神と富とに仕えることはできない PART 3 ~お金のない世界~

 あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。 



 マタイによる福音書 6章24節



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 スピリチュアルの世界では、たまに論じられる「お金のない世界」。

 だいたい主流な意見は、本来は貨幣制度など要らない、という話で一致しているようだ。まぁ、確かにイメージ的には分かりやすいし、納得しやすい。



 この世のたいがいのゴタゴタは、お金が絡んでいる。

 明日からお金がなくなったら、それらが消しゴムで消すように消えるイメージをもつかもしれない。それは、心からおもりが取れたかのような軽やかさであろう。

 損得をめぐるケンカも、他人を蹴落とす過当な競争も起きなさそうな感じはする。



 私も、オカネがない世界がよい、という事実そのものに異論はない。

 でも、例えば一週間後や極端には明日、いきなり「お金のない世界」にシフトしたら、それはいいことかというとそうでもない。

 もちろん、現実的な制度やシステムの切り替えの整備が要り、段階的でないと混乱する。ただ、そういう問題ばかりでもない。目に見えない、精神世界の問題がある。



 小学生が、いきなり「ハイ、皆さんは来週からここではなく高校へ行くことになりました」と言われる。指定された制服着るがブカブカで、もちろん授業内容について行けずチンプンカンプンな上に、学校生活でも問題続出 (正味の高校生ですら起こすのに)。そんな感じになる。



 お金がない世界は確かに理想である。

 しかし、それはいきなり望んで手に入れられるものではない。

 現実的に勝ち取るその前に、それを扱えるだけの器が人間側にないとまずい。

 次に述べる言葉は、的を射ている。



「お金のある世界でダメな人は、お金がない世界に行ってもダメ」



 世間的によくある勘違いが、これ。

「今の自分がダメなのは、世界がこんなだからだ。(オカネを稼がないといけない競争社会のせいで、自分の価値が理解されない。機会を与えられない)」

 さぁ、お金のない世界が来た、イコール楽して生きられるぞ!

 そこまでずうずうしくなくても、しゃかりきに仕事しなくても食うに困らなくなる、と考える。

 つまりは、お金のない世界に対する、甘いあこがれがあるのだ。甘えと言ってもいい。だから「お金がない世界」というものの本質を考えるに至らず、イメージ的なもので、安易に「いい話じゃないか」となる。

 私が指摘したいのは、「お金のない世界があなたを幸せにしてくれる」という壮大な勘違い。



「オカネがない世界になれば、私は幸せになれるのに」

(今幸せではない→オカネのない世界が、私に幸せをもたらしてくれる)



 これが、バツ。

 そうではなく、あなたが、ひいては皆(人類)が成長し、幸せを勝ち取った結果として、自然にお金のない世界が到来を告げる。あくまでも、結果論としての副産物であって、しゃかりきに「お金のない世界」を目指すのはやり方として利口ではない。

 自然にしていて、いつか到達することになるのが「そこ」なのだから、殊更に「世からお金をなくそう」 とする方向でピンポイントに努力しなくても、皆がちゃんと人間演じてりゃ着くから。ゆえに、スピリチュアルで「お金のない世界」を喧伝しあおるのは要らないと思う。



 ハンバーガー屋で、注文前に店員が「季節限定の~などありますが、いかがでしょうか?」と聞いてくる。あれ、デカデカと掲示してるんだったら見りゃ分かるから、「欲しかったらちゃんとこっちから言うわい!」と思ったことはないだろうか。

 スピリチュアルの、お金のない世界のいかに素敵で目指すべきかなんて理屈、皆どこかで分かっている。大きなお世話だ。でも現実問題があるから、そうもいかないだけ。



 現実など問題じゃない。できないなどという疑いを手放し、一定数の人間の意識が「できる」に変化すれば(マスクリティカル)、明日にでも一週間後にでも世界は変わる、とスピリチュアルは論じてきた。ニール・ドナルド・ウォルシュの書いた「神との対話」という本にもにもそう書いてある。



 あれからどれくらい経ったのだろう……

 沈む夕日をいくつ数えたろう



『乾杯』 の歌ではないが、世界的ベストセラーになった本がそのように言って、それを億単位の人が読んだはずなのだ。その読者の中の一定数がもし本気だったら、少しくらい何か変わっていてもいいはずである。

 私が、ニール・ドナルド・ウォルシュのその本に触れてから、ゆうに10年はたつはず。私も、その本を読んだ当時感動に震え、本当に意識に革命を起こして世界を変えようとした一人である。

 でも、現状から導きだせるのは、次の三つの可能性である。



 ①スピリチュアル側の理屈は合っている。ただ、人間側が責任を果たしてないだけの現状。

 ②スピリチュアル側の理屈が間違っているので、ちゃんと一定数以上の人々の意識は変化しているのに、全体として世界がよくなったように観察されない。

 ③スピの理論も間違っている上に、人間側もテキトー。その場限りや三日坊主。



 ③ではないことを願う。一番情けないから。

 私は個人的に②だと思うが、あなたがあくまでも「意識が変わればできないことはない派」だったりする場合、①だと話を合わせてあげよう。あくまでも、スピの理屈は間違ってないと。

 だったら逆に、スピ実践者側(その情報に触れた人々)の怠慢が問われる。

 10数年も本気になれへんかったん? 

 結局、意識が世界を変えれてへんやん……


 

 アメリカ大統領選も、トランプというお寂しいことになっている。

 アメリカ大統領って、世界の顔ですぜ? 何をどうやったら、アメリカにいる人間の中で頂点とも言える立場にこの人を置くことになるのか、蚊帳の外の日本人にはさっぱり分からない。

 引き寄せの専門家や指導者にお願いしたいのだが、ご自身の幸せや財産やセミナーの集客数、有名人の絶賛などを引き寄せるのはよろしゅうございますが、片手間でもいいから「世界平和」を引き寄せていただきたいものだ。

 そういうのって、もしかしてムリ?



 しめくくりとして。

 お金のない世界を「いいなぁ」ってなんとなくイメージして、来たらいいなぁなんて夢想しているうちは、永遠に来ない。たとえ来ても、あなたはその世界でやはりダメなまま。

 周囲の環境が、お金のある世界からお金のない世界に変化したところで、あなた自身の内面が何も変わっていなければ、やはり望んだような良い変化は起きにくい、ということ。

 外の何かが、あなたに何かをしてくれる(あなたを変えてくれる)という姿勢こそが、まだまだ青いのだ。

 お金がない世界がちゃんと来る前に踏まないといけない手順が多いので、簡単に心で願ってすぐ来る世界ではないことは確かだ。この世界は、もっと複雑で大きな力学に呑まれているので、スピリチュアルが言うように単に一定人数の意識が変わればよい、というわけにはいかない。

 まぁ、そもそもがすべて「検証してきちんと証明できない話」なわけで、何を言っても井戸端会議の域を抜けないのだけどね。



 お金がない世界はいいなぁ、幸せになれそうやなぁ、って言う前に、やることいっぱいあるやろ!? お金ない世界のメッセージを見るたびに、そう思う。

 では最後に、イエスの言葉を今回の内容に合うように解釈してみよう。



●あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。

●あなたはふたつのものに同時に属することはできない

●あなたは相反するふたつの属性を同時に発揮することはできない

●あり得ること

 ・お金のある世界でしっかり生きている人 → 当然お金のない世界でも

 ・お金のある世界で生き方がダメダメ    → 当然お金のない世界でも

●あり得ないこと

 ・お金のある世界でしっかり生きている人 → お金のない世界になって崩れた

 ・お金のある世界で生き方がダメダメ    → お金のない世界になって幸せに

●結論


 今生きていて世界に不満があり、「お金のない世界にならないかなぁ~」なんて期待する人は、たとえ本当にそうなっても幸せになんかなれないから、あきらめろ。

 逆に今、この世界に生きている中で幸せを感じ、満ち足りるすべを知っているなら、お金のない世界が来ても来なくても、そんなことはあなたにさほど大きな影響は与えない。夢のない話で残念ですけど!

 

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