エピローグ
初夏を思わせる強い陽射しを浴びるオープンテラス席の一角に、山高帽をかぶった男が座っていた。
「エキゾチックな雰囲気のいいお店ね。誰と来るの?」
「渋谷なんてほとんど来ませんが、こんな素敵なお店があるなんて。よくお使いになるのですか」
テラスを囲む壁際にはオリエンタルな彫像が立ち並ぶなか、両側に座る女性たちから少し
苦笑いを浮かべる帽子の男に変わって、スーツを着た薄い髪の男性が答えた。
「ここは彼のお気に入りの店らしいよ」
目で示した先には紺の半袖ポロシャツから太い腕を出した若い男が向かってきている。
「すいません、サンザさん。遅くなりました」
「十分の遅刻だね。ここの代金はラファのおごりにしてもらおうかな」
「ほんと! それじゃパフェを食べちゃおうかな」
「わたくしはアイスカフェオレでお願いします」
「え、めぐみさんも小夜子さんもちょっと待ってくださいよ。マジっすか⁉」
大きな体を小さくして、ラファが顔をしかめる。
「それじゃ僕はコロナビールをもらおうかな」
「南条さんまで……。オゥケィ」
ラファは口をへの字にして肩をすくめた。
「こちらのお店は昼間からお酒も飲めるんですか」
「この前来たときに飲んでいる人がいたから。日差しを浴びながらコロナの瓶をあおるなんて、ちょっとワイルドでしょ」
「全然カッコ良くない」
めぐみの一言でテーブルが笑いに包まれる。
オーダーしたものがテーブルに並んだ。ラファの前にだけダイエットコーラのグラスのほかにチキンカレーの皿が置かれている。
「お昼ごはん、食べてなかったの?」
「いや、食べたよ」
あきれた表情のめぐみに構わず、ラファはスプーンを動かした。
くし形にカットしたライムの入った瓶を片手に、南条が散冴へ顔を向ける。
「それで、大城はその後どうなったの? 新聞でも新井病院のことばかりで龍麒団の話はあまり出てこないし」
「総合病院の院長が覚醒剤を製造していたんだから、マスコミにとっては恰好のネタだもの。まだしばらくは話題になるわよ」
めぐみはとがった生クリームの先を細長いスプーンで崩して口に運ぶ。
「服用しやすくて効果の大きな痛み止めを、と始めたというのがせめてもの救いではあるけれどね」
「要は失敗したのに金を稼ごうとしたんでしょ。結局は
視線をカレーに注いだまま、手を動かしながらラファが毒づく。
南条はテーブルにひじをついて身を乗り出した。
「で、どうなったの。あの刑事から聞いてるんでしょ」
四人の視線が散冴へ集まる。
「大城の行方は分からないようです。長野県警の初動が遅かったせいか非常線にもかからず、後になって長野駅付近で乗り捨てられた車が見つかっただけで足取りはつかめていないようです」
「そうかぁ。僕が見た、駐車場へ向かって走っていく後姿が最後なんだ」
「東京には戻っていないのね」
「ええ。新潟方面へ出て中国に出国したのではないかというのが警察の見方です」
ラファがスプーンを置いて顔を上げた。
「あそこまで追い詰めたのに、なんか悔しいな」
「私があそこで逃がしさえしなければ……」
散冴は頭を下げた。黒革の手袋をはめた彼の左手にめぐみが手を重ねる。
「なに言ってるの。あんな大怪我していたのに散冴くんはわたし達を助けてくれたじゃないの。それだけで充分よ」
南条は穏やかな顔で静かに声をかけた。
「右腕も骨折していたんでしょ。具合はもういいの?」
「ええ、おかげさまで」
「そういえばあの研究施設、取り壊されるのかと思ったら剣崎グループが買い取ったんだって」
散冴が右に顔を向けた。
「小夜子さんの仕業ですね」
彼女の耳元でささやく。
「あら、何のことですか。そういえば、最近はお仕事中でも独り言が多くなってしまって。長野に良い空き施設があるってどこかで話したかもしれません」
小夜子はうっすらと笑みを浮かべたまま、散冴の顔を見ずに小声で返した。
「建物を活かして中だけを改装して、老人向けの憩いの家を作るみたい。このまえ説明会があったって、おばあちゃんがすごく喜んでいた」
「へぇ、よかったじゃん」
ラファに声を掛けられ、めぐみは笑顔でうなずいた。
「とにかくAAAの販売ルートは断たれたわけだし、サンザ君に罪を着せようとした殺人の件も明らかになったんだから、僕たちの仕事はこれで終わり」
コロナビールを飲み干した南条が四人を見渡した。
めぐみがテーブルのパフェに目を落とした。
「中毒になっている人たちにとっては、ここからが辛いのかもしれない。わたし達、余計なことをしたわけじゃないよね?」
不安げに問いかけた彼女へ、散冴は大きく首を縦に振った。
「あらたに中毒で苦しむひとが生まれるのを防げたわけですから」
「そうよね」
めぐみはそっとほほ笑む。
「それでは今回の報酬です」
散冴はジャケットの内ポケットから四つの封筒を取り出した。
「わたしはいらないわ。情報を買い取ってもらえただけで充分だし、迷惑も掛けちゃったし」
めぐみは両手を胸の前で大きく振った。
「俺も。ヘマしちゃいましたから」
ラファは首を傾けて肩をすくめる。
「わたくしもいただくことは出来ません。そもそも何もしていませんし」
小夜子はゆっくりと頭を下げた。
「みんな奥ゆかしいなぁ。サンザ君が払ってくれると言うんだからもらっておけばいいのに。ま、その点、僕は大活躍だったからね。遠慮なくいただくよ」
南条は満面の笑みで手を伸ばすと立ち上がった。
「さて、それじゃ僕はお先に」
散冴から封筒を受け取り、右手を差し出す。
二人の握手をラファとめぐみは興味深そうに見ている。
「今日は何もないよ」
彼女たちの視線を感じた南条が歯を見せて笑った。
「あのマジックは相手が驚くのを楽しむんだけれど、サンザ君が驚く未来が僕には見えないからね」
南条は片手を挙げるとテラスを後にした。
「では、わたくしも。今日は夜勤なので」
小夜子が座ったまま散冴に頭を下げて席を立つ。
それを見計らったかのように、めぐみが散冴に顔を寄せた。
「今日はあのマンションに泊まってもいい? 二ヶ月近くも過ごしたから、愛着が湧いちゃって」
「あら、それじゃ新しい隠れ家を見つけないといけませんね、散冴さま」
立ったまま微笑を彼に送り、小夜子は去っていく。
その後ろ姿をふくれっ面で見送っためぐみが、散冴に膝を寄せた。
「ねぇ、いいでしょ」
「このあと仕事でラファと行くところがあるので」
ラファは驚いた顔を浮かべた。
「食事が終わったのなら、そろそろ行きましょうか」
「あ、はい」
あわててグラスのコーラを飲み干して立ち上がる。
めぐみの「もぉ……」という声に振り返ることなく、散冴は山高帽へ手をやり軽く持ち上げた。
あとに続いたラファは振り返り、片手を振って笑顔を贈る。
今日もこの街には互いの名も知らない者たちが幾度となく行き交っている。
昼下がりの雑踏に山高帽はいつしか紛れて見えなくなった。
― 了 ―
さんざめく左手 ― よろず屋・月翔 散冴 ― 流々(るる) @ballgag
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