第五章 変身

第五章一節 黒猫

「ふあぁ……。目が、覚めてしまったな」


 翌日、目を覚ましたシュランメルトは、ゆっくりと辺りを見回した。

 空はまだ暗く、起きるには早すぎる時間だ。


「とはいえ、今さら眠る気分にもならんな……。仕方ない、少し城内を歩くか」


 普段着に着替えたシュランメルトは、部屋を出てベルリール城を散策し始めた。


     *


 それから15分後。

 特に歩く以外の何かをするでもなく、シュランメルトは自室に続く廊下に戻っていた。


「やはり、この時間はどこも静かなものだな……」

「ミャァ」

「ん?」


 鳴き声が、静かな廊下に響く。


「何だ?」

「ミャァ!」


 距離は遠いものの、何故だかシュランメルトには、どこから鳴き声が響いているかが分かっていた。

 彼は迷い無く足を進める。


「これは……!」


 そこには、シュランメルトがベルリール城に来てから最初に見た、二人の姫と一人の男が描かれた肖像画があった。


「ミャァ、ミャァ!」

「お前は誰だ? どこにいる?」

「ミャァ!」


 ひときわ大きな鳴き声が聞こえる。


「足元か? ……ッ!」


 シュランメルトの足元には、黄色く光るものが2つあった。

 一瞬の間をおいて、それが“猫の瞳”である事に気づく。


「お前は、猫か?」

「ミャァーン……ゴロゴロ」


 ほっぺたや体をシュランメルトにこすり付け、ゴロゴロと喉を鳴らす猫。

 その体は、夜の闇に紛れる黒色をしていた。


おれに用か? まあいい、撫でてやる」


 ゆっくりと頭を撫でると、黒猫は気持ち良さそうに目を閉じて座る。

 そうして撫でること5分。


「ミャァ、ミャァ! ミャーン!」


 黒猫は満足げに立ち上がり、静かに去っていった。

 一度だけ、シュランメルトを振り返って。


「何だったんだ、あの猫は?」


 黒猫が去っていくのを見送ったシュランメルトは、改めて肖像画を見る。


「ともあれ、やはりこの絵の男には妙な感覚を抱くな。何だろうな……? この穏やかな感覚……敵意ではないのだろうが」


 それからは穴の開くほど肖像画を見つめていたシュランメルトは、やがてシャインハイルに声をかけられて朝食へと向かったのであった。


     *


「シュランメルト。あなた、ベルグリーズ王国の首都であるここ“ベルグレイア”には、訪れた事がありますか?」


 朝食の後、フィーレがシュランメルトに問いかける。


「無いな」

「なるほど。よろしければ今日一日、ベルグレイアを案内して差し上げますわよ?」

「それは良いな。ところで、お前は王族だろう。仕事があるはずだが、放置していても良いのか?」


 シュランメルトのその言葉を聞いた途端、フィーレは「待ってました」と言わんばかりに、乏しい胸を張ってフフンと答えた。


「今日はお父様から、『御子様の元についておれ。それがお前の仕事だ』と仰せつかりましたの。ですから、わたくしはあなたと共に行動出来ますし、致しますわ」

「ふむ、それなら安心だな。では、ベルグレイアなる地の案内は頼む」

「引き受けましたわ!」


 そして二人は準備を終え、城を出たのであった。


     *


 ベルグレイア――ベルグリーズ王国が王都にして、ベルリール城の城下町でもあるこの街は、日の出よりわずか1時間ほどで活気づく。

 本日もまた、建ち並ぶ商店から賑やかな声が響き始めていた。


「ふむ、こういう喧騒もまた、新鮮だな」

「ですわよね? ベルグレイアの見どころの一つですわよ。もちろん“品揃えや質の高さも”、ですけれどね」


 フィーレは誇らしげに、ベルグレイアを紹介する。


「何か欲しいものはあるかしら? 100Beriaベリア……いえ、金貨1枚分まででしたら、買って差し上げましてよ」

「うぅむ、特には……」


 と、その時。


「ミャァン……」

「む?」


 シュランメルトの耳に、猫の鳴き声が響いた。

 フィーレには聞こえていないほどの、か細い鳴き声だ。


「フィーレ」

「はい、何でしょうか? シュランメルト」

「欲しいものが見つかった」

「でしたら、金貨を……キャッ!」


 シュランメルトは金貨を受け取るや否や、全速力で駆けていった。

 大慌てでフィーレが追いかける。


「ま、待ちなさいシュランメルト! 何をそんなに慌てて……ッ」


 不穏な気配を感じたフィーレは、慌てて建物の陰に身を隠す。

 そこには、何かを取り囲む6人の少年が、そしてシュランメルトがいた。


     *


「何だと?」


 リーダー格とおぼしき少年が、食ってかかるようにシュランメルトに問う。

 この少年のみならず、他の少年も全て服を着崩しており、しかも金属性の棍棒を手にしていた。一応とはいえ話し合いが出来るのが、最早相当な幸運と言える状況である。


「だから、おれはこの猫を買い取ると言った。それとも何だ、金貨1枚では足らないのか?」

「んな話をしてんじゃねーよボケッ!」


 少年は苛立たしげに、近くに置いていた木箱を棍棒で殴りつける。

 その音に、猫は体を震わせていた。


「オレ達はな、憂さ晴らしをしてたんだよ! それを邪魔しやがって……」


 少年のこめかみに、血管がくっきりと浮かぶ。

 それを見たシュランメルトは、話し合いは出来ないと即座に悟った。


「つーかテメエ、金貨もっと持ってんだろ? だから……」


 少年が、悪意に満ちた笑みを浮かべる。


「全部寄越せ、オラァ!」


 叫ぶと同時に、別の少年がシュランメルトの真後ろから棍棒を振り下ろした。


「フッ!」


 しかしシュランメルトは、それを易々と右手で受け止める。

 即座に殴り掛かった少年の右膝を蹴飛ばし、腕を取って棍棒をもぎ取った。


「さて、どうする?」


 何の感情も込めずに発されたシュランメルトの言葉に、5人の少年がたじろぐ。

 しかしリーダー格の少年だけは別だった。


「何ビビってんだお前ら! いいからこいつボコって、有り金全部奪っちまえ!」


 その言葉で、5人の少年が奮い立つ。

 迫る驚異を前に、シュランメルトはあくまで平静だった。


「ならば、躊躇はしない。覚悟しろ」


 少年の一人が頭部を目掛けて振った棍棒を、シュランメルトはわずかにかがんで避ける。

 振り切った棍棒を左手で掴むと、容赦なく少年の腹部を棍棒で突いた。少年がうめくと同時に棍棒を離し、シュランメルトは二刀流ならぬ二こん流となった。


「クソッ、こいつつえぇ……!」

「ただのハッタリだ! お前ら、一斉にいくぞ!」


 リーダー格の少年が、怯んだ3人を奮い立たせる。


「オラァ!」


 わずかな間をおいて、一斉に棍棒を振りかざす4人の少年。

 しかし、シュランメルトは。


「単調だな」


 一言だけ呟くと、身をかがめて2本の棍棒を逆手に持つ。

 頭上を2本の棍棒が通り過ぎ、逆手に持ったそれぞれの棍棒に振りかざされたそれが当たる。


「何だと!?」

「せいっ!」


 少年達が動揺し、また振り切った隙を突き、シュランメルトは両手の棍棒を支柱に宙返りを決める。

 着地したのち、両手の棍棒を軽々と振り回す。動けない少年達は、もろに打撃を受けざるを得なかった。


「ぐあっ!?」

「ぎゃっ!」


 瞬く間に3人を殴り倒したシュランメルトは、最後の一人をわざと放置する。

 戦意を喪失しているのを、確かに目で見たからだ。


「ひっ、ひぃっ……!」

「待て!」


 だが、何故かシュランメルトは最後の少年を呼び止めた。


「3つ、忘れ物がある。受け取れ」


 軽い調子で、両手の棍棒を放り投げるシュランメルト。

 棍棒は少年の足元に落ちた。


「後1つだ。これも受け取れ」


 そしてポケットを探ると、同様にして金貨を放り投げた。

 少年は慌てながらも、どうにかキャッチする。


「確かに猫の代金は渡した。では、貰っていくぞ」


 シュランメルトはかがみ、猫に「もう大丈夫だ」と話しかける。

 直後、彼の表情が固まった。




 その猫は、今朝シュランメルトがベルリール城内で出会った黒猫であった。




 最後の少年が逃げる足音すら聞こえていないシュランメルトは、震える声でこう言った。


「お前は……何なんだ?」

「ニャァ!」


 驚異が去った事を確かめた猫は、まだ震えておりながらも、嬉しそうに鳴いたのであった。

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