03 くすんだ色

 車も人も通らないのをいいことに、道路のど真ん中をふたりで歩いた。

 花と、テトラポッドのある場所の少し向こうに或る桟橋で再会してから、五日が経っていた。

 再会したその日、いつも短パンにTシャツかノースリーブを着ている彼女が真っ白なワンピースを着ていたのは、鮮明に記憶に残っている。

 昨日はあんなに明確に拒否していたくせに、今日は会った瞬間開口一番に浜辺より遠くに行くのならば公園に行きたいと彼女は言った。昔によく遊んでいた、柊の家の近くの公園に向かって歩く。赤信号も無視して歩く彼女に軽く「危ないよ」と言えば、アンタほどじゃないだなんて彼女は返事をした。

 くすんだ赤色の柵と低木に囲まれた小さな公園は、やっぱり柊は数年間訪れていない場所だった。鮮明な青色と緑色で彩られていたはずの滑り台の色もくすみ、地面に埋めこまれたタイヤは汚れてへこんでいる。よく上に座って、公園内を走り回る花を眺めていた象のオブジェは撤去されてしまった様子だった。

「何しようか、花」

「……別に」

「かくれんぼでもする?」

「……イヤ。アンタ無駄に強いんだから」

 目を細めた花は、頬を伝う汗を乱雑に拭った。首元をくすぐるらしい黒髪をばさりと手で払うと、恨みがましい目で柊を見る。

「……あたしはアンタのこと見つけられないのに、アンタはあたしのこと簡単に見つける。不公平だからイヤ」

「不公平って……僕、ズルはしてないよ」

「隠れてるところ見てたんじゃないの」

「そんなことするわけないでしょ」

 柊が軽い調子でそう微笑めば、花は悔しそうに顔を顰めた。

 彼女も自分も、何かをするときにズルが出来る種類の人間じゃない。それはきっと、嫌と言うほどお互いに分かっている。その根本が変わっていないことも、お互いに、分かってしまう。

 そもそも、ズルが出来るような種類の性格をしていたのなら、こんなにふたりの関係はこじれたりしなかったのだろう。

 遥か昔にかくれんぼをして遊んだことを思い出す。鬼ごっこなんかで走れない柊に、ふたりでも遊べて、体力を使わないからと花がずっと付き合ってくれた遊びだ。入院する直前の中学生のときまで、外で遊ぶと言えば、浜辺での散歩か公園でのかくれんぼばかり熟していたのを覚えている。

 いつだって柊は花を見つけたし、花はたまにしか柊を見つけられなかった。狭苦しい公園の中、彼女が隠れる場所なんていくらでも予想がついた。

「花がどこに隠れるかくらい、分かるよ」

「…………知ったかぶり」

「そう思う?」

 花は深くため息をいてから首を小さく振る。

 数日間共に過ごして少し心を開いてくれたのか、はたまた気まぐれか。昨日よりは少し口数の多い花に、柊は嬉しくなる。昔のように話せたらいいと思っていた。こうやって言葉を交わしていられるのもあと少しだ。少しくらい素直になればいいのに、と柊の中の誰かが言う。

 花は少し逡巡したのちに、小さく言った。

「かくれんぼはイヤ。あたしが見つけられなくて、アンタがどっか行っちゃいそう」

「……ブランコでも乗ろうよ」

 こくり、と花は頷いた。舌打ちはもう聞こえない。強気や敵意より、どちらかと言えば弱気に見える彼女は、意地を張るのを少しだけやめたのかもしれないなと思った。

 ギイ、と不気味な音がした。高校生が遊ぶには少し小さなその古いブランコを、花は無言で漕いでいる。鎖同士が擦れ合ってじゃらじゃらと音を鳴らし、飛ぶように空気を切る花の体に合わせて、ブランコが軋む。柊はその隣のブランコに座り込んで、そんな花の様子を見ていた。

 今年の夏は猛暑だとしつこく謳われるだけあって、夜中でも気温は高いらしい。花の首筋には汗が伝っていた。

「……暑いけど。ちゃんと水持ってきてる?」

「水筒なんか持ってない。家帰ったら飲むからいいでしょ」

「そっか」

 嫌って程に放任主義な花の家庭を、柊は微かに思い出した。

 花は触れられたくない箇所に触れられたかのように顔を顰めながら、ブランコを漕ぐ速度を少しあげた。ギイ、ギイと、その音が波の音の代わりに二人の沈黙を取り持つ。

 今日も彼女は膝まであるジーンズに、青いノースリーブを着ていた。昨日と違い少し曇っている空の向こうで、朧月と数本の街灯がふたりを照らす。公園の中がぼんやりと蒼色に染まっていた。

 花は、なんでもないような声で続けた。

「アンタは、ここに来てもなにも思わないわけ」

「思うよ」

「思うなら教えなさいよ。なんで今更会いに来たの、あたしなんかに」

 会った時から問われ続けている質問に、柊はそっと目を逸らした。それと同時にこちらを向いた花と、一瞬だけ視線が絡まったのだけが分かる。

 意地を張って、そのくせ弱気になってしまっている柊には、まだその答えを口にすることはできない。でも、もうタイムリミットは刻一刻と迫っている。それが、互いの間に焦りを生んで、ヒビを入れて、しまう。

「……ずっと一緒に居てくれるって言ったの、アンタじゃないの」

「…………そうだね」

「ずっと守ってくれるって言ってたくせに」

「…………花」

 何でもないふりにも限界があるようだった。当たり前だ、花は昔から涙腺が強いほうでは、ない。震え始めた声に、柊は恐る恐るそちらを向いた。ブランコの音はいつの間にか小さくなっている。

 ほとんど動いていないブランコの上で、まるで花自身がなにかに懺悔をするような声でその言葉は吐かれた。

「嘘つき」

「……うん、ごめんね」

 柊を責めているはずの言葉は、きっと花が思ったよりも勢いがなく、纏わりつくような夏の熱に溶けていく。カゲった瞳を潤ませる彼女に、柊が出来ることは謝ることただひとつだった。

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