最終節「日常という劇場」

 1997年。秋。


 私は、仙台M山高校の学園祭に訪れていた。相方は謙くん。何か、一緒に回らないかって誘われたし。千影から貰ったチケットもあったし。


 教室の催しものをひやかしながら、校舎を三階まで回った時、ちょうど窓から開けた中庭が見下ろせて。


 姿を見つけた。



――栞。



 どうやら劇の練習をしているらしい。


 一緒にいるのは、高校に入ってから仲良くなった演劇部の仲間たちだろうか。栞は楽しそうな微笑を携えている。また時には真剣なまなざしとなり、胸を凛と張ってステップを踏んだりターンしたりしている。


 パンフレットには午後から体育館のステージで演劇部による劇が上演されると書かれていたけど、ミュージカル的な要素もあったりするのだろうか。


「演目は、何なんだろ」

「琴、あんまり調べないんで来たんだな」

「栞と、連絡取ってないからね」

「『橋姫物語』だよ」

「はえ?」


 思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。


「橋姫役だって言ってたぞ。一年なのに主役。すごいよな」


 中庭で劇の練習をしている栞は、とてもフツウで。


 そう。栞は演じている。この世界での役を。


 栞と千影という、二人の少女像。



――日常という眩いスクリーンに映写機で映されたような、光の中の影は美しい。



 満ち足りた光のかたまりを、「役」とは境界で縁どっていく営みであるかのよう。


 謙くんが、出店で買ってきた綿飴わたあめを差し出してくれた。


 一口、口に含むと。


「甘い」


 私は、綿飴の棒を空に向かって掲げて、何かを創るようにぐるぐると回す。


「何を集めてるんだ?」

「想念?」

「どこにあるんだよ」

「浮遊してる?」

「琴、相変わらず変なこと言うヤツだな」


 白くて甘い光が、そこらじゅうに浮かんでいるのが、何だか分かる。


「七宮、いや、もう七宮じゃないんだったか」

「どういうこと?」

「ああ、そうだな。何となく、二人のこと気にかけてたんだけど、栞が琴に連絡をよこさなくなったのは、たぶん琴を嫌いになったとかじゃ全然なくてさ」


 そんなに、気を回してくれていたのか。謙くん、相変わらずおもんばかってばかりの人なんだね。


「高校に上がってすぐの頃。春先に栞は両親が離婚して、今は母方の姓になったんだ。今のあいつは、藤野栞。そんなこともあって、なんか琴には連絡しづらかったんだと思う」


 「藤野」は、前の世界の私の。そして私に凡庸な日常せいをくれた、私の夫のなまえだ。


 神話縁起世界、だったか。たどって、たどって。千影あなたはまた私に辿り着いてくれたのか。


「私、言葉、伝えられなくてさ」

「それでも、たぶん意味はあるさ」


 橋姫わたしは、中庭でキラめく子孫しおりに視線をおとして。


 ずっと一緒にいたい訳でなし。情欲を抱くでもなし。でも、私の栞への気持ちを丁度よく表す言葉があるとするならば。なるほど。


「愛してるよ」


 言葉はまた、虚空せかいへと消えた。


 私のこの記録に残らない気持ちも、やがて歴史のどこかに「あった」こととして、神様は振り返ってくれるのだろうか。



 どちらでも、良い。



 私はこの仙台マチの片隅で穏やかに咲いてる、貴女の微笑をそっと心に留めた。



  『橋姫影物語』・完

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橋姫影物語 相羽裕司 @rebuild

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