ユダ、イエスへの裏切りを企てる① ~愛と憎しみとの関係~

 そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」 と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。

 そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。



 マタイによる福音書 26章14~16節



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 ユダという弟子が、イエスを敵に売り渡す時の描写である。

 ポイントは、3つ。



 ①幾らくれますか、であって「幾ら欲しい」とは言っていない。

 ②提示された額に対して、値段交渉していない。

 ③我慢したのではない証拠に、ユダは「張りきっている」。



 ①に関して。

 普通の商売では、あり得ない。お店やデパートに行って、値札に「いくらくれますか?」と書いてあったら、ちょっと教えてほしい。

 どこぞに、有名人が「客が料理の値段を決めれるレストラン」というのを開いたというニュースがあった時に、「えらい!」と称賛する人々は少なくなかったが、私はさして意味がないと思う。金持ちの自己満足である。

 世のほとんどの人が、気持ちがあってもそうできない状況の中で、余裕のある人間がそんなことをしても、社会は変わらない。


 

 もし、世の中を変えたい、という意図でやってるなら大間違い。

「自分がやりたいだけです。ただの自己満足です」と認められるなら、問題ない。

 ちょっとでも、社会のためとかほざくなら、偽善者である。

 余裕のある中でやる、一見自己犠牲的な奉仕は、世界を変える力に欠ける。



 ある程度、自分が安全な富をキープしておいて残りでやる「世界を変える活動」はウソ。世界を変えたいなら、全部投げ打ちなさい。イエスも言ったように。

 イエスはそうした。過去、覚者と言われる人々は富を持とうとしなかった。

 かくして、彼らは世界を変えた。

(注:政治や経済・科学などの分野で世界を変えるのに、この縛りは要らない。ただ世界の根本システムそのものや価値観、目に見えない精神文明を変えるためには、ということである。あと、悪い方向に変えるのにも必要ない)

 だからまぁ、オカネの欲しい私は、本当の意味では世界を変えられない、ということだな!


 

 おっと、話が逸れかけた。

 要するに、ユダは「儲けようと思っていない」。

 そのことは何を意味するかというと、ユダは「イエスを相当憎んでいる」ということである。

 商品を大事に思う商売人なら、その商品の価値を正しく、精一杯見積もって、できるだけ高く売ろうとする。

 ユダがさしてイエスを憎んでおらず、ただのカネ欲しさなら——

「イエスを2憶なら売る。それ以下なら話にならんから帰れ」 くらい高飛車に出てもいい。

 それをユダは、吹っ掛けるどころか、相手に値段を決める権利を与えている。

 もちろん、自分が言おうとしていた額以上を相手が言えば、それはたなぼたなので、「おお、それで手を打とう」と何食わぬ顔で言える。でも、この場合はそういう「駆け引き」の意味で相手に値段を決めさせたのではないようだ。それは、ユダが「銀貨30枚」で納得したことから分かる。



 金貨、ですらないんだよ?

 銀! 森永チョコボールだって、金なら1枚・銀なら5枚なんだよ?

 歴史上数本の指に入ると思われる偉大な人物の値段が、それよ?

 ちなみに銀の現在の価格で換算したら、7千円ほど。

 イエスの生きた時代での計算をすると、銀貨1枚は労働者がまる3日働いた賃金に相当し、それが30枚なので90日分。日本の基準で、時給を千円とした場合の計算は、総額100万円ちょい。

 たとえ100万円だとしてもよ?

 きょうび、誘拐犯が金持ちの子ども誘拐しても、身代金は憶をくだらないよ?

 割に合わないよね。誘拐どころか人を騙して、殺意ある人物に渡すという大それたリスクを背負う行為の報酬が、百万円ぽっち……

 イエスなら、国家予算級(兆)が支払われてもおかしくない。



 ②について。

 イエスを買い取る祭司側は、銀貨30枚を提示する。

 ユダは、「納得いかん!もっと出せ!」とも言わないで交渉が成立している。

 これは、売り手と買い手との間にある、共通の価値観が原因だ。



●両者とも、イエスを憎んでいる。



 買う側は、しょぼくれた本来の価値に見合わない額を提示することで、「イエスがいかに価値のない人間か」を強調しようとしている。イエスはクズだ、という祭司長側の考えを表明した値段なのである。

 これは頭がいいやり方だ。それで「それは安い」という弟子なら危ない。その値段でも「ようがす」と言えるほどイエスを憎んでいないと、手を組む相手としては適切ではない。ユダのほうも、値段を聞いてがっかりするどころか、逆にほくそ笑んだに違いない。



「おお、そう来ましたか! あなたも話が分かる。

 あなたと私は、どうも似た者同士らしいですね、同志」



 そんな思いで、ユダはカネを受け取っただろう。

 でも皮肉なことに、ユダは完全に祭司長と同じではなかったのである。

 実際に売り渡した後で、ユダは自殺をする。



 ③について。

 たとえば、皆さんは小さい頃に経験ありませんか?

 お使いとかで「お駄賃」を先にもらってしまうと、意欲が低下するというか。

 もらうもんもらっちゃったので、あと仕事だけが残るとおっくうというか……

 オカネだけもらって、何もしないわけにはいかないかな? なんて考えちゃう。

 まして、その金額が本来の価値に見合わない場合。安く雇われた、と思う場合。

 余計に、仕事に嫌さ加減が加わりませんかね?

 ユダの場合、そういうことは全然ないようだ。

「そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。」

 良い機会を狙っていた、ですよ? やる気満々じゃありませんか。(笑)

 実に誠実な仕事をしていらっしゃる。中島誠之助も 「いい仕事してますね~」 と褒めそうだ。

 要するに、カネの問題じゃないのね。

 損得じゃないのよね。



●イエスを貶め、価値を下げることが一番の目的



 ……なのだから。



 ここで、ちょっと考えてみたい。

 損得を超えさせるものが、世の中には二つある、ということである。



●ひとつめは、愛。(正のエネルギー)

●ふたつ目は、憎悪、(負のエネルギー)



 どちらも共通しているのは、損得を超えて行動できるということである。

 人を愛してしまったら、損とか得とかいうことを超えて、例え自分に不利益や面倒がかぶることでも、踏みだしてしまえる。それは時として強さであり、時として弱さであり、時として悲劇を生む。

 人を憎んだら、多少自分が不利益や面倒を被るとしても、相手を痛い目に遭わせられるのなら本望なのだ。時として、痛めつけるどころか死さえ願う場合もある。

 


 しかし、ここが地球人間ゲームの面白いところなのだが——



●愛と憎しみは、正反対ではない。

 遠くかけ離れているどころか、ご近所さんである。

 互いは、容易に行き来可能である。



 皆さんのイメージでは、「直線」だろう。

 一本、直線を引いてみるといい。その左端に「愛」と書き、その右端に「憎悪」と書いてみる。その端と端の間分の、距離の隔たりがそこにあると、考えるのが一般的。正反対なもの、という感覚。

 でも、その直線が、曲げることの可能な「ひも」だと考えてみよう。

 端と端をつなげばアラ不思議、きれいな「マル(円)」が出来上がるじゃありませんか! すると、どうなる? 先ほどの端と端は?

 くっついて、ほぼ同一になった。



 愛も憎しみも、質的には同一である。

 ただ、二元性という変化の世界、正反対とのもの同士のペアで成立するように見えるこの世界では、その同質なものが現れ方によって、愛と憎しみというまったく反対な別物として観察される。

 愛と憎しみは、兄弟と言ってもいい、近しい間柄にある。

 変に聞こえるかもしれないが、そこに希望がある。



●考え方を変えると——

 憎しみを愛に変えるのは、きっかっけさえあれば不可能ではない、ということ。

 いや、それほど難しくはないということ。



 だって、ふたつは正反対どころかご近所さんであり兄弟であり、同じコインの裏表なんだから。

 先ほども言ったように、皆さんは絶対に曲がらない直線の端と端で位置付けて考えるので、憎しみが簡単に愛に変わるなどありえない、と言うかもしれない。そのような考え方なら、そうだろう。

 しかし、柔軟に円環で考えた場合。両極は円周上の同一の点となり、相通じる。

 ユダが後に後悔できたのは、愛の裏表としての憎しみだったからだ。

 祭司長たちが、ユダと違ってイエス処刑の後もフツーなのは、単に「損得」だけで割り切っていたから。



 篠原千絵という漫画家の作品で、『海の闇・月の影』という少女マンガがある。

 怪奇物・ミステリー物に分類される。

 ある日、古代遺跡に迷い込んだ双子の姉妹、流水(ルミ)と流風(ルカ)。

 そこにあったウィルスに感染し、双子に超能力が発動。

 流水はそれを悪用し、世界を征服する悪の側に。

 流風は、それを阻止する善側になり、戦う。

 長い話なのだが、流風のこのセリフが、この作品のコンセプトを言い表している。

「私たちは、世界にたったふたりの……姉妹なんだから」

 戦っても、憎んでも、憎み切れない。それが、良きにつけ悪しきにつけ「絆」というものなのだ。



 挑戦者よ、大丈夫。

 やってみなさい。

 今こそ、憎しみを愛に変えてみせよ。

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