第3話 勝者の思惑 アンドラーシ

 未明にファルカス王と対峙したミリアールトの元王女を彼女の部屋まで送り届けた、その翌日。アンドラーシは再び同じ部屋を訪ねていた。


 一日ぶりに会った元王女は、今日は喪服に身を包んでいる。

 襟元高く、袖も手首までを覆う慎ましい意匠だが、レースの透き間から除く肌が滲むように白くて妙に艶かしい。


 ――喪服を着た女は美しい、というやつだな。


 と、アンドラーシはどうでも良いことを考えた。ましてこの姫君はイシュテンではまず見かけない金色の髪と碧い瞳を持っている。稀なる美姫が憂いに沈んでいる様は、一幅の絵のように彼の目を楽しませた。


「……どうかなさいましたか?」


 元王女のいぶかしげな声を聴いてやっと、不躾なほどの間、彼女を見つめていたことに気づく。

 取り繕うように笑みを浮かべると、アンドラーシは深く腰を折った。頭を上げる際に、腰のくびれと胸元のふくらみを確認するのを忘れない。


 ――思ったより女らしい体つきをしているじゃないか。結構なことだ。


 昨晩腕を取った時は折れそうなほどに細いと思ったのだが。剣を持った男相手に口答えできる気性だと知らなければ、自害の心配さえしたかもしれない。それほど、この姫君は雪のように儚げな美しさを誇っていた。


「昨日は失礼いたしました。

 我が王より姫君のお世話を仰せつかりました、アンドラーシ・フェケトケシュと申します。どうぞ気安くアンドラーシとお呼びください。

 無骨者ではございますが、不自由されることがないように努めますので何なりとお申し付けください」

「陛下のお気遣いに感謝申し上げますわ、フェケトケシュ殿」


 下手に出たアンドラーシの口上に対し、元王女の返答は切り捨てるように硬く冷たい。唇は微笑んでいるものの、瞳は凍りついた湖のように感情を窺わせず、馴れ合いを拒む。顔立ちが整っているだけに、まるで微笑む仮面のようだった。


 ――また恨み言を並べないだけ昨日よりはマシか。陛下の喝が効いたのだろうが……今後のためにも少しは打ち解けていただきたいものだな。


 アンドラーシは笑顔を作ると、優しそうに聞こえるように語りかけた。彼としては普通に笑っているつもりなのに人からはよく軽薄だのにやにやしているだの言われる。まったく不本意なことだ。


「叔父上方のこと、心よりお悔やみを申し上げます。まことにご立派な最期でいらっしゃいました。

 昨日、我が王が自らあの場にいらっしゃったのも死者に敬意を表してのこと。決して辱めようというつもりではなかったのです。お気を悪くなさっていないと良いのですが」


 元王女の口元が、何か言いたげに微かにひきつった。


 ――お気に召さなかったかな?


 また整然と慇懃になじられるのかと、一瞬身構えるが、


「そう言っていただけると、私としても心が慰められますわ」


 穏便な受け答えにほっとする。温厚な方だとの自負はあるが、アンドラーシもイシュテン人の男。女に口答えされるのには慣れてはいないのだ。彼の主君は、よく剣を抜いただけで我慢したものだと思う。もちろん、神に懸けた誓いは決して違えてはならないのだが。


「――お掛けください。私に用があっていらしたのでしょうから」


 元王女は思い出したように着席を勧め、侍女に目配せして茶菓を運ばせた。金茶の巻き毛の侍女が供した茶は、彼の知らない花の香りがした。

 アンドラーシはひとしきり香りを楽しんでから茶器を置き、切り出した。


「姫君には、我が国の都においでいただきます」


 美しい仮面が笑みを深めた。


「人質、というわけですね」


 言葉を刃とするように、ばっさりと核心を突いた元王女だったが、アンドラーシは丁寧に訂正した。


「客人です。王妃陛下は優しいお方ですし、王女殿下はまだ幼くていらっしゃる。そう窮屈な思いはなさらないでしょう」

「ものは言い様ですね。

 大体、どのようなつもりで私を姫君などとお呼びになるのです? この身は既に王女ではないし――自分では女王と思っておりましたが、貴方がたの法ではそれは違うようですし」


 元王女のイシュテン語は発音に微かな特徴がある。抑揚に富んだミリアールト語の影響か、王族ゆえの上品な語り口からか、それは訛りというよりも歌のように響く。会話の内容も状況も詩的なものとはほど遠いが、彼女の声を聞くこと自体を楽しみ始めている自分に気づいた。


「美しい方への敬称、とご理解いただければ」


 元王女はほんのわずか眉をひそめ、それだけの仕草で雄弁に不快だと語った。


「美しさなど何にもならないと思い知らされました。もはや敬われるべきものではありません」


 ――謙遜はしないんだな。


 彼は内心で笑いを噛み殺す。彼女にとって自身の美貌は自明のことであるらしい。その自然な傲慢さから、さぞ甘やかされ大事にされてきたのだろうと思わせて面白い。甘やかされた女は他に知っているが、この姫君のように他を寄せ付けず自然と跪かせるような雰囲気をまとってはいない。その女は侯爵家の出だから、王族との格の違いということだろうか。

 だから彼は心からの賞賛を述べた。美しい女は好ましいし、強い者はイシュテンの倣いでは相応の敬意を払われるべきだ。


「それでも貴女は姫と呼ばれるのに値すると思いますよ。――さて、先ほどの話は了承していただけますね?」

「どのみち断ることはできないのでしょうに。……身一つで、ということになるのでしょうか?」

「多少の衣装と、身の回りのものは運べるように手配いたしました。後ほど実際に乗っていただく馬車をご覧いただければ検討がつくかと。一人くらいであれば、供の者を連れて行くこともできます。なんなら、そこの娘でも」


 元王女の背後に控える侍女を示す。主人ほどの美貌ではないが、金茶の巻き毛に若草色の瞳が愛らしい娘だ。イシュテン語での会話をどこまで理解しているのか、先ほどから可愛い顔を歪めてアンドラーシを睨んでいる。

 侍女に話が及ぶと、元王女の瞳が初めて不安げに揺れた。


「帰れぬ旅になるでしょうから、私の一存ではなんとも。

 ついて行ってくれる者がいるかどうか、よくよく説明した上で決めたいと思います」

「出発は今日明日というわけではありませんから。ゆっくり考えていただいて構いませんよ」

「ご配慮に心から感謝申し上げますわ」


 とりあえず伝えるべきことはつつがなく伝えられた。答えは素っ気なく刺々しいものではあったが――元王女が思いのほか平静さを取り戻していたことに、アンドラーシは満足した。




「あの」


 元王女の部屋を辞したとき、アンドラーシは震える声に呼び止められた。振り返ると、若草色の瞳に睨め上げられた。


「私、あなたたちなんか怖くない。絶対に、シャスティエ様をお守りするわ」


 たどたどしいイシュテン語に呆気にとられる。まるで舌っ足らずの子供の訴えのよう。


 ――忠犬、だな。可愛らしい仔犬だが。


 思わずこぼれた笑みにバカにされたと思ったのか、少女の眉がつり上がる。彼女が二の句を継ぐ前に答えてやる。


「心配するには及ばない。私としても姫君には大いに期待している」


 聞き取れただろうか。聞き取れたとしても意味は分からないだろうが。

 怒りと困惑に顔をしかめる侍女に微笑みを残し、アンドラーシはその場を後にした。




 元王女の世話を王から申し付けられた、というのは正確には嘘である。実際はアンドラーシの方から願い出たことだ。さらにさかのぼって言うならば、彼女を生かして捕らえるように進言したのも彼だった。

 それは、全てイシュテン王家が抱える問題を案じるゆえのこと。

 王が――当時は王子だったが――王妃を娶って十年近く経つが、二人の間には王女が一人しかいない。王より歳上の王妃が懐妊する見込みは年々目減りしている。

 本来なら側妃を迎えるべき事態だが、ここで問題になるのは王妃の実家ティゼンハロム侯爵家だ。娘可愛さに、また外戚としての権力を保持するために側妃を献じようとする動きをことごとく潰している。王女が婿を取って男子を産めば次代の王のことは問題がない、というのが彼らの主張だ。


 ――そんな迂遠な話が通るものか。要は血を流さずに王家を乗っ取ろうというのではないか。


 ティゼンハロム侯爵家はかつてイシュテンが王国になる前に大族長を輩出したこともある名家。先王の長子ではなかったファルカスが即位に至ることができたのも彼らの力が大きい。

 その功績は認めざるを得ないが、恩義を盾にいつまでも王を操ろうとするのがアンドラーシには気に食わない。


 ――連中に追従する者たちも。自身の権力しか考えない者が多過ぎる……。


 王女と釣り合う年頃の男児がいる家は、未来の王の祖父になろうとティゼンハロム家にすりよる。かくして彼らの権勢は磐石というわけだ。

 アンドラーシが出たフェケトケシュ家は大した領地を持たない並も並の家柄だ。王家の婚姻にまつわる争いには出る幕がない。だからこそ仕える相手は自分で選んだ。その王子がたまたま王になり、側近に数えられる身になったのは僥倖といえる。


 ――あの方を傀儡の王で終わらせない。


 長年近くに仕えているからこそ思う。心身ともに強靭で覇気にあふれるファルカスはアンドラーシにとって理想の王だ。大貴族の権力争いの調整に終始して終わるのはいかにも惜しい。

 ミリアールトに若く美しい王女がいたのはちょうどよかった。高貴な捕囚を王宮に迎えるのは自然なこと。美女を間近にして王の手がついたとしてもおかしくはない。ティゼンハロム侯は不快だろうが、大事な人質とあってはうかつに危害を加えられまい。

 元王女が王の子を産んだら――王妃の実家の力を削ぎ、同時に彼女を勧めたアンドラーシの立場にも利することになる。

 実際に目にした王女は期待以上に美しかった。強情さも予想以上ではあったが……。


 ――構わないさ。じゃじゃ馬ほど乗りこなし甲斐があるものだ。そうだろう?


 跳ね回る馬を調教するのは、戦馬の神を奉じる彼らにとってはお家芸なのだから。




 その夜、アンドラーシは僚友と酒を酌み交わしていた。

 場所はミリアールト王宮の貴賓室の一つ。本来彼の身分で立ち入れる場所ではないが、これも勝者の特権だ。毛足の長い絨毯やら、精緻な彫刻の燭台やら。最高の品々が軍人風情に使われることになるとは皮肉なものだ。


「機嫌が良さそうだな」


 ぼそりと呟いたのはジュラ・カマラス。アンドラーシと同じく中流の家の出で、ティゼンハロムの専横を苦々しく思う一人である。

 酒杯を傾けつつ答える。これも王宮の貯蔵庫から持ち出した蒸留酒だ。芳醇な味と香りが心地よい酔いを誘う。


「概ね思い通りに運んだからな。あの姫君は王宮に入り、陛下の傍で寝起きすることになる」


 元王女を無事に確保できるかは、完全に運任せだった。

 イシュテン人はわざわざ女を殺して誇る習慣はないが、見た目の良い女を捕らえれば当然犯す。そうでなくても親兄弟の訃報をはかなんで自害するおそれもあった。首を差し出すなどと言い出したときは肝が冷えた。

 だが、結果として彼女は無垢なまま保護された。王が神の名にかけて無事を保証するという、願ってもないおまけつきで。この点に関して、アンドラーシは城門に晒された首の主たちに対して心から感謝している。信じられないことに、あの者たちは元王女さえ無事ならそれで良いと口を揃えて、晴れやかな顔で死に臨んでいったのだ。


「王女が成長して男子を産むのを待つ、など確かにバカげているが……」


 ジュラは意味ありげに言葉を切った。


「よその国の女に世継ぎを産んでもらおうというのもあてにならん話だな。

 現状を覆す力が欲しいのなら、自力で武功を積み上げることだ。今回、陛下が我らを伴われたのもそういうご意向と理解している」


 自負と自信にあふれた物言いは、いかにも武門の出の彼らしい。アンドラーシは苦笑しつつ反論する。


「別にあの方に全てを賭けようとは思っていない。下手な相手に下賜されるよりは有効な使い方をしようというだけだ」

「更にいうなら、ああいう小賢しそうな女は陛下のお好みには合わない」


 この指摘は痛いところをついている。玉座の間での一件のあと、ファルカスはアンドラーシたちに吐き捨てた。命が助かることを感謝すればいいものを、なぜ詰られなければならないか分からぬ、と。まことにもっともと言うしかない。


「……賢いならなおのこと。すぐに陛下の機嫌を損ねない方が得策だと察するだろう。

 大体その言い方だと陛下は愚かな女がお好みのようではないか。王妃がああだからと言ってその言い様、不敬ではないか?」


 そもそも世継ぎや側妃のことを考えるのは王妃の役目。王妃がその役目を果たさないから、臣下が余計な気を回す羽目になるのだ。ジュラの言い分は、彼の懸念を共有していると暗に認めたも同然だった。

 痛いところを突かれたとでも思ったのか、今度はジュラが苦笑する番だ。歳の割に王妃がいかにも頼りないのは、誰もが認める事実である。


「心中察するが、滅多なことは口にするな。

 そうだな、結局、王宮の奧でのことは我らにはどうにもできないからな……異国の者だろうと生意気な女だろうと、駒を送っておくのは悪くないのかもしれん」

「そうだろう」


 ミリアールトでの戦いは勝った。だが、その興奮も一瞬のこと。祖国に帰れば問題が山積している。王家と王宮に巣食う老獪な毒蛇どもとの争いは、考えただけで気が滅入る。それに比べれば、戦場で剣をとって戦うのは簡単なこと。心躍ることでさえある。

 沈黙が降りる。語らずとも分かる。二人が共に考えるのは国の未来。主と奉じる王のこと。

 アンドラーシは空いていた杯を再び満たした。ジュラもそれにならう。どちらからともなく杯を掲げ、唱和する。


「ファルカス王のために――」

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