第八章八節 接吻

 部屋に入るや否や、ベッドに座るシャインハイル。

 それに合わせ、シュランメルトも隣に座った。黒猫パトリツィアはベッドの下に隠れるように、前脚を折りたたんでちょこんと座っている。


 少しの沈黙を置いて、シャインハイルが話し出す。


「シュランメルト。わたくしは、寂しいのです。いえ、性格には“寂しかった”と言うべきですわね」

「寂しかった……だと?」


 シュランメルトの返答を聞いてから、シャインハイルは真剣な表情で話しかける。


「はい。ずっと貴方をお待ちしておりました」

「“ずっと”、だと? わずか1日だけで、か?」

「そうではありません……!」


 シャインハイルは目に涙をにじませながら、シュランメルトに抱きついた。


「貴方はご存知無いでしょうが、わたくしは貴方をずっと、待っていたのです……」

「ずっと、か……」


 シュランメルトはシャインハイルを抱きしめながら、耳元で囁くように問う。


「どのくらい、待っていた?」

「7年ほど……」


 シャインハイルは震える声で、問いに答える。

 それを聞いたシュランメルトは、瞬時に思考を巡らせた。


(7年、か。アルフレイドがベルグリーズ王国を守った時期と一致するな……?)


 そう考えつつも、シャインハイルを抱きしめる腕は緩めない。

 その間にも、シャインハイルは自らの心情を、シュランメルトに訴え続けていた。


「以前、夢で再びえた事を覚えていますか? シュランメルト」

「ああ、覚えているぞ。フィーレを助けた日の夜だったな」


 シャインハイルは頷くと、シュランメルトをより強く抱きしめてから、言葉を続けた。


「あの時は正直、内心では驚いていました。どうしてあそこまで平静を保てていたのか、不思議なくらいです。けれども、同時に嬉しくもありました。夢とはいえ、再会する事が叶ったのですから」


 ふぅっと息を吐いてから、シャインハイルが続ける。




わたくしは信じています。わたくしの、いえわたくしの願いが通じたのだと。そして我らが守護神のおかげで、貴方は再び、息を吹き返したのだと」




「そういえば、思い出したぞ。おれが目覚める直前に、声が聞こえた」

「声……とは?」


 唐突なシュランメルトの言葉に、シャインハイルが不思議がる。

 シュランメルトは穏やかに、問いに答えた。


「『行きなさい。行って使命を果たし、記憶を取り戻すのです』という声だ。声の調子は、何となくAsrielアスリールのそれに近いものだった」

「そういう、事が……」


 自身の想像の外にあった事実に、シャインハイルは驚く。

 シュランメルトはゆっくりと、答えを続けた。


「眠りから覚めた時には、おれは最初から既に、あの街にいた。そして、フィーレを助け出した」

「シュランメルト……。本当に、本当にありがとう、ございます……」


 シャインハイルは頬に涙を伝わせながら、震える声で感謝を告げる。

 離れていれども、シャインハイルにとっては大切なたった一人の妹なのだ。助けて貰って感謝を告げるのは当然である。


「良いのさ、シャインハイル。おれはただ、おれ自身の信念に従っただけだ」

「ッ……」


 シュランメルトはしばらくの間、シャインハイルを抱きしめ続けていた。

 シャインハイルが泣き止むその時まで、ずっと。




 やがて、シャインハイルが泣き止んだ。

 既にその顔には、純粋な笑顔のみが浮かんでいた。


「シュランメルト」

「何だ?」


 シャインハイルがシュランメルトを呼び、振り向かせる。

 顔が向き合う状態になった瞬間、シャインハイルが微笑んだ。


「失礼しますわ。ちゅっ」

「なん……んむっ!?」


 突然のキスに、シュランメルトが固まる。

 しかしシャインハイルは、止めなかった。

 むしろ舌を絡め、左手を後頭部に回したのである。


「んんっ……」


 しばし、キスの音が響く。

 シュランメルトとシャインハイルは、お互い取り込んだ酸素を使い果たす寸前まで、唇と舌を絡め続けていた。


「ぷはっ……! はぁっ、はぁっ……」

「ふふっ……。はぁ、はぁ……」


 唇のいましめが解かれると同時に、二人が急いで酸素を取り込む。

 特に、不意を突かれたシュランメルトは、かなり呼吸が荒かった。


「はぁ、はぁ……。何のつもりだ、シャインハイル……?」

「ごめんあそばせ。驚かせてしまいましたわね」


 シャインハイルは悪気無く、それどころか嬉しそうに言った。


「シュランメルト。貴方と再会出来た事で、ついはしゃいでしまいましたわ」

「……」

「……もしかして、本当に嫌いでしたの?」


 悲しげなシャインハイルの声音こわねに、シュランメルトが補足する。


「そうではないのさ。むしろ嬉しいくらいだ。貴女のような美しい女性と、このような事が出来るという事はな」

「それは、本当なのでしょうか……?」

「本当だ。おれは戸惑っただけで、貴女の口づけ自体は嬉しく思っているさ」


 シュランメルトはそれだけ言うと、シャインハイルの唇に口づけする。


「んむっ!?」


 今度は真逆の構図だ。

 シュランメルトがシャインハイルの背中と後頭部を押さえ、ひたすら口を重ね続ける。


「ん、んんっ……」


 シャインハイルは抵抗せず、シュランメルトに自らを委ねた。

 されるがままになり、シュランメルトの口づけを受け続ける。


「ぷはっ」


 それからしばらくして、満足したシュランメルトが口づけを解く。


「良かったぞ。シャインハイル」

「ふふっ、それは何よりですわ……」


 二人は抱擁ほうようをも解き、自由になる。

 そしてシュランメルトが、灯りの元へ向かった。


「どうするつもりだ、シャインハイル? 自室で寝るか、それともここで寝るか?」

「ここで、眠らせてくださいませ」

「承知した。消すぞ」


 そしてシュランメルトが、灯りを消したのであった。


     *


 シュランメルトとシャインハイルが眠りに落ちて数時間後。

 黒猫と化したパトリツィアは、何かを感じて起きていた。


(なーんか、気分が優れないなあ……。そわそわする)


 はっきりとは言葉に出来ないものの、それは徐々に強く、不快感となって現れる。


(ちょっと見てくるかな……!)


 パトリツィアは隙間から這い出すと、外を見る。


(うーっ、猫の視力じゃ全然見えない……!)


 ぼやけた視界にもどかしさを感じたパトリツィアは、人間の姿になる。


「ふーっ、やっとキレイに見え……って、アレ、まさか……!」


 その時、パトリツィアは見た。

 遠くの森の中で、月の光を反射する、山吹色の金属質な何かを。




Asrifelアズリフェル・_Gelbelgaゲルベルガ……! 何で単独行動してんのさ……!?」




 魔導騎士ベルムバンツェAsrifelアズリフェル・_Gelbelgaゲルベルガ

 それが郊外の森に、しかもたった1台で控えているのを不審がったパトリツィアは、すぐさまシュランメルトを起こすために駆け出したのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る