バプテスマのヨハネ、イエスに洗礼を授ける ~自分より上な人からの卒業~
そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。
彼から洗礼を受けるためである。
ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」
しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」 そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。
イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。
そのとき、天がイエスに向かって開いた。
イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。
そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」 と言う声が、天から聞こえた。
マタイによる福音書 3章13~17節
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イエスが、生まれた時から神の子であり、救世主として定められていたということはない。生まれた時には、フツーの子だった。
大人になっても、ただのオッサンだった。職業は大工。
皆さんがよく知っている、クリスマスなどに耳にするキリストの生誕のエピソードは、フィクションである。イエスという人物が超有名になったあとで、その超有名人(救世主)にふさわしいエピソードが、悪気なく熱いファンの誰かの手によってつくられたのである。
恐らくイエスは、自分が神の子だとか、特別な使命を負っているとかいう発想を、30歳過ぎまでは持てなかったと思われる。
自分は、世界にごまんといる人間の中のひとりにすぎず、多少頭が良く体力に自信があるといっても、上には上がいるだろう。確かに彼は言うことが人とは一味違い、機械もなく道具も今ほどには充実してない時代に大工をしていたほどなので、体力的にも恵まれていた。自己イメージは高い方だったろうが、それでもやっぱりその時代の平均的な若者であった。
でも、ある日イエスを直撃したのが『覚醒体験』である。
その時に、仏教でいう『
すべてがそもそもひとつであり、自分も今はこの世界で「分離」を体験しているが、もともとは神であると分かった。
イエスは、自分が(もちろん、他のすべての人も)そのような価値ある存在だと理解した。
その時を境として、今までの大工としての一般人の生活から、スピリチュアル・メッセンジャーとして世にデビューしていくという流れになった。
さて、今日のお話には、クリスチャンでない方には耳慣れない単語が出てくる。
まずは、「ヨハネ」という名前の人物。
ちなみに、聖書にはヨハネという、同じ名前だが別人なやつが四人いるので注意。名前が同じだからと言って、同じヨハネだと思って読むと頭が混乱しますよ!
●イエスの弟子のヨハネ
●イエス出現の前から有名な宗教指導者として活躍していた『バプテスマのヨハネ』。今日扱っているヨハネさんはこの人だよ!
●ヨハネの手紙(新約聖書の書簡集にある)を書いたヨハネ
●ヨハネの黙示録(新約聖書の最後)を書いたヨハネ
これ、み~んな別人と考えたほうがいいですよ! 独学だとだ~れもそんなこと教えてくれません! そのヘンをちゃんとフォローしていないところが、聖書の不親切なところである。
似たようなところでは、イエスの弟子のヤコブと、聖書の最後のほうにある「ヤコブの手紙」のヤコブは別人である。
え~っと、だいぶ話がそれたので、元に戻そう。
バプテスマのヨハネ、と言う人物がいた。イエスが登場するより少し前に、すでにに「偉大な宗教指導者」という感じで尊敬を集めていた人物である。ちなみに「バプテスマ」とは「洗礼」のことであり、頭に水を浸すことで罪の悔い改めをし、その時から罪びとではなく「神の子」として新たに人生を出発する、という意味合いの儀式のことである。
要するに、「洗礼をするヨハネさん」ということである。現在では、牧師や神父なら誰でも洗礼を授けることができるが、この時代に洗礼を与える基準は厳しく、今よりムチャクチャ数は少なかったはず。
さて、そこまで注釈したところで、この物語を読み解いていこう。
若かりし日のイエスは、自分が大した者ではないという次元の認識にいた頃、ヨハネという人物のことを尊敬していたと思われる。そして、追っかけとまではいかないが、彼の講演会(?) には足しげく参加した。個人セッションなんかも受けたかもしれない。
イエスは考えていた。この人物についていけば間違いない。ヨハネさんの教えをしっかり自分のものにできれば、私は幸せになれる——。
そう考えていたから、最初イエスもヨハネというスター的存在にあこがれる普通人と何ら変わりなかったのだ。
ちなみに、イエスが最初このヨハネの弟子だったという可能性は、聖書に関わる考古学でも言及されている。
今日の聖書の物語では、神の子(救世主)イエスが、当時名声と人望があったとはいえ、フツー人であるヨハネから洗礼の儀式を受ける、というお話になっている。
しかも、罪のない設定の人物であるイエスが「罪の悔い改め」を意味する儀式を受けるんだから、不思議だよね!
洗礼なんか受けなくても、イエスは最初から神の子だっちゅーの!
……で、それはヨハネ自身もやっぱり思ったみたいで、こう言ってイエスを止めようとする。
「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、なぜあなたがわたしのところへ来られたのですか?」と。
でもイエスは、「手順としてはこれでいいんだ」みたいなことを言って、儀式を受ける。すると、鳩のようなものが天から降ってきて(キリスト教的理解では聖霊を指す)、神の「お前は私の子だ」 いう声が聞こえてきた。
私は、この話が実際にあったかどうかなど、かなりどうでもいい。
ってか、なかったんじゃないか。
だってこれは、完全な比喩として理解できるから。
ヨハネから洗礼を受ける前のイエスは、「自分より素晴らしいものが世界にはいくらでもあり、自分の価値などそう大したものでもない」という認識次元にいた。私は、あまたいる人間の中のひとりにすぎず、世間的評価で言えば決して上の方ではない。取るに足らない、上には上がたくさんいる自分。
鳩が下ってくるというのは、覚醒体験。あるいは、そんな大げさな体験ではなくとも、自分が人生の主人公であり、唯一無二の価値をもち、宇宙で一番大切にするべき存在、一番価値ある存在という認識に至れた状態を指す。
ゆえに、鳩が降ってくる(自分が神のようなものだと分かる)前に、それまで自分よりすごい、エラいと認識していたヨハネから儀式を受けたということは、一体何を指すか。
自分より価値あるもの、すごいものがある、という認識からの卒業式。
つまり、イエスの中での 「ヨハネからの卒業」。
だから、この聖書の記事は実際にあった出来事というよりは、イエスの中での内的な変化を、物語風に表現したもの、と思っていい。
覚醒体験(神としての自己認識)を境に、ヨハネを自分より上の存在として仰ぐことを最後とし卒業し、他の誰でもない自分こそが世界を変えるために立つ、という人生を再出発した。そういうことを読み取れるのである。
つまり、聖書のこのお話は史実というより——
『ある時点までは、ヨハネのファンであり決して自分はその上ではないと思っていたイエスが、ある時点で意識の大転換が起き、自己イメージが180度変わり、自分こそが神の子であり、人々の指導者として立つんだという意識になった。
もうこの時点では、ヨハネはイエスの上ではなくなった。もう、誰が上とか下とか、そういう意識次元にはいなくなった。
その、イエスの中での「使命への目覚め」が、この時期にはあった、ということを言いたいだけなのだ。
もっと言えば、時代はついにヨハネからイエスへ、継承されたとも読める。ヨハネは偉大だったが彼の時代は終わり、いよいよイエスによってさらに新しい時代への幕開けが訪れようとしていた、ということである』
人は、生まれてから子ども時代があり、少年期・青年期を経て大人になる。
まず、例外はない。
だから、魂の旅もこれと同じ。
誰にも、魂的子ども時代がある。
大人(あなたより優れていると思われる人物)に守ってもらう時期もあるだろう。
その人を導き手と仰ぎ、スター扱いで心酔する時期もあるだろう。
でも、いつかは卒業の時が来る。
ひとり立ちする時が来る。
自分こそが人生の主人公であり、神のごとき価値をもつという認識にたどり着く時が来る。その時、自分より優れた(と見える)者への依存から卒業する時が来る。
もちろんそれは、今まで頼ってきたその人が大したことなかった、と思うことでは全然ない。なぁんだ、ってんでキライになることではさらにない。
今まで通り、好きでいい。
でもそれは、あなたが自分の人生における主権を取り戻した上での、あなたの主体的選択の上での「好き」だから、パワフルなのだ。
この人にくらいついてくことで、幸せのおすそ分けをもらおう、なんてのが精神的子ども状態なのだ。
世界に、限られた数の偉大な宗教家がいて、世の大多数の人が、その数人しかいない誰かを支持している、というのは人類の最終形態ではなく、成長の過渡期。
いつしか、世界のすべての人が「自分なりの教え(信念と言ってもいい)」を編み出し、それに従い自立型で生きる日が来る。皆が、自分の心の中にオリジナルのスピリチュアル本を持つようになる。それを参照すればいいだけになる。
他人のお話などは、「楽しいから」 聞きに行く。
成功者や宗教家のお話を 「ダメな自分が偉い人の話を聞いてよくなるため」に 聴きに行く時代は終わり、ただ落語や漫才を見に行くような感じで、「余暇の楽しみとして」 利用するような日が来るだろう。
いや、もう来ているのかもしれない。
あなたに、尾崎豊ではないが「この~からの卒業」ができる日が来るだろうか。
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