世界」「こういう世界」という大味なものではなく、ちょっとの違いが無数に存在する、細かい世界の集合体であるのだ。

 例えて言うなら、ひとつのゲームソフトを無数の人間が、少しづつ違うプレイをしているようなものだ。一人の一回のゲームプレイでは、ソフトの中の情報も、その人が選択した結果を反映した一部分にしか光が当たらない。ソフトの中のほとんどの情報が、使われないままゲームが終わる。しかし、無数のプレイヤーがいて少しづつ違うプレイをしたら?

 理論上、トータルしてすべてのゲームデータを引き出すことは可能。



 今から、超単純化して乱暴なお話をする。

 言葉の表現の限界があることを覚悟で、言ってみる。



●あなたが幸せなら、他ワールドが不幸になる。

●あなたが不幸なら、他ワールドが幸せになる。



 もちろん、幸不幸という概念は実にいい加減で、それは視点による。

 ここでは、一般的な感覚でものを言わせていただくことを、ご了承願いたい。



 劇の役を決める時——

 もしあなたがAという役になったら、BやCにはもうならない。

 あなた以外の者は、A以外の役になる必要がある。

 この当たり前の理屈が、パラレル・ワールドでのあなたにも起こる。

 あなたが幸せな役をすれば、他に違うものを押し付ける。

 逆にあなたが今生で不幸であれば、別ワールドが幸せになる。



 イエスは、「今飢えている人は、満たされるようになる」と言った。

 この次元しかないと思っている人は、同じひとつの人生で考えるから——

「そうか! 今飢えていても、今悲しくても、いつか将来良くなるんだな! 待ち遠しいなぁ」

 そう希望を持つための言葉、として捉えるだろう。もちろん、そういう読み方もいい。しかし、パラレル・ワールドを前提とすればこうも読めるのである。



●この人生では飢えていても、別ワールドでは満たされているよ。

 この人生では満たされ笑っていても、別ワールドでは不幸になっているよ。

 結局、最後にそれが全部宇宙に吸収されるんだから、大差ないよ。



 結局、並行現実を使ってでも、宇宙はすべてを味わおうとしているのだ。

 人間のエゴや、善悪の超越を受け入れられない魂は、多分この記事に拒否反応を起こすはずだ。(笑)

 冷たいと思うか? ゆるせない、と思うか?

 幸せだけを宇宙に創造するべきだった、と神(創造主)に対して苦情を言うか?

 本当に申し訳ないが、我々とあちらでは認識が違うのだ。

 あちらに善悪はない。可哀想も理不尽も何もない。

 ただ、すべてを平等に味わいつくそう、という透徹した意思があるだけだ。



 お弁当のオカズ、あなたは好きなものから食べますか?

 それとも、キライなものから食べますか?

 好きなものから食べたら、あなたは残りを頑張らないといけない。キライなものは先に食べてしまって、最後に好きなものを残せば、至福の時が待っている。

 同じ完食しなければいけないのなら、完食にたどりつくまでの順番の違いだけだ。

 結局は、全部食べるのである。あとは、順番の違いだけだ。



 このことが分からないから、皆しゃかりきに「いい人生」を目指す。

 そのためには、なりふり構わない卑怯な行動に出ることもあるほどだ。

 それは、人生が自分が体験しているその一回しかなく、他の選択肢を選んでいたらどうなっていたかは、もう分かることはないと信じ込んでいるからだ。



●どうせいつかは、全部やるのである。



 あなたは、全人類をやる。過去現在未来、すべての人の役を味わうことになる。

 永遠という、ヒマつぶしをどんなにしても余り過ぎる時間の中で、無限の個性パターンの中の「超マニアックな役」を、あなたは今やっているのである。

 要するに、順番の問題。

 あなたはAKBも、アメリカの大統領も、マツコ・デラックスもやる。永遠という時間の中で。(あちらでは時間ではなく、すべてが一点における「同時」だが)

 それが、ワンネスである。永遠に味わわない「まったく他人の人生」などない。

 全部やるのだから、あとは順番だけ。

 今、「今同時期に生きている人を死後やれるなんて、時間の整合性が合わなくない?」 と思った人がいるかもしれない。でも、究極には整合性のある連続した時間の流れなどない。全ての時間(瞬間)が同時に存在しているのが、本当である。過去も現在も未来も、「今」起こっている。過去のことでさえまだ起こっていない今もあれば、将来のことなのにもう起こっている今もある。



 イエスは、「今苦しんだり悲しんだりしていても、負けなさんなよ。希望を持ちなさいよ。いつか必ず、喜びや幸せも来るから」という励ましに読まれてしまう可能性ももちろん分かっていた。いや、むしろそのほうが (イエスに耳を傾ける者に希望を与えるということが) 第一の狙いだったかもしれない。

 しかし、「耳のある者は聞くがよい。」とイエスが言っているように——

 パラレル・ワールドのメッセージとして受け取ることも可なのだ。



●今辛い人生でも、別ワールドでちゃんといい体験は回収しているから。

 統合されたら、全部分かるからね。良かったね。

 今喜んでいる人。いい人生だったなと思っている人。

 ごめんね。あなたの本体(魂)は、もっと永遠に続くんだよな。

 あなたが味わわなかった辛い方のパターンも次分かることになるけど、ゴメンね。

 だって、宇宙ってそういうものだから——



 結果辛い人生でも、別次元のあなたは違うものをやっているよ。

 そして、その別次元の「あなた」も、あなたなんですよ。

 いつか、無数のパラレルのあなたが統合されますよ。

 そうなったら、皆同じ。これまでたどった順番が違うだけで、結局全部知るんですよ。(ここで「知る」とは、ああそういう感じだったのねと情報をもらって分かる、と言う程度のことではない。まさに一分一秒もらさず、その人生を正味生きることを指す。)

 弁当を完食するのに、何を先に食べたかという順番がちがうだけ。

 完食したら(ワンネスに統合されたら)、な~んも違いがない。

 これをこそ、本当の「平等」という。

 だから、幻想を切り取った今には、平等はない。探せない。



 今回の記事は受け止め方によっては、何の励ましにもならない拒否したいメッセージかもしれない。

 この二元性世界は、この世界の創造主が確信犯的に仕掛けた壮大な「演劇」で、すべてのキャストが、役をとっかえひっかえしてすべての人が全部の役を体験するまで終わらない(多分、ずっと終わらないな……) 。

 劇の監督はマニアすぎる人で、ひとつの役の中でも微妙に言い回しや行動を変えたりして、あらゆる角度から表現した「その役」までさせようとしているから、いつまでたっても終わらない。



 何度も言うが、いい悪いではない。

 あなたがどんな感想を持とうが、それはそれ。

 宇宙とは、そうしたものだ。

 冷たいのではない。残忍で冷酷なのでもない。

 ただ、すべてのパターンを消化しようとしているだけ。悪気は一切ない。

 宇宙では、起こることが起こっているだけ。

 もちろん、自由意思で作りあげていっているように見える。

 確かに自由に選べはするが、パラレルを使って選ばなかったほうの体験まで回収し、結果統合されることを考えたら、自由意思などあっても結局同じ。

 


 自由意識とは、究極の意味において存在しない。

 このゲーム世界の中でだけ、ある(ように見える)。

 しかし、私たちはゲーム世界に、それを認識する能力に特化してわざわざやってきたので、この世界で生きる限りは「自由意思はある」でいい。

 選択できる、でいい。

 郷に入らば郷に従え。この次元で遊ぶ限りは、自由はあるとして本気マジで味わえ。

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