第五節「途切れた糸」

 1997年。初夏。


 高校一年生という時間の舞台は、ありふれたまま幕を上げて。


 私は仙台第二女子高等学校へ、栞は仙台M山高校へ、別々の高校へと進むと、私と栞との交流は途絶えた。


 私は、眼鏡をかけて。


 高校でも剣道部に入った。


 視力は落ちて、剣への情熱も減衰した。


 放課後。二女高の校門を出て、少し遠いバス停まで連坊れんぼうの道を歯を食いしばりながら歩く。


 新しく出会った優しい先輩との会話はどこかボヤけているようで、笑い合う同級生たちの喧騒を、抜けるように私だけが砂の道を歩み続けているような。


 何だか全てが胡乱うろんな、薄い灰色の日々。


 栞も、謙くんももういない。


 どこかに存在しては、いるのだろう。でも結局、栞も謙くんも、本当は私とは違って。


 ああ、たぶん。この世界は牢獄で。


 ただ他人との繋がりの糸だけが格子を抜けて触れ合って、みんな自分は独りじゃないのだと錯覚している。


 私の糸は途切れてしまったのだから、私は寂しいというこの世界の真実に気づいただけだ。


 真実。


 前の世界と今の世界、どちらが真実だったのだろう。


 その時、国道に出るところの電柱の上にとまっていたからすが、私を見下ろしていることにフと気がついた。


 その鳥から見降ろされたまなざしが、私の星の時間の引鉄ひきがねで。


 不思議なことに、私は真偽とは別に、貰った気持ちを覚えてもいることに気がついた。


 そう言えばあの世界では、一人だけ側にいてくれた人がいる、と。


 ただの町娘となった私は、やがて「藤野ふじの」という綿屋わたやの男の元へと嫁いだ。


 私の夫は出来過ぎた、とてもフツウの男だった。


 千影と入れ替わったゆえに、素性の知れぬ娘となった私を保護し。周囲と私との間に立ち現れる様々な問題を一つ一つ調整するように立ち回り、最後には私を妻に迎え入れた。


 ある日夫は、全てを打ち明けようとした私に対して。


「過去には、こだわらんよ。先のこともそうだでさ。今、おまえがここにいてくれる。俺ぁ、満ちてる。それでいいさ」

「でも私は、本当はあなたに相応ふさわしくない」

「誰と誰が結婚しなきゃなんねぇとか、そんなものは、本当は何もない。俺ぁ、愛姫を愛しいと思う。それが、大事なことさ」


 当時の常識とは、そぐわない価値観だ。


 数百年後の今に転生してみて分かる。夫は、「自由」という観念を重んじてる男だった。


 夫と過ごした日々は、満ちていた。


 子をなし、孫が生まれ、やがて当時の平均寿命を大きく超える頃、私は死んだ。


 その生の中で、私はどれだけ犠牲になった千影のことを思い出しただろうか。


 天寿てんじゅを全うした、と残された者たちが称える中で。


 忘れているんだ。誰もが、誰かを。


 ああ。


 孤獄こごくの中で生きている。この限られた生の終わりで、誰もが誰とも途切れてしまうのだとしたら。世界とは何と寂しいだけのものなのだろう。


「琴」


 その時、私の名を呼ぶ明朗な声が私を現実に引き戻した。


 私が瞳を開くと、懐かしい顔が私をのぞき込んでいた。


「謙くん?」

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