イエス、批判者の質問に答えない ~お前が分からないと言うなら、私も分からないと言おう~
イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、言った。
「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」イエスは言われた。
「では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。
そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。
『ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。』答えなさい。」
彼らは論じ合った。
『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。しかし、『人からのものだ』と言えば……。
彼らは群衆が怖かった。皆が、ヨハネは本当に預言者だと思っていたからである。
そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。
すると、イエスは言われた。
それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。
(新約聖書 マルコによる福音書11章27~33節)
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この場面は、イエスが十字架で処刑されてしまう少し前の日の事件である。
時の宗教権力者たちは、権力や慣例や常識に頭を下げず、言いたい放題言うイエスが邪魔だった。
ただの口の悪いだけの男なら放っておけば良かったが、大衆に人気と影響力もあったので、放っておけなかった。できれば、ちょっとした失言の揚げ足を取って口実にし、すぐにでも逮捕したかった。
だからこの日も、イエスを質問攻めにし、少しでも失言あらばとっつかまえよう、と論客が迫った。
この、イエスと権力側の宗教指導者のやり取りは、興味深い。
最終的に、イエスは相手の質問には答えていない。
でも、これは意地悪で答えていないのではない。
●要するに、波動の問題である。
イエスは、最終的に自分が十字架で処刑されることも厭わず——
逆に、自分をそのような目に遭わせた者をゆるすほどの男だ。
そのイエスが、命惜しさに返答しないなど、あり得ない。
じゃあこの場合、返答しなかったのは何が問題だったのか?
イエスにはこの時、命を懸けて誤魔化さず質問に答える用意が、実はあった。
●つまり、イエスの側は命がけかつ真剣な、高い波動だった。
その波動に見合った姿勢を聞いた方が示せば、イエスはそれを良しとして、自分がどうなるかなど関係なく、正直な返答をしただろう。
しかし。実際にイエスに質問した側の、ユダヤ教の宗教指導者側はどうだったか。
●こう言ってこう言われたらどうしよう、などと自分の保身をまず考える、低い波動だった。
イエスが、全身全霊を懸けた 「魂の問い」 を発しているのに対し、ひるんだのだ。相手がすべてをかけているのだから、こちら側も呼応して同じ決心で望むのが礼儀。彼らの意識状態は、イエスの命がけの返答を受けるにふさわしくなかったのだ。
ちなみに、「ヨハネの洗礼」 とは何か。
ヨハネというのは、当時イエスと並び人気のあった。聖者である。
当時の悪王がしたよくないことを、正直に「よくない」と進言したので、それで王に腹を立てられた結果首をはねられ、イエスより先に命を落としていた。
もし、そのヨハネの洗礼を「天のものだ」と答えたら——
その「天のもの」を与えるヨハネを殺した権力側は、自分たちが「間違っていた」と認めることになる。
だからと言って、「人からのもの」と答えればどうなるか?
周囲にいる群衆は、亡くなりはしても皆ヨハネが大好きで、今でも心から尊敬している。その群衆たちの前で「ヨハネは天からの聖者などではない。ただの人だ」という意味合いの返答をすれば——
今度は、自分たちの命が危うくなる。暴動が起こる可能性は高い。
つまり、どちらに答えても、大変な事態が待っている。
イエスは、相手に命のかかった質問をしたのだ。
だって、こちらも相手から、答えようによっては命に係わる質問をされているのだ。相手が、見事それに答える本気を見せたら、こちらもそれに答えよう——。
イエスは、そこまでの覚悟だった。
でも悲しいかな、相手は小物であった。
結局、命惜しさに相手は「逃げた」 。
イエスは、その低い波動に相手をする必要を感じなかった。
波動が合わなかったのだ。
イエスは、相手の返答を聞いた瞬間から、もう相手への関心を失った。
波動の合わない者同士は、同じ世界に長くはいられないのだ。
今日の教訓。
●何かが欲しいなら、その価値に見合うだけのものを提供せよ。
あえて、ここを別に言い方にすると、『波動が合うものしか、引き寄せられない』 ということになる。
ここで、イエスの命がけの答えが欲しければ、問う側も同じ姿勢を示さねばならない。でないと、同波動にならないから。釣り合わないのだ。
ここで、相手にも同じ波動(覚悟)を要求するのは、ケチだからでもなく、要求がましいのでもない。
無条件に与える愛を持つイエスなら、相手がどんなにいい加減なやつだろうが、問いには無償で答えてやればいいのでは? そう思う人もいるかもしれない。
しかし、ここでそれをしたら相手のためにならないから、イエスは答えを控えた。
話がそれるのでここでは詳しく述べないが、分かりやすく言うと 「価値ある高額の品を、お金も払わず盗んだ」 ようなことになるので、その人はかえってひどいことになる。多大なツケを払わなくてはいけないことが目に見えていたので、イエスは優しさから答えを控えたのだ。
だから、先ほどの教訓の言葉——
『何かが欲しいなら、その価値に見合うだけのものを提供せよ』
は、言い換えると——
●何かが欲しいなら、それと同じ波動になれ。
人から何かを得たいなら。また、「その人自身」を得たいなら——
その人が発するのと同じ波動になれ。
相手の覚悟と同レベルの覚悟をもて。
賢者から知恵を学びたければ、賢者が納得する「求める姿勢」と「誠実さ」を見せること。
同じ波動になる、ってどうやってやるんですかぁ?
そんなバカな質問、やめてくださいね。
皆さん、「人間」ですよね?
ということは、皆様 「形を変えた神であり、正体を隠した神」です。
ちゃんと、魂で考える力をお持ちです。
一から十まで他者に聞くことで、逆に損をしていることをご自覚ですか?
自分の神である権威を、それだけ切り売りしているようなことです。
だから、本当に有効な質問とは「魂の問い」です。
それには、きっとあのイエスも、真剣に答えてくれるはずです。
本当に得たいものがあるなら。
本当に、心通じ合いたい相手が要るなら——
思考で方法など考えずとも、あなたの魂がすでに答えを知ってますよ。
あとは、あなたが知っていることを「認める」だけです。
知っているはずなのに、真面目に 「知らないふり」 ができるのは、「恐怖」というものが成せる業です。
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