第7話 希うこと シャスティエ

 身重の身体で馬にしがみつくシャスティエを庇いながら、しかも赤子を抱えての道中は、頻繁に休息を挟まなければならなかった。だからイシュテンの男たちにはじれったいほど鈍いものだっただろう。実際、鷲の巣城アードラースホルストを後にしたのはまだ午前も早い時間だったというのに――荒野に出るまで要した時間と、しばらくジュラたちを待っていたことを度外視しても――イシュテン軍の本陣に辿り着いた時には 日も落ちかかって辺りは薄闇に包まれ始めていた。

 それでもあちこちに点された篝火によって、陣内の活気はよく見て取れた。ブレンクラーレとの対決を控えているというのに、戦いを好むことで名高いイシュテンだというのに、意外なほど兵たちの表情は明るく和やかなものだ。戦場に相応しく武具の手入れをしている者ももちろんいるが、火を囲んで雑談や賭け事と思しき遊びに興じている者、糧食らしい荷を背負った馬を引く者など、一見しただけでは戦地だということが信じられないとさえ思う。どこかで煮炊きをしているのか、肉と脂の匂いも鼻に届く。ここまでくると、まるでちょっとした規模の街が丸ごとブレンクラーレの荒野に出現したかのようだ。

 ミリアールトの乱を収める道中でも軍と行動を共にしたことはあったが、あの時は夜ごとに野営地を変える日々だった。だからこれほどの数の兵馬がひとつの場所に居つく賑わいはシャスティエには初めてのことで、つい首を左右にして見渡してしまう。だが――


 ――皆、私のことは――王妃陛下の使者のことは知っているのね……。


 斥候の一団が戻っただけならばそれほど人目を惹くことないのだろうが、女と赤子を連れているとなれば嫌でも目立つ。ましてシャスティエの髪は沈みかけた太陽にも篝火の炎にもよく映える金の色。他所を向いていても、視界の端に金の煌きが映ればそちらを見てしまうものなのかもしれない。陣の中心――恐らくは王のもとへ向かうまでの道中、シャスティエはイシュテンの将兵の視線にさらされることになった。


 好奇や驚きの目ならば、まだ良い。あからさまに指さして囁き交わす無礼も、耐えよう。ジュラのように曲がりなりにも武人として貴族としての心構えのある者ばかりではないのだろうから。それこそミリアールト遠征に同行した時にも似たような視線を浴びたことはある。

 だが、シャスティエの姿を認めて、ふ、と表情を凍らせる者、笑っていた口を閉ざす者が少なからず見受けられるのが不安だった。先にジュラが見せたのと同じ、シャスティエを信じて良いのか迷い悩み、吟味する表情だからだ。


 イシュテンの者たちの態度を恐ろしいと思うことは間違っている。シャスティエは確かに彼らを内心で裏切っていた。どうせ気付くはずもないと侮って、復讐を意味する名で呼ばせていた。その全てを知られたならば、怒りや憎しみでもって迎えられたとしても彼女には言い訳する余地はない。これから王の――夫の前で何を言われるのか、何を言わなければならなくなるのか、刑場に引き出される罪人の気分――というよりも、イシュテンの者からすれば彼女は確かに大罪を犯したと糾弾されてしまうのだろう。


 ――小父様は、いらっしゃらないのかしら。


 突き刺さる視線を受け止めるのが辛いと感じて、つい目をあちこちに彷徨わせてしまう。責めるような目から逃れたいと同時に、信頼できる方の顔を見て少しでも安心したかった。シャスティエの帰還が兵の間に広まれば、迎えに来てくれるのではないか、との期待もあった。

 でも、イシュテン人の黒い髪と黒い目、浅黒い肌の間に、シャスティエと同じ故郷を思わせる白金や薄青の色は見えなかった。グニェーフ伯の耳に側妃の帰還はまだ届いていないのか――それとも、会うことができない理由があるのか。先ほどのジュラの口ぶりでは、ミリアールト語で再会を喜ぶこともまた、イシュテン人の疑いを招くことになりかねないのかもしれない。


 ――誰の手も借りることはできないのね……。


 冬の夜が迫っているけれど、シャスティエの身体は寒さによってではなく震えた。王との再会を願い、その望みを寄る辺として囚われの日々を過ごしてきたというのに。今になって、夫であるはずの男と会うのが怖かった。




 ジュラは、時折馬上から人に呼びかけては何事か囁いていた。王に対する伝言とか報告ということだろう。シャスティエの耳を憚るような小声でのやり取りに、不安は募る。とはいえ慣れない馬に乗せられて男たちに囲まれていては、シャスティエはただ運ばれていくだけだ。恐らくは王がいる場所へ向かって――毅然として振る舞わなければならないと、頭では分かっているのだが。


「陛下がお待ちです。お疲れでしょうが今少し堪えてくださいますよう」

「はい」


 久しぶりにジュラがシャスティエの方を向いて語りかけてくれた。その目は傍目にも明らかに膨らんできた腹に注がれている。奥方が出産したばかりとあって、身重の身体を気遣ってくれるのは嬉しかった。一方で、気遣う思いがあってもなお、休息をもらうことができないのだと突きつけられるが。夫と早く会うことができるのだと、気を強く持つしかないのだろう。


 そして導かれて辿り着いたのは陣の中心、広場のように拓けた一角だった。城で言うならば謁見の広間とでもいうような。――否、王が待っているならば、確かにここは謁見の場なのだろう。天井も壁もなく、空の下に風が草の香りを運ぶ――イシュテンの気風には似合っているとさえ言えるかもしれない。馬から降ろされて、ジョフィアを再び腕の中に返されて。王の前に進み出るシャスティエには、これまでの道中と同じく、居並ぶ臣下から矢のような視線が注がれた。


 時刻は夕暮れを過ぎて夜の闇が降りつつある。天からは月と星の光も注ぐけれど、地上を照らすのは日が沈んで一層煌々と熱と輝きを増したかに見える篝火だ。火の粉が爆ぜる音とともに撒き散らされる炎の熱で、冬の夜の寒気をあまり感じないのは良い、のだろうか。寒さを感じることができないほど緊張しているだけかもしれないが。


 ――ああ、王が……!


 炎の赤が辺りを昼間とはまた違った色合いに染めている。太陽には及ばぬ明るさゆえに、人も馬も物も、濃い色の影に彩られて。そのような赤と黒の世界で、王は――夫はシャスティエを待っていた。玉座というにはあまりにもおこがましい簡素な木の椅子の前に、それでも君主としての風格と纏って、立っていた。


 ――痩せた、かしら……?


 まず目を瞠るのは、篝火の灯りが浮かび上がらせる頬の影、その線の鋭さに、だった。王に限らず目に映る人も物も全て、濃い影を纏ってはいるのだけど。黒松館で間近に顔を見た日々を思えば、彼女の夫は一回り肉が削げたように見える。冬の遠征だから、王宮で暮らすのとは全く違う日々だとは容易く想像できるけれど――彼女のために、王は文字通りに身を削ったのか。その上で、妻が裏切っていたと知らされたのか。

 夫だけではなく、イシュテンの諸侯も民もここまでの道のりには多大な犠牲を払っただろう。シャスティエのためだけではなく、アンネミーケ王妃への報復の意味はあるとしても。その犠牲の重さが、不意にシャスティエの胸を詰まらせた。


「あの――」

「よく無事で戻った。胎の子も守ってくれたようで、何よりだ」


 イシュテンの者が血を流し身を削るなど、良い気味だと嗤えば良かったのに、そうすることはできなかった。そのことに驚き戸惑いながら吐いた息は意味を為さない呼びかけにしかならなくて。――それを制するように、王は軽く笑った。


「恐れ入ります……」


 鋭い影に切り取られていると見えた頬が和らいだ、その表情もなぜかシャスティエの息を乱す。胎の子を気遣う目線はジュラと同じはずなのに、子の父親、彼女の夫から贈られたものに対しては同じ反応ではいられないのだ。おかしなことなのか、それとも当然のことなのか。彼女には思い悩む時間は許されていない。


「――この子も、守り通せました。王女のために命を捨ててくれた女の子供です。母や妻の忠誠に報いてこの子と父親を遇してくださいますよう……お願い申し上げます……!」


 何よりもまず確保しなければならないのは、ジョフィアの安全だ。これからシャスティエがどのように裁かれるとしても、この子が巻き込まれることはないように。物々しく武装した男たちの気配に怯えてか珍しくぐずる赤子を、高く掲げて王に示すと、心得たようにしっかりと頷いてくれた。


「父親もこの場に呼んでいる。娘と真っ先に会わせてやることができたのは重畳だった」


 果たして、王の目配せに応えるかのように、臣下の列から男がひとり歩み出た。シャスティエの知らない男だが――これが、あの乳母の夫で、ジョフィアの父親なのだろうか。剣と鎧を鳴らしながら近づいて来る男に、思わず身構えて赤子を庇うようにしてしまう。

 けれど、間近に見た男の目はしっとりと濡れて炎に煌いていた。


「ジョフィア……本当に……?」


 掠れた声も震えて、信じがたいほどの喜びと愛情を伝えている。それで初めて親の情を確かめることができて、シャスティエはそっと男の腕にジョフィアを。元から危うく顔を顰めていた赤子は、固い鋼に包まれた腕を嫌がって激しく泣き始める。でも、男はその泣き声さえも愛しそうに目を細め、反り返って泣き喚く娘に頬を寄せた。


「もう二度と会えぬものと思っておりましたが――数ならぬ者を、よく守ってくださいました……! この御恩にどのように報いれば良いか……!」

「……私こそ恩を返しただけです。貴方からは奥方を奪ってしまいましたから。せめて御子だけでも無事に返して差し上げねば、と思っておりました」


 男がシャスティエの前に膝をついたのは、多分涙を隠したいからでもあったのだろうと見えた。イシュテンの男が人前で涙を流すのを良しとするはずがない。だが、イシュテンの者にも妻子を愛する心があるのだ。王やティゼンハロム侯爵を見て、分かっていたつもりのことではあったけれど。名も知らぬ男が顔を伏せて肩を震わせる姿に、当たり前のことを今になって心に刻まれる思いがした。


「そなたはもう下がることを許す。娘と水入らずで再会を喜ぶが良い。赤子の世話は――取りあえずは医者をつけさせれば良いか」

「は。まことにありがたいお心遣い、感謝の言葉もございません……!」


 さすがと言うべきか、王の声に顔を上げた時には男の声も表情も平静のものに戻っていた。そしてジョフィアをあやしながら抱く手つきも、確かに手慣れて傍目にも安心できる。――乳母は、上にも息子がいると言っていた。


「さて、要らぬ一幕はあったが。貴公らが集ったのは赤子の泣き声を聞くためではなかったな。側妃から聞きたいことがあったのであろう。見ての通りの大事な身体だ、なるべく早く済ませるとしようか」


 男が赤子を抱えて闇の中に消えると、王は声の調子をやや硬いものへと改めた。それにつれて、臣下たちも居住まいを正す。そう、赤子と父親の再会を見て、さすがのイシュテンの男たちもわずかながら表情を和らげていたのだ。シャスティエに向けられる視線も、肌に突き刺さるような鋭さではなくなっていた。イシュテンの子を、イシュテンの親に返したから、なのだろうか。


 ――ジョフィアの父親を呼んでおいてくれたのは、このためでもあったの……?


 夫の表情を窺って心を見通そうとしても、唇を固く結んで油断なく臣下に目を配るのは獰猛な若いイシュテンの王の姿。赤子を利用して臣下の心を和らげようというような打算、あるいは妻の立場への配慮というものは似つかわしくない、ような気もする。第一、シャスティエがジョフィアを連れているかどうか、連れていたとしても真っ先に差し出すかどうかは分からないはず。ならば、少しでもイシュテンの諸侯の心証が和らいだところでとやらに入ることができるのは、ただの幸運と思うべきだろうか。


 ――とにかく、逃してはならない幸運ということね……。


 腹を守るように両手を身体の前で組んで。シャスティエは夫の目を真っ直ぐに見返した。これから何が起きようとも、全て彼女自身が招いたことだ。堂々と、凛として、受け止めなければならない。


「黒松館が襲われた経緯について確かめたい。そなたによく似た金の髪に碧い目の男が首謀者だったとか。何者か知っているか?」

「……ミリアールトの王族です。私に似ているのも道理、父の弟の子――従弟ですから」


 てっきり婚家名の意味について詰問されると思っていたのに、最初に問われたのは予想とは違うことだった。とはいえレフについても王に打ち明けなければならないと思っていたこと、シャスティエは戸惑いつつもはっきりと答えた。


「やはりか……!」

「ミリアールトの王族……生き残っていたとは」


 半ば闇に紛れたイシュテンの諸侯が口々に呟き、怒りと苛立ちの気配がシャスティエを圧迫してくる。覚悟をしていてもなお、よろめかずに立っているのが苦しいと思うほどの反応だ。敗者が逆らったという事実は、やはり許しがたいものなのだ。

 だが、王は片手を掲げて臣下たちを黙らせた。


「騒ぐな。ここまでは侍女が証言したことでもある。この者は嘘を言っていないというだけだ。だが、まだ分からないこともある。なぜそのように目立つ容姿の者がイシュテンに潜んでいられた? なぜブレンクラーレを目指した? その従弟とやらは、そなたにどのように説明した?」


 ――イリーナ。無事だったのね……!


 侍女の無事をそれとなく知らされて、シャスティエの胸に少しだけ気力が蘇る。王の問いは相変わらず迂遠で、本題からは離れているように思えてならなかったけれど。でも、とにかく彼女も知っている確かな事実、淀みなく答えることができる。


「ブレンクラーレの摂政王妃、アンネミーケ陛下――その御方の後援があってこそ、と……。実際に私は、イシュテン語を巧みに操るブレンクラーレの間者に囲まれて鷲の巣城に至りました」

「女狐めはなぜそのような真似を? ミリアールトを哀れんだだけか? それとも他に理由があるのか?」


 王の問いに、炎の影に潜むように並ぶ臣下たちも聞き入っているのがシャスティエにも窺えた。シャスティエやミリアールトへの怒りも一旦は抑えて、彼らが彼女の答えを待っている――その理由は察せられた。


 ――ティグリス殿下のことも……王は、臣下に明かしている。これまでは推測に過ぎなかったのでしょうけれど。


 シャルバールでの惨状はシャスティエも話には聞いている。騎馬の脚を奪って将兵を泥に塗れさせて矢で射殺す――その策が、単に残酷というだけでなくイシュテンの男にとってどれほどの屈辱なのかも。貶められた誇りを取り戻すという激しい怒りこそが、イシュテンの遠征をここまで成功せしめている。そして高い士気を保つためには、王が示した推測が事実であると、シャスティエの証言によって裏付けなければならないのだ。


「イシュテンの力を弱めるため、と……。ミリアールトの王族に私を攫わせれば、イシュテンは再びミリアールトを攻める。その背を突けば、労少なくしてイシュテンの牙を抜くことができると、他ならぬ我が従弟から聞かされました……! ティグリス殿下の――シャルバールのことについても同じ目的があったと、確かに……!」


 今度起きたどよめきは、そこに孕まれた激しい怒りは、シャスティエに対するものではない。だが、彼女自身に向けられるのよりも遥かに激しく彼女を揺さぶるものだった。

 これでレフは、側妃の誘拐の罪によってだけでなく、アンネミーケ王妃に加担する者としてイシュテン中から憎まれることになった。夫への秘密を増やしてまで庇いたかった肉親なのに、結局彼女自身の言葉で窮地に追い込むことになってしまった。そう思うと、悲しみと後ろめたさで心が引き裂かれるようだった。

 だが、このような言い方しかできない。シャスティエの前で、アンネミーケ王妃は自らの企みを肯定することは巧みに口にしなかった。彼女が証拠として確かに断言できるのは、レフがそう言っていたということでしかない。


 目の奥が熱くなるのを無視して、震えそうになる声を張り上げる。一度口にしたことはもう取り返すことはできない。ならばできるのはまた新しく言葉を紡ぐことだけだ。とうに夫に訴えるべきだったことを、とても遅くなってしまったけれど、今こそ公にしなければならない。


 ――これが償いになるとは、思わないけど……!


「ブレンクラーレにも心ある者はおりました。王妃の企みを恥じて、私にイシュテンの動きを知らせてくれた者が。何より、私をこうして陛下のもとへ逃がしたのは王太子妃殿下です! 息子の妻にさえも裏切られるほどに、今のアンネミーケ王妃は――ブレンクラーレは、足並みを乱しております……!」

「なるほど」


 やや息を荒げながらも言い切ったシャスティエに、王は満足げに頷いた。先ほどまでは鋭く睨みつけてくるようだった表情も、今は少し緩んでいるようにさえ見える。確かに王の望み通りのことを、彼女は述べたのだろうけど。でも、これだけで済むはずはないのに。

 戸惑うシャスティエへ明確な言葉が与えられることはなく、王は臣下を見渡した。


「聞いての通りだ。イシュテンを発つにあたっての推測は当たっていたようだ。これまでのブレンクラーレの動きからして、ほとんど語るに落ちてはいたが――我が妻によって今こそ確かに証された!」


 三度目に、イシュテンの諸侯が口々に漏らしたどよめきが篝火の炎を揺らした。前の二回目とはまた違った感情の篭った、そして声量も上回る、ときの声と呼んだ方が適切か。戦いに生きる民が、戦いを前に気炎を上げ、雷鳴のような轟きを生み出している。嵐のようなその激しい闘気の只中に立たされて、シャスティエはよろめかないように足を踏みしめなければならなかった。

 耳を塞ぐような大音声が飛び交う中で、王の声は、他の者の声を圧倒してよく響いた。再び鋭い目がひたとシャスティエに据えられて、低い声がゆっくりと問いかけてくる。


「我が妻、我が妃、雪の女王の化身の女。夫のもとに戻った今、お前は何を望む?」

「何、とは……?」


 咄嗟に応えることができずに眉を寄せると、王はわずかに苛立ちを表情に滲ませた。まるで察しが悪いのを叱られたかのよう。でも、シャスティエには話がどこに向かっているのかまだ掴めていないのに。


「愛する娘と引き離された。肉親を利用された。意に反して虜囚として閉じ込めた。祖国と夫とを争わせ、心を引き裂かせた。それほどの屈辱を味わわされて、お前は何を望む? 夫として、俺はその望みを叶えるつもりだ……!」


 どこか焦れったそうに、王がひとつひとつ数え上げていく。アンネミーケ王妃によってシャスティエに与えられた苦しみや悲しみの数々。イリーナの腕の中で泣いていたフェリツィア。黒松館の燃え落ちつつある廊下に倒れる血塗れの死体。レフとの対立。王妃の嘲笑。それぞれの記憶に伴う光景も、脳裏に蘇る。そしてじわじわと沸き上がるのは怒りと――理解だ。


 ――私に、これを言わせようというのね……!


「――復讐を」


 分かった。繋がった。そう思った瞬間に、その言葉が口をついて出ていた。女の高い声は、意気軒高に叫び立てる者たちの耳にも届いたのだろう。嵐の最中、一瞬だけ風が止む時のように声が止んだ瞬間ができた――その隙を突くように、シャスティエは高らかに叫んでいた。


「思い上がったアンネミーケ王妃に、ブレンクラーレに復讐を……! 我が夫、戦馬の神を御する方にこいねがいます。大鷲を天から引きずり下ろし、その翼を戦馬の蹄で踏み躙ってくださいますよう……!」


 自らが言ったことが何を意味するのか、完全に分かっていた訳ではなかった。そして考える暇も与えられなかった。

 シャスティエの叫ぶような声が響き渡ると、イシュテンの陣全体を揺るがすような歓声が湧きあがり、もはや誰が何を言っているのか分からない有り様になったのだ。

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