第8話 あとがき

と、いうわけで終わりです。


あー、終わった、終わった。今回の話は「道化師が道化師を演じる自分に対して疑問を持つと一体どういう事になるか?」ということがテーマです。

人間はいろいろな面を持っているので、どれが本当の自分かわからなくなることがよくあります。本当の自分だと思っていたキャラが、偽りの自分で『演じていた』ということになりかねません。臣人みとちゃんもバーンの側だからこそ無理して明るく振る舞っているという感じがします。が、やっぱり生来の特質でしょうな。あのアホさ加減は。それに救われている面がバーンには多大にある。ということになるでしょうか。


かわいい鳳龍フェイロンが初登場しました。臣人ちゃんを手玉にとった功夫カンフー小僧ですぅ。別に國充和尚にだけ師事しているのではなく、格闘バカなので、いつも諸国漫遊の旅をして世界中飛び回って修行しているヤツです。どのくらいバカかと言うと素手で拳銃持った複数の奴らに平気で向かっていきます。で、倒しちゃう。スピードと技の切れは天下一品の坊やです。でも格闘シーン書くの辛かった。語彙が追いつかなくって…。

(今、別ルートで鳳龍のサイドストーリを書いてます。もしよろしければ、そちらもどうぞ!「Thymos」というタイトルです。「黄金きんのオラクル」シリーズとはなんの関係もない話です)


國充和尚と臣人は一応和解した形です。ですが、あの二人のどつき漫才はまだ続くであろう。1回くらい酒を酌み交わしたとて、変わるわけもない。わはは。

それともう一つ言い訳。お酒を飲むシーンがよく出てきます、が!!書いている本人は全くもってアルコールが飲めません。そんな願望がそういうシーンを書かせているのかも知れません。水割り、ビール、日本酒(冷酒)ときたら今度はカクテルにしよ~っと。


「ナウシズ」の意味は、「束縛、必要性、要求、人間の悲しみの原因、教訓、苦難」という意味です。なかでも厳しい束縛と付き合っていくことの必要性を教えているルーンです。

苦しかったり、悲しかったりすると人間はそれを他人の所為にしてしまいがちです。が、その痛みや苦難をよく観察し、自分の味方にした時、さらなる『力』や『自分』が生まれるはずです。

臣人もバーンも國充もそうですが、みんな何かに「束縛」されたまま生きています。でも人生そればかりとはいきません。それをわかっていて、どこかで区切りをつけ、前進しなければ「生きて」はいけません。そういう「強さ」のようなものを持ってほしいと願って書きました。

「否定」することは簡単です。「否定」するなら、何かそれに代わる新しいものを「創造」するか、「否定」したことを「浄化、再調整」しなければなりません。今回の臣人は再調整し、確認し、やはり自分にはこの「道」=「償い」しかないと心を決めました。それが彼にとって今後どんなことを呼び込むかは、最終話までかけてゆっくり書きたいと思います。バーンの方は、「アルジズ」でやりたいと思います。(1話分では書ききれないので、もっとかかるだろうな!?)


最後までお付き合いくださってありがとうございました。ちょこっとでもよろしいので、ご感想をお待ちしています!


あなたにルーンの加護がありますように。

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NAUTHIZ 砂樹あきら @sakiakira

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