地でつなぐことは天でも ~あなたはいたるところにいる~
はっきり言っておく。
あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、
あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。
【マタイによる福音書 18章18節】
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朝食をとりながらラジオを聴いてると、ZARDの歌が流れてきた。
この方の歌は、ひと時本当によく耳にしたし、それで元気も出たものだ。
聴きながら、「この方亡くなられたんだよな……」 と思いだした。
生きていればどんな活躍をしていただろうか、というのは今となっては考えても詮無い話。
いつぞやはありがとうございます! という感謝と共に最後まで聴いたのだった。
当たり前のことだけど、坂井泉水さんはもういない。
でも彼女の歌は、まるで歌い手が生きているかのように流れ続けている。
至る所で、今日も彼女の声を、少なくない人が耳にする——。
私も、過去に二度本を出したが、様々な反応をじかにいただいたものだ。
でも、それだけではないのだろう。きっと、直接私の知らないところで、私の本で元気を得た人、気付きがあった人、感謝してくれる人、はたまた今のその人には受け入れがたい内容が書いてあって、腹を立てたりする人もいただろう。
今日取り上げたイエスの言葉。
「地上でつなぐこと」とは何か。
ZARDなら、世界に向けて歌を送り続けたこと。私だと、あなたが読んでくださっている私の投稿文章や本を通しての発信。
「天でも繋がれる」 の天とは?
地が自分の足が踏みしめている「自分の把握している世界」だとするなら、「天」 は自分が知り得ない、会ったこともないような他人の世界。そこで他人が自分をどう受け止めたかによって、色々な現象が起こる。その現象こそが、「地のことが天でもつながれる」 ということ。
孫悟空が毛を抜いてフッと吹いたら、無数の分身ができる。
それと同じで、あなたがこの世界で行うこと、話すことはいくつものあなた自身の分身となって、外の世界に影響を与える。無数のあなたの分身が、あなたが接する人、あなたを知る人のところに飛び込む。
そこから先は、他人の領域。どう受け止め、どう反応するかはその他人次第。
有名人のように何万人に分身が行くレベルでなくても、一般の人でもある程度の人数に分身は飛ぶ。身内や知り合いだけでなく、旅行先や買い物先での振る舞いなどでも、たまたま同じ空間にいた人が色々な感想を持つこともある。それだって、ひとつの「発信」である。
ルーシーという映画の中で、100%覚醒したルーシーは「私はいたるところにいる」と言った。
それぞれが世に向かって発する「他人が認識し、何らかの評価を下すことができる言動のすべて」も自分なのだとすれば、たとえルーシーの境地までいかずとも 「人(あなた)は、実はいたるとこにいる」 とも言えるのかもしれない。
私も、本が散らばった日本のいたるところにいるのだろう。WEB上の情報は世界中どこからでも見れるのだから、めっちゃ意外な場所から私の投稿小説やブログを見てくれる人もいるのかもしれない。
そして、私の知らないところで私の言ったこと、書いたことがお役に立ったかもしれない。
イエスは、こうも言っている。
●二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるの である。
【マタイによる福音書 18章20節】
二人または三人、という部分はなくていい。
ひとりでもいい。
誰かがあなたのことを思ったり、感謝したり、あるいは憎んだり——
とにかく意識するなら、そこにはあなたの分身=あなた自身がいるのだ。
これは、キリストだから、神だから人が呼び求めば助けにやってきてくれる、という信仰的お話ではない。マグマ大使のように、三回笛を吹けばやってきますよ!というような話でもない。
人が、誰かを意識するなら、その人はそこにいるのだ、ということ。
それが、たとえ「故人」でも。
我々のもつ時間という概念を超えるのだ。
だから、ZARDは今の時代にも「いる」のだ。
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