第六節「世界の頁(ページ)の狭間で」

 数か月前と、印象が少し違う。背が伸びて、体もなんだか逞(たくま)しくなってる。


 ここ、西多賀にしたがのバス停留所だ。私の帰り道の途中の、バスの乗り換え地点である。もう、ここまで来ていたんだ。ボーっとしてたな。


「背、伸びたね」

「そうか? バスケ部には入ったが」

「柔道じゃないんだ」

「ああ。新しいことやりたくなってな。ポイント・ガード志望だけど、まあ背丈はあった方がいいな」


 謙くんも栞と同じM山高校である。控えめに言ってカッコよくなってるのは、二女と違って共学だし、男女の何かとかあるのだろうか。女子と交流してるうちに男性ホルモンが増えて、より男らしくなった……とか?


「栞は、どうしてる?」


 自然な会話の流れを装って、一番の関心事を尋ねてみる。


 すると謙くんは鞄からMDプレイヤーを取り出して、片方のイヤフォンを私に向かって差し出した。


「『とび高』、知ってる?」

「『とび出せ高校生諸君!』? 知ってるけど」


 地元のFMラジオ局で平日の早朝にやってる、市内の高校の放送部が持ち回りで放送を担当してる番組である。


「一昨日放送の分、録音してたんだ。栞が出てるぜ」


 意外なことを言う。


「栞、放送部に入ったの?」

「んにゃ、演劇部。ラジオドラマのコーナーに出てるんだよ」


 言われるままに、イヤフォンを耳にあてて、流れてくる演劇もといラジオドラマを聴いてみると。


 確かに、栞の声がした。


 何だ、生きてたんだ、という感じ。


 心持ち、中学時代よりも楽しそうなのは演技なのか、現在の栞の素の心情が出てるのか。なんか悔しい。


「謙くん、なんでこれ録音してるの?」

「俺も、栞のファンなんだよ」


 あっけらかんと言う。男女の話、栞の相手が謙くんというのはちょっと考え難いけど、とにかく私は全てがにぶっていて、あらゆることにうとくなっている。


「謙くん。何かモテそうな感じ。カラオケで安室あむろ奈美恵なみえを歌う女子たちに囲まれて、ビーズを歌ったりしてる?」

「勉強と部活をちゃんとしようとしてると、カラオケとか行ってる暇はあんまないな。あと、俺はミスチルが好きなんだが」

「『抱きしめたい』?」


 誰を。あるいは、本当に栞を?


「琴。俺が考える『愛』について、語ってみてもイイか?」

「おお。どうぞ」

「即物的なものだ」

「『愛』が?」

「勘違いだったらスマン。琴、何処か遠くに行こうと思ったりしてるのかと思ったんだ」

「私たちが今いる世界とは、薄いヴェール一枚で隔てられているかくれた世界。本のページを捲る、捲り始めと捲り終わりの間にある、狭間の世界。そういった時間や場所に焦がれる気持ちは、あるわ」

「そんな場所は、夢想の中にしかないぞ」

「分かってる。だからきっと、本気で求めたりはしてないわ」

「俺は安心したいんだよ」

「私のことを案じてくれてると? それはありがたいけど、うん、ありがとう。大丈夫だよ」


 たぶん、だけどね。


「琴。『この世界に何があったのか』、分かったのか?」


 私は、静かに首を横に振った。


 ◇◇◇


 あくる日、私は西多賀の停留所で待っていた。本来は乗るはずのバスを既に三本遅らせて。M山高校からも、山の方面にバスで帰宅するならこの西多賀の停留所で乗り換えるはずだ。私は、栞が現れるのを待っていた。


 コンクリートの地面に刻まれた網目模様の線を数えながら、どれくらいの時間が過ぎただろう。


 バスがとまる度に、栞が降りてこないか胸をときめかせて。


 想い描いた栞が降りてこないと、また落胆して頭を下げて。


 何回目かの、模様を視界の左から右の端まで数え終えた時。向山に昇っていく坂道の登り口に佇む電柱の上にとまっていた梟が、フと私を見下ろしてる気がした。


 その異形から向けられたまなざしが、私の夢の時間の引鉄で。


 雑踏の中で、栞の、いいえ、千影の声だけがはっきりと聴こえてきた。


 来て、くれたのか。


 ここでは静かに雪が降っていて。淡く私の体表を照らす夕暮れの光が射しこんでいる。川のせせらぎの香りが清廉に立ち上ってもいる。ここでは、私と栞に関する全ての「縁起」が、バラバラであり、また同時に存在している。


「時間がきしんでますね!」


 千影は、陽気に私に声をかけてきた。


 あなたの明るさに惑わされずに、まずは一番伝えたいことを伝えなくては。


「千影、あなたを犠牲にして生きてしまって、ごめんなさい」

「まあまあ。今はこうして、楽しい街の人として生まれ変わることができたんですから」

「楽しい……って?」

「フッフ。愛姫様、この世界に疑念を向けておられるあなた。それは、大事なことかもしれませぬ。でも、勝ちすぎることでもあります」

「栞は今、幸せなの?」

「えへへ。ちょうど、今度M山の学園祭ですね。是非ぜひ、お越しくださいませ!」


 ここで、世界の混線。


 気がつくと、何事もなかったように私は西多賀のバス停留所に立っていた。千影――七宮栞の姿はない。


 ただ、私はM山高校の学園祭のチケットを手に握りしめていた。幻だったわけではない。


 この日、この世界に生まれ変わってからしばらく忘れていたことに気がついた。いや、思い出した。


 私、大城琴は、現在「幸せにちじょう」の中で生きているのかもしれない。

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