そうですね。そして「信頼」を「自信」に替えても同義かも。
どーやらあなたイエスの生まれ変わりですね。
応援コメントへのお返事、ありがとうございました。
信頼している、というわりには、わたしを一般的信者と決めつけておられるように感じましたが、誠実さは感じました。
神の霊を吹き込まれて、人間は生まれたと、聖書は言います。
そして、人間には、誘惑に負ける欠陥が、ありました。
神が完璧なら、神の霊がある人間には、欠陥はないでしょう。
あるいは、「土くれ」に吹き込まれた時点で、神の霊が「劣化」したりはしないのでは、と思ったりもします。
信者だからって「平行線」だと決めつけないでください。
信頼しているのなら、言葉を選んでください。
記事の対象者がひとつひとつ、違っていると言いますが、
少しは配慮してくださいよ、日記じゃないんですから(汗)
作者からの返信
配慮して書いたものは人を癒します。それは書物の大事な役割の一つです。
イエスは言いました。「わたしは剣を投げ込むために来た。仲違いさせ対立させるために来た」
この書は、一部の読者を不快にさせる可能性はありますが、それは揺さぶるためです。人は多少揺さぶられる経験でもしないと、重い腰を起こして考えようとしません。今のやりとりのようなことになりますが、人は不完全なので常にバージョンアップが必要なのです。もちろん、上段から人に言うのではなく、私もそうです。
ご意見は胸に止めますが、言ってしまうと配慮する気はありません。
私は、書きたいように書きます。あなたにとっての基準をこちらに要求するのではなく、そこは置いといて残りのどこが役だつ情報なのか、といいところ取りをしてください。それができなければ、読むのをおやめになり私と関わらないほうが大人です。
加古川の者です。頑張ってください
賢者さん。貴方は素晴らしい。出会えてよかった。