壊すのではなく『重ねる』 ~イエスは律法を成就する者~
わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。
廃止するためではなく、完成するためである。
はっきり言っておく。
すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。
だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。
マタイによる福音書 5章17~19節
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最近、時代の流れなのか何なのか、『常識を壊せ!』とか『常識を疑え!』という言葉が、よく目や耳に飛び込んでくるようになった。
そのこと自体を問題視はしない。だって、その通りな側面はあるからだ。
確かに、この次元的な視点で、それまで常識とされてきたことの中で『このままでは良くない』ものというのはある。
変わる必要はある。
ただし、それは——
「古いものが壊れ、なくなり
そこへまったく新しいものが登場する」
そういうものではない。
どうしても、「壊す」とか「疑う」と表現すると、現状のものが 「良くない」「悪い」というニュアンスになってしまう。ダメ(×)だからマル(○)にする、という発想になってしまう。
筆者が声を大にして言いたいのは、これだ。
今を否定して、よりよい未来はない。
なぜなら、この世界は今という瞬間からまた次の瞬間へ、次々とバトンをつなぐリレーだからだ。
今を受け入れてこそ、次の瞬間にバトンが渡せる。
あなたがリレーに非協力的(バトンを次へ渡さない。つまり、今を憎む)ならば、あなたはその場で足踏みをすることになる。
あなたは、置いていかれる。(空間的意味合いではない)
時代が進んでも、あなただけ時が止まる、ということは起こり得る。
木には『年輪』というものがある。
木の切り株を見れば、そこに明らかに「その木が存在し続けてきた証し」が込められている。近年のスピリチュアルや自己啓発で 「今しかない。過去はない」 ということを言ったりするが、それは単純に受け取ると大きな誤解を招く。
過去の積み重ねがあるから、今この瞬間がある。
今しかないんだったら、大変なことになる。
飛行機もテレビも電車もPCも、長い歴史の人間の探求が深まったその具体的実績の結晶である。
試行錯誤し、人の使う道具がバージョンアップし続けてきたからこそ、今私たちが目にしている科学的恩恵があるわけである。
つまり、確かに見た目 「今」しかないとは言えるが、その今にこそ「過去のすべて」が存在していると言えるのだ。ウイスキーのCMにあるように——
時は流れるのではなく、重ねるのである。
この次元は、命をつなぐ物語。感情ドラマをつなぐ物語。
過去への、そして今へのリスペクト無くして、将来を良くしようとはムシが良すぎる。「今ここしかない」という言葉はもっともだが、そこにはすべての時間の積み重ね(過去)に裏打ちされている、という認識がなければ、真の意味での「今ここ」を理解しているとは言えない。
では、ここでイエスの言葉を見ていこう。
「わたしが来たのは律法(これまでのユダヤ教の教え)や預言者(イエス以前に神の教えを語った者)を廃止するためだ、と思ってはならない。
廃止するためではなく、完成するためである。
すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法(過去からこれまでの教え)の文字から一点一画も消え去ることはない」
確かに、イエスの言うことは、当時の考え方や常識からすればメチャクチャだった。今で言う「常識破壊」の最先端を行っていたのがイエスである。
でも、そのイエスをして「破壊ではない」と言わしめている。
ちゃんと、これまでのものに対するリスペクトがあることがうかがえる。
これまでを否定して、腐しておいてより良いこれからなんてあるか、ボケ!
そして、イエスはさらに付け加える。
「だから、これらの最も小さな掟 (常識、これまでの教え)を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる」
確かに、現行の法律や常識、因習には、感心できないものもある。それは否定しない。だからといって、破って壊して世を変えるやり方は、紳士淑女ではない。
堂々と、新しいやり方ができるまでは、ちゃんと現行法に従う。この世の流儀を大切にする。
恨んだり腐したりしていては、変えられるものも変えられない。
イエスは、新しい考えと発想を世に示した。しかしそれは、画期的な考え方を広めて腐った世を打倒し、転覆させようとしたのではない。
あくまでも、喜びと情熱をもって、自然に移行することを願った。
しかし、圧政に苦しみ自分たちを救ってくれるヒーローを求めていた民衆は、自分たちに都合よくイエスのことを誤解した。だから聖書には、民衆の抱く勝手なイエス像に、イエスがあきれたりがっかりしている描写が少なからずある。
この時代、新たな幕開けの機運が高まっている。
でもそれは、これまでがダメで、それをぶっ壊して新しいのを作るんだ! という意識では失敗する。なぜなら、これまでのことをリスペクトすることなしには、温故知新の精神からでなければ、これまでの時の積み重ねを味方にしにくいからだ。
だからイエスは、新しいものを伝えていく上で、今までのものを見下すなと戒めた。新しいものが生まれることができるのも、これまでのものがあったからだ。
命は、常に「駅伝」だ。
あなたは、前の走者が遅いと、文句を言うかもしれない。
でも、ちゃんとたすきを渡してつないでくれた、それだけですごいことなのだ。
前の走者が走り付かなければ、あなたは出発すらできなかったはずだ。
あなたにとって、これまでがあることへの見方が変わる機会となることを祈る。
それまでは、大してありがたくなかったかもしれない。むしろ、嫌だったり憎んだりしたかもしれない。でも、私はだから今すぐ、認識を改めるんだ! などという短気なことは言わない。
いつでもいい、
あなたが、そう思えるタイミングで。
いつか、過去をリスペクトできる人になって。
そして今に、未来につなぐ者となれ。
今をつなぎ続ける者は、破壊者ではない。
ガーディアン(守護者)である。
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