第一章九節 招待

「ふむ、貴女が“リラ師匠”か」

「その通りです。それで、貴方のお名前をお聞かせ願いたいのですが……」


 リラが問うと、青年は頭を横に振った。


「悪いが、おれに名前は無い。いや、“あったかもしれないが、思い出せない”と言うべきだろうか」


 その言葉を聞いたリラは、瞬く間に“ある事”に思い至る。


「記憶喪失、でしょうか……?」

「そう、認識している。名前を思い出すまでの間は好きに呼んでくれ。……もっとも、おれは行く当てが無い無頼ぶらいの身だから、また会えるかも分からんがな……ん、雨か?」


 シュランメルトの頭に、雫が落ちる。


「これは本降りですね……」


 リラの言葉通り、あっという間に本降りになった。


「仕方がありません、私の屋敷に泊まってください。名前は……そうですね。着いてから、じっくりと決めさせていただきます」

「有り難い申し出だ。どれだけ恩を返せるかはわからないが、しばらく世話になろう」

「そうされるのがよろしいですわ」


 リラは微笑みながら、再びOrakelオラケルに搭乗する。

 そしてOrakelオラケルが手のひらを差し出すと同時に、声が響く。


『乗って下さい! フィーレ姫と一緒に!』


 青年はフィーレ姫と共に、Orakelオラケルの手のひらに乗った。

 それを確かめたリラは、シュランメルトの上に反対側の手をかぶせてから、ゆっくりとOrakelオラケルを歩かせ、“工房”へ向かった。




 その後ろ姿を、憎悪に満ちた目で見つめる者達がいた。


「あ、あいつら……! よくも、兄貴たちを……!」


 傷だらけの姿で、彼らはいずこかへと去って行った……。


---


「お前の師匠は何者だ? フィ、フィ……」

「フィーレですわ。フィーレ・ラント・ベルグリーズ。気軽に『フィーレ』で構いませんわよ」


 Orakelオラケルの手のひらの上で、青年とフィーレは話していた。


「聞きたい事は山ほどあるが……ん? 待て。“ベルグリーズ”だと?」

「ええ、その通りですわ。わたくしの名前はフィーレ・ラント・ベルグリーズですわよ?」

「“ベルグリーズ”……。その名前には聞き覚えがあるぞ。ううむ……」


 青年は頭に手を当て、何かを思い出そうとしている。


「“ベルグリーズ”に聞き覚え? 聞き覚えも何も、わたくしは……って、あなたは記憶喪失でしたわよね。ごめんあそばせ」

「それは謝るな。本当の事だ……。だが、ほとんど何も覚えていないおれでも、その苗字だけは知っていたんだ…………」

「ちょっと、どうされましたの? わたくしの顔に、何か付いてますの?」

「違う。お前はあいつに似ているんだ」

「“あいつ”?」


 フィーレが首をかしげると、青年はある質問を投げかけた。


「お前……。母…………は違うな。多分そこまで離れた年じゃない。姉はいるか?」


「お姉様ですか? おりますわ。“シャインハイル・ラント・ベルグリーズ”という、姉が」

「! シャイン、ハイル……!」


 “シャインハイル”という名前に、青年が強く反応する。


「聞いた覚えがある。記憶の無い今でも、すんなりと思い出せるぞ……」

「不思議なものね。お姉様とお会いしたのかしら?」

「……分からん。今は、そこまでは思い出せない」

「そう。ゆっくり思い出していけば良いですわ。ところで、あなたの喉元のアザは?」

「アザだと? ああ」


 青年はのどぼとけに触ると、フィーレに向き直る。


「よく分からん。だが、生まれた時からずっとあったものだそうだ。……どうやら俺は、このアザの記憶も残っていたらしいな」

「分かったわ。今は、それだけ聞ければ十分です」


 フィーレが微笑み、青年の肩にそっと手を置く。

 と、Orakelオラケルの動きが止まった。


『二人とも、間もなく着きます!』


 リラの呼びかけから程なくして、豪華な屋敷が見えた。

 青年がフィーレに、質問を投げかける。


「ここが、お前の……?」

「そうよ。リラ師匠と私と、もう一人弟子がいるの。その子は男の子で、わたくしより少しだけ年下なのですわ」


 近づく屋敷を眺めながら、フィーレが青年に話す。

 やがて、Orakelオラケルが屋敷の前に近づくと、ゆっくりと止まった。


『着きました。私はこの子オラケルを格納庫に戻してから、合流します。先にフィーレ姫と一緒に、上がっていて下さい』


 リラはそれだけ言い残すと、Orakelオラケルを格納庫に向かわせた。


「それでは、わたくし達は先に行きましょう」

「承知した」


 フィーレの先導で、青年はリラの屋敷に足を踏み入れる。


「ただいま戻りましたわ!」

「お邪魔する」




「お帰りなさい、ししょー! ……って、あれ? フィーレ姫に……誰?」




 二人を出迎えたのは、童顔の少年だった。

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