第44話 妻への手紙 アンドラーシ

 リカードとその長子のティボール、ならびに一族の中でも名が知られた者たちの首は、イシュテンの各地に送られた。それぞれの地方の主な街の城壁に、それらは掲げられることだろう。王の勝利と威光を示すため、リカードらの大逆を広く民の間に知らしめ、逆賊の末路を見せしめにするために。リカードの罪状を連ねた書状を王は何通もしたためたそうだし、たとえ読み書きを知らぬ者でも、リカードの非道とその最期は人の口から口へ、イシュテンの隅々にまで知れ渡ることだろう。


 そして罪人どもの胴体の方はというと――


 ――獣の餌にでもしてやれば良いと思うのだがな。


 アンドラーシが、そして恐らくは多くの者たちが願うのとは違って、簡素なものとはいえ棺に納められてティゼンハロム侯爵領に安置されている。その者たちの首が腐り果てて骨になり、見せしめの役を終えたなら、胴と再会して埋葬されることが許されるのだろう。先にブレンクラーレと内通していたミリアールトの公子の遺骨を祖国に返してやったことといい、近頃の王は敗者に対して慈悲深いようだ。多分、妃たちの身内を手に掛けたという後ろめたさがそうさせるのだろうが。

 アンドラーシとしては、王に挑み国を乱した者に対しては、罪に対する相応の罰を与えられて当然だと思っている。敗者の過酷な運命は、同じ轍を踏もうと考える愚か者を思いとどまらせる効果もあるだろうから。とはいえ、王の処遇は優しすぎるということもない。王妃に遠慮してリカードを幽閉で済ませようなどと言い出したらさすがに諫言もするだろうが、しっかり首を刎ねたことで、王としての最低限以上の責は果たしたとも言えるだろう。


「だからもう乱は終わる……クリャースタ様の御心も安らごう……」


 天幕の中、蝋燭の灯りを頼りに妻への手紙を認めながら、アンドラーシは声に出して呟いた。グルーシャとの縁によって、彼が目を配るべき領地も家臣も父から受け継ぐはずだったものより遥かに増えた。それに伴って責任も増すということで、読み書きはできる者に任せておけば良いという訳にもいかなくなった。妻へ頻繁に手紙を書くのは、王の勧めという名の命令だった。この機に少しでも練習しておけ、という意図だ。


 ――この歳になって手習いのようなことをする羽目になるとはな……。


 生来勉強が好きではない彼のこと、紙と筆を手に取ってみてもあまりに薄く細く頼りなくて馴染まない。手跡で妻に劣るのも承知しているから気恥ずかしさもあるが――だが、後々無知を晒す方がよほど恥なのだ。何より、妻と、妻が仕えるクリャースタ妃は、こちらの様子を知りたがっているに違いない。王も使者を送っているとしても、違う者が違う目で見た情報というのは得難いはず。斥候の場合と同じはずだ、多分。


「さて、後は――」


 書くべきことと、それを表す語彙と綴りを思い出そうと、アンドラーシは白い紙の上に筆の先を彷徨わせた。




 リカードたちの末路のほかにクリャースタ妃を喜ばせるとしたら、王が国境に対して示した配慮、だろうか。それに、グルーシャの弟のカーロイに関わる話にもなる。

 とりあえずリカードの敗北が決したとはいえ、王の軍は一団となって王都に帰還しているという訳ではない。自領を長く空けることを厭って王のもとを辞した諸侯もいるし、リカード以外に逃げた連中を追う役目を与えられた者もいる。カーロイも、その中のひとりなのだ。

 逃げた、といっても戦いの前に敵に背を向けたリカードとは違って、刃に斃れる前に戦場から逃れることができた、ということだが。まあ、しかるべき裁きを受けようとせずにいるという点では大した変わりはないとも言えよう。


『反逆者を国境の外にまで逃がしたとあってはイシュテンの恥になる。他国で良からぬことを企む前に、ひとり残らず取り押さえよ』


 アンドラーシら臣下に対して、王は苦々しい顔で語ったものだ。戦いが終わってなお、王という立場には心を配ることが多いらしい。それが気の毒で、アンドラーシはつい軽口を叩いてみた。実際、リカードの逃亡に、そして毒という卑劣な手段に怒り狂った王の軍の勢いは凄まじかった。その猛攻を逃れた者の数などたかが知れているし、捨て置いてもさしたる害はないのではないか、とも思えたのだ。


『敗残の者どもを庇う国などおりますまい? むしろ捕らえて引き渡してくれそうなものですが』

『確かにな』


 苦笑交じりの彼の進言に、王は表情を緩めることなく頷いた。


『とはいえ、俺が為すべきことには違いない。国境を越えたところで賊にでも成り下がれば、他国を煩わせることになるしな。逆賊どものせいで他所に借りを作ることになって堪るか』

『なるほど……』


 王の言葉に納得した体を見せつつ、アンドラーシは主のもうひとつの目的にも気付いた、と思う。


 リカードは、ミリアールトを目指していた節がある。王の目が光る街道は避けて、夏でもなお雪が残る山道を、案内人もなく越えようというのはそもそも正気の沙汰ではなかったが、万が一にも成功した場合は、かの国に燻ぶる王への恨みを煽ろうとでも企んでいたのだろうか。実際、クリャースタ妃とも近しいという何とかいう公爵夫人は、確かにリカードや女狐アンネミーケと結んでいた疑いが拭えないのだ。だが、その女もイルレシュ伯が命と引き換えに諫めた――と、思われる――ことで、今のところは沈黙を守っている。


 ――お妃の祖国を守る、と……行動によって示されるということなのだろうな。


 リカードの残党がミリアールトに至る、万が一の可能性を潰すこと。反逆とまでは言わずとも、クリャースタ妃の祖国を荒らす賊などにもなることがないように。無論、ミリアールト以外の他国に対しても必要な配慮ではあるのだろうが。


 ――陛下も気苦労が絶えぬこと……。


 リカードの死体の扱いといい、武力でイシュテンを平らげたはずの王が妃たちには遠慮があるらしいのは、少し面白いことではあった。祖国を滅ぼされたクリャースタ妃、逆賊とはいえ父が死を賜ることになった王妃と、並みの妻と夫の関係ではないのだから仕方ないのかもしれないが。

 だが、アンドラーシが見るところ、王が案じているであろうほど妃たちの夫君への心証は悪くない、と思う。御子を得て柔らかな表情を見せるようになったクリャースタ妃も、王のために父を裏切りさえした王妃も。遺恨は皆無とは言えないにしても、王と共に生きる道を選んだようにしか見えないのだ。


 とはいえ、彼がそのように述べたところで、王は聞き入れはしないだろう。お前に何が分かる、とでも言うに違いない。王と妃たちの間を臣下がどうこう言うのは限りなく不敬でもあるだろうし、実際分を越えているのも確かではある。だが、王が余計な心配で心を翳らせ波立たせているのだとしたら、手をこまねいて何もしないのも忠義にもとる気もする。

 だからアンドラーシは義弟のカーロイにもどかしい思いを託すことにした。カーロイが残党狩りに発つ前に、軽口を装って話しかけたのだ。


『まだ手柄を立てる機会は残っているから励むと良いぞ。特にミリアールトとの国境を安らげたとなれば、クリャースタ様の御心も晴れるだろう』


 何かしらの成果を得た時にはそのように述べろ、という忠告というか勧めのつもりだった。それに対して王が褒美を与えるとなれば、その理屈は公に広まる。クリャースタ妃の耳にも――バラージュ家の縁でグルーシャを通して伝わる。王の妃への配慮が、本人のもとにも届くだろう。


『そうですね』


 義兄の胸の裡を知ってか知らずか、カーロイは朗らかに笑って出立していった。片腕とはいえ手綱を操る技はもう堂に入ったものだ。不具と見下し、悪し様に言う者もいないではないのだろうが、少なくともバラージュ家の家臣はこの若者を主として改めて認めているように見える。ブレンクラーレ遠征に際してはバラージュ家は留守の守りを引き受けていたが、今回は戦場を共に駆けることができたのが功を奏してもいるのだろう。


『この腕でも働くことができる機会は貴重ですので。逃がすことのないよう努めたいと思います』


 カーロイは、二の腕の半ばから失われた右腕を掲げて、冗談めかしたことさえ言うことができるようになっていた。両手が揃った者に比べれば流石に剣や槍の技量は劣るが、追跡にあたって兵を指揮するのに不足はない、くらいの意味なのだろう。相手によっては答えに窮するかもしれない自虐的な物言い――だが、アンドラーシはそれくらいで怯むほど柔な神経はしていなかった。


『既に陛下のお命を救っているのだ、そうそう得られる手柄ではないだろうに。羨ましいほどだぞ』

『ええ、片腕を失った甲斐があるというものです』


 にやりと笑って見せれば、カーロイも更にきわどい応えを返した。無論、アンドラーシが片腕を失うことを望むはずはない。だが、例えば戦いの傷跡が残ったとしても本来は誇るべきものなのだ。だから、カーロイの腕についてもそのように扱うべきだろう、と。彼ら義理の兄弟の間では無言のうちに了解ができているようだった。




 ――カーロイの働きにも期待できる。お前たちの方でも、クリャースタ様に陛下の御気遣いを伝えてくれると良いだろう。


 妻への手紙をそう締め括ると、アンドラーシは軽く息を吐いて凝り固まった肩を回した。綴りの間違いを――皆無とは言わない――できるだけ少なく、文字の大きさや並びも見栄えが悪くなり過ぎないように、と思うと、手紙ひとつ書くのにも中々疲れるものだ。同じ時間を費やすなら、馬を駆り剣や槍を揮う方がよほど楽だ。このように紙と向き合う務めを、戦場においてすら日々こなしている王はやはり只者ではないと思う。


「さて……」


 強張った指をほぐすべく掌を開閉させながら、アンドラーシはひとりごちた。彼としては長すぎるほどの文章を綴ったし、妻に伝えるべきことは書き尽くした。だが、紙にはまだ余白が残っている。そこに、更に書き加えるべきかどうか、彼は少し悩んでいたのだ。


 あの、エルジェーベトという女のことを。


 あの女は、今もまだ死を賜ることなく王の軍に同行している。犯した罪の重さを考えればすぐにも首を刎ねてやりたいだろうに王がそうしないのは、これもまた王妃への配慮の一環だろう。エルジェーベトは、王妃にとっては血の繋がった姉妹以上に親しい相手だったらしいから。

 あるいは、あの女を称揚する者が多いことも気に懸けているのかもしれない。リカードの処刑の直前に、愛人にさえ裏切られていたことを突きつけてやったあの一幕は、確かに胸が空くものではあったのだが。だが、だからといってあの女の罪を帳消しにするものでは到底ないだろうに。女ひとりの生死などどうでも良いのか、エルジェーベトが直接に狙ったのは側妃で、しかも未遂に終わったから、重罪にはあたらないとでも言うのか。いずれにしても許しがたい考えだし、王の心が変わることもあり得ないだろうが。


 ――王妃も、さすがに分かってはいるだろうが……。


 父であるリカードの後ろ盾がなくなった今、王の機嫌を損ねるような真似は王妃もしないはず。そもそも、あの女性が父を裏切って夫についたことは、アンドラーシ自身がよく知っている。だから、王妃がエルジェーベトに慈悲をかけるとしても、最後に別れを惜しむ機会をやる程度がせいぜいだろう。王としてはそれすら不満に思うのかもしれないが。


 ――有無を言わせずあの女の首を刎ねた方が良い、か……?


 クリャースタ妃がそれを望めば、王としてはまたとない口実を得ることになるのかもしれない。だが、同時にその案は側妃と王妃の関係に亀裂を入れるものでもあるはず。死を賜って当然の罪人の余命を多少縮めるだけのことの代償としては、あまりに高くつくのではないだろうか。アンドラーシの進言ということにするとしても、妻の口からクリャースタ妃にそのように乞わせるのは、あまりに酷ではないだろうか。


 あとは、エルジェーベトは一応はラヨシュの母でもある。あの少年が母の罪をどこまで知っているかはアンドラーシの知るところではないが、息子にとっては母はかけがえのないものだろう。とはいえ、ラヨシュに母について知らせてやるかどうか、と筆を紙に近づけてみても、これもまた良い考えとは思えなかった。


 ――お前の母は間もなく殺されるのだ、と……知らせるのは嫌がらせにしかならぬだろうな。


 心構えをさせてやるのだ、などと傲慢な考えは抱くまい。王妃の父への裏切りに巻き込まれる形で、ラヨシュはそもそも主家を裏切らせられた。そのことでひどく心を乱しているようだったのに、この上余計な心労を負わせて何の益があるだろう。……と、このように妙に優しい考えは、ひどく自分らしくないようにも思えてアンドラーシはひっそりと苦笑してしまうのだが。


「うん、ここまでで良いな」


 あえて口に出して――誰も聞いてはいないのだが――宣言すると、アンドラーシは手紙に印をするために蝋を手に取った。


 ――全ては良い方に向かっている。女ひとりのために翳ることなどあるものか……。


 王にとって長年の宿敵だったリカードはすでに滅ぼした。わずかに逃れた残党も、カーロイたちが狩り尽くすだろう。ブレンクラーレは陰謀を暴かれて黙し、ミリアールトもイシュテンに従う姿勢を見せている。これでクリャースタ妃に男児が授かれば、両国の絆も一層強まる。たとえ今あの方が宿している御子でなくても、いずれきっと。


 自らに言い聞かせるように、確信をより深めようとするかのように。アンドラーシは必要以上に力を込めて妻への手紙に封を施した。

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