第四節「雪と街のアカリ」

 時間が流れた。


 1996年。冬。その時、中学校は冬休みで。


 栞はM山高校の推薦が決まり、私は二女の受験が間近だったが合格は疑いようがない状態で。つまり、私と栞の別れの時が近づいてきていた。


 待ち合わせの約束などないまま。


 でもその日、私は彼女がいる気がして。雪が降る中を、山の上の中学校に向かって歩いて行った。


 ザツ、ザツと、赤い長靴の底で雪を踏みしめる感触を感じながら。


 しんしんと降る白い結晶を、かき分けて歩く。


 雪降る山の街、に憧憬しょうけいのまなざしを向ける。


 家々でまたたく炉の灯りが愛しくて。


 今、ここにある、本当の気持ち。


 私は、この街と人を愛してる。


 やがて、中学校に辿り着いて。


 夕暮れ時の生徒会室の扉をゆっくりと開けると。


 栞は、いた。


 千影の気配ではない。彼女はこの世界の、七宮栞として私を待っていてくれたんだ。


 私は、大事な人に向かって語りかける。


「この世界は、私が前いた世界とはあまりに変わり果てた様相で、人は人を助けない」

「『前いた世界』ってのはよく分からないけど。琴のそういう真面目さは、ちょっと気になってたよ」

「1995年の1月17日」

「阪神・淡路大震災?」


 私はうなずいた。


「17日の朝、学校に行く前は、何か遠いところで大き目の地震が起こったらしい、それくらいの感覚だった。


 放課後、帰り道の書店で見たテレビのニュースで、ようやくことの他大変なことが起きたのだと気づいて。


 倒れた高速道路と、傷を負った人々、燃える街の映像が代わる代わる流れるブラウン管を茫然と眺めながら、私はどこかで、私や私の家族の近くで起こったことじゃなくて良かったってホっとした。ホっとしてしまった自分に怒りを覚えた」


 また・・、私は誰かが死んで、誰かが生きてる世界を「しょうがない」と思おうとしてしまった。


「誰も死なない永遠の国にでも行きたいの?」

「違う。でも、こんな世界ってない。涙が、流れてくるんだ。こうしている今も、世界のどこかで泣いてる人がいて」

「でも、全ての悲しみを背負ったりは、人間にはできないわ」

「うん。今すぐ全てを投げ出して、神戸に走っていくことはできない」

「それで、世直しでも始めるわけ?」

「それも、遠いよ。分かってる。無力なのを分かってる。ただ私は熱くなる。許せないのに、どうしようもないから途方に暮れてる。熱情を抱いたまま、せめて自分と自分の周囲の人達を慈しむという酔いで、自分の魂に麻酔を打ってる」

「熱いね。琴は」


 栞は、私の鼻に人差し指をあてた。


「私は、目の前にある一日一日の日常を、大事に生きることだと思うよ」


 これが、栞と話した中学時代の最後の記憶。卒業式の日は、何だか話さなかった気がする。


 ◇◇◇


 誰も知らない話を少し。


 1996年の冬から1997年の春にかけて。私は、手紙を持ち歩いていた。魂の奥からやってくる気持ち。栞を抱きしめたい気持ちを綴った手紙を。


 渡すことは、できなかった手紙を。


 ◇◇◇


 季節が廻った。

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