神と富とに仕えることはできない PART 2 ~これは「富とカネ」の間違い~
だれも、二人の主人に仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。
マタイによる福音書 6章24節
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前回扱ったが、重要なテーマにつき角度を変えてもう一度話題にする。
結論から言うと、これは本当のイエスの言葉ではない。
ふたつのケースが考えられる。
①イエス本人とは関係なく、福音書の著者の意図によるもの。
②イエスがこれに似た言葉を言いはしたが、伝言ゲームのように歪んで後世に伝わってしまった。
四つあるどの福音書も、イエスを見たいように見、好きに解釈している。
(ただ、そうであってもまだマルコ福音書が等身大のイエスに近い)
信じている側は研究しようともしないが(牧師などは神学を勉強して知っていても、都合の悪いことは信者には言わない)、福音書本文の中にはかなりの程度、福音書記者自身の思いや意図によって、「イエスに言葉を言わせ、さもイエスが言ったことであるようにしている」部分が存在する。
筆者は、ここの聖句もそうやって生まれた言葉なのではないかと思う。だって——
●神と富に兼ね仕えることは、可能だもん!
それが、本当である。
だから、偉大なマスター・イエスがそんな的外れなセリフを口にするはずがないのだ。だからこそ、これはイエス自身の言葉ではなく、福音書記者の経験から言いたかったことなのか、それともイエスの本当の言葉が伝言ゲームの失敗のように歪んだか、どちらかの可能性があると言えるのである。
昔は録音機もコピー機もないどころか、文字の読み書きすらたいていの人ができなかった。
だから、『口伝』……つまり口伝えでしか伝達されなかった情報がほとんど。
子どもに情報を教えてくれたじいさんばあさんが死んでしまったら、もう検証のしようがない。たとえそのじいさんばあさんに聞いても、「わしらだってじいさんばあさんに聞いたんじゃ」と言われて終わりである。
元をたどって最初の原形はどんな話だったのか、タイムマシンでもない限り再現のしようがない。
私個人としては、②の可能性——
イエスはこれに近い言葉を言ったが、歪んで伝わってしまった。これだと思う。
じゃあ、ちょっと聖書本文のイエスの言葉を修復してみよう。
これなら、筋が通る。
●あなたがたは、カネと神とに仕えることはできない。
お気づきになっただろうが、私は「富」という部分を「金」と言い換えた。
富、という言葉はここではふさわしくないからだ。
言葉とは、便利な反面、場合によっては不便なツールでもある。
「富」という言葉を聞いても、連想するものも解釈もそれぞれで違ったりする。
人によっては、「富=金」と実に単純に考えて——
「そうか! 神に仕え、魂の向上を目指すことと、お金持ちになることは両立しないんだ!」
そう考えて、お金を邪魔もの扱いしだす。お金をたくさん得ることに、罪悪感を抱く。自分に対してそうなので、巨万の富を得る人物に対して同じように見る。
未信者(キリスト教を信じてない人。異教徒)ならまだいいが、これが同じ信者だったら……心中穏やかでないはず。
【補足①】
最近のキリスト教の状況としては、少し変わってきている。世界一の信者数を誇り、ギネスブックにも載っている韓国のヨイド純福音協会・またアメリカで最も勢いがあると言われており、その著書もベストセラーとなっているジョエル・オスティーン牧師などに代表されるような 「経済的に豊かになることも神の祝福である」として、問題がないどころかむしろ奨励されるような雰囲気がキリスト教の主流となりつつある。
ここで、「富」という言葉をしっかり定義したい。
●魂が豊かであること。
●豊かである、という意識状態。
私たちは、目に見えてカネやモノが豊富にある状態を「富」と言ってしまいやすい。しかし本来「富んでいる」とは、意識状態の方がより根本であり、そこから外的な「豊かな状況」が時間差で遅れて創造されるので、目に見える富はいわば「ただの、意識状態の反映」。
つまり、豊かな意識が生み出した副産物「おまけ」であり、悲しいことに私たちは意識のほうよりもおまけである「物質」のほうにフォーカスしてしまう。
自分の意識を変えることよりも、「どうやったら稼げるの?」というノウハウばかりを追いかけてしまう。
人は、「人間の皮をかぶった神」である。
だから、本来的には豊かであって何らおかしくない。
しかし、あえて冒険ゲームに身を投じた 「神」は、自分の正体にまつわる記憶を消した。もちろん、この世界での人生ゲームを面白くするためである。
そして、時間をかけて 「本来の自分を思い出す」 ゲームをしている。
本来の自分を 「思い出す」 成熟したステージに差し掛かったら、自然な結果として内面だけでなく外的にも豊かになる現象が生まれる。その時に、「神に仕えること (スピリチュアリティを大事にすること)と裕福になることは両立しないのか~」と思って、複雑な気分にならなくてもよいのだ。
【補足②】
外面的な豊かさが、すべて「その本人の豊かさ意識」によるのではない。
人格的に問題のある「金持ち」もいる。
生まれついての金持ちもいて、その人物の意識の賜物とは思えない場合もある。
その場合は、その個を通して善悪関係なくすべての可能性を味わおうとする宇宙の働き(パラレル・ワールド) 、本人の意識がどうかに関わらず、ゲームのコンティニューモード設定として引き継いでしまった要素(カルマ)の問題が絡んでくる。
言葉の不便なところは、ひとつ何かを論じたら、その派生する問題や矛盾まで一度に全部カバーできないことである。それをしていたら、日が暮れる。
だからここでは単純に 「豊かさ意識 → 現実の豊かさ」 というケースに絞って、話をさせていただく。
自分が神である、ということを思い出すことは、ひいては「本来豊かさでしかない」ことを思い出すこと。つまり、神であることと豊かであることはほぼ同義であるから、「神と富とに仕えることができる」 。
もっと言うと……
●神と富とに兼ね仕えない、なんてこと自体ができない。
歴史上、聖者や覚者と言われる人種の中で、富を持たず清貧を常とした人物はかなりいた。
今でもいるだろう。地位も名誉も財産もいらない、という聖者が。
悟りを開く=本当の自分(神)に気付くのに、なぜ彼らは豊かじゃない?
そういう質問が出そうだ。
●彼らは、豊かですよ。
見た目が豊かでないなら豊かではない、という判断がまず違う。
彼らも、選ぼうと思えば選べる。豊かさ意識が現実に反映するのを。
ただ我々と違うのは、「外的に富むことに関心がない」 。
言わば、彼らはそれを「選択している」のだ。
覚醒した意識として、かなりの王権を取り戻した上で選択しているので、魂はこの上なく豊かでありながら、見た目には質素な暮らし、という離れ業ができる。
もっと言うと、見た目に分かりやすいお金や家や車など、豊かさの表現としては砂粒のひとつ程度に過ぎない。
彼らの周りには、彼らを尊敬し慕ってくれる人がおり、心からの満足を得ることのできる「人間関係」があったりと、富という手段を選択しなかった分どこかで 「豊かになりまくる」 。結局、帳尻は合う。
そう考えると、富という言葉が物質的・経済的豊かさなどという狭い意味よりも広い、と分かる。
本日の結論。
人は神。神とは豊穣そのもの。ゆえに、人が本来の姿に立ち返る時、豊かさ意識が自然に取り戻される。
それに従い、意識状態が外にその反映を生み出し、豊かな状況が生まれる。
神に仕える(神としての自分を取り戻す)道は、これすなわち富(豊かさ)に仕える(そう在る)ことなり。つまり、神と富とに仕えることは可能なばかりか、必須。(ただ、覚者の中には趣味で選ばない者もいる。それだって、お金以外の事で豊かなのだから、結局幸せ)
しかし、神と金(カネ)とに仕えることはできない。
神、とは豊穣の意識状態。
そういう意識状態の時は、外の物事に自分を左右されないし、外を何とかしようと焦ったりしない。
なぜなら、根本の意識こそが、すべてを生むことを知っているから。
カネに仕えるとは、何か。
カネとは、ゼニである。目に見えて触れる、幻想としての物質(紙幣・貨幣)であり、目に見えない世界の反映の結果である。それらを生み出した大元に意識を向けないで、その結果物を「どう(現実世界で)努力したら得られるか」に気を取られる状態のこと。
また、自分の意識状態よりも外面に注意が向かうということは、見事に自ら本来持っているはずの「豊かさ意識」を忘れ去っている。
●豊かな意識と、モノとしてのお金を稼ぐことに主眼を置く意識は、同居できな
い。
欠乏意識なら、同居できる。
「自分にはない」「不十分だ」「もっと必要」と考えるから
気が付いたら心に平安はなく、ただ必死に稼ごうとしている自分がいるだけ。
豊かさ意識があったら、お金の流れはスムーズになる。
極度な不安にかられたり、しゃかりきにならなくても、やってくる。
もちろん、遊んでいてそうなるというのではない。
豊かさ意識が身に付いた人でも、それなりに働く必要がある。頑張ることもある。当たり前のこと。
ただ、表面的な労働は必死でも、魂に余裕がある。
それは喜びであり、趣味であるから。
自分の「血」に従うことだから、辛さや大変さはさほど脅威ではない。
イエス自身の言葉風に言い換えると、以下のようになるだろうか。
『本当の意味で神に仕えたら、神に還ったら、豊かにならざるを得ないよ。
そういう意味での「富の得方」は健全だ。
しかし、意識状態の豊かな在り方をすっとばして、現象・結果としての「カネ」だけを追い求める、なんてことをやっちゃったら——
それは豊かさ意識に根付いてないから、意味ねーよ。』
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