episode.3
「私ね、将来は世界で通用する女優になりたいの」
唐突に、彼女は言った。
なかなかに突拍子もない事のはずなのに、不思議と「無理だ」とは思わなかった。
どうしてか、彼女ならなれそうな気がした。
「みんなに慕われる憧れの的だけど、裏では主人公をとことん追い詰める会社のマドンナとか、完全犯罪を企てる冷徹な知能犯とか、アクションもののめちゃくちゃ強くてかっこいい敵のボスもいいなぁ」
「…全部悪役じゃない?」
「だってかっこいいじゃん!最後はやられちゃうけど、それまではやりたい放題で自由で気持ちいいと思うんだよね」
「ははっ、そんな風に考えた事なかったわ」
眩しかった。見た目の綺麗さとか、そういう事だけではなくて、夢や目標を活き活きと話す姿が輝いて見えた。
「きみは?」
「え?」
「将来なりたいものとかないの?」
「俺は…」
唐突に話を振られ、途端に白紙のままの進路調査表が頭に浮かんだ。
ここのところ俺を憂鬱な気持ちにさせている原因だ。
一年生の後期から、定期的に渡されるようになった進路調査表。
今までずっと“未定”で出してきたが、そろそろ具体的に書かないとまずい時期になっていた。
だが、適当に書くわけにもいかない。
それが余計に頭を悩ませていた。
周りの様子を窺うと、はっきりとした目標があるやつは少ないながら、進学にしろ就職にしろ、興味のあるものや行きたい場所が決まっている人ばかりで、それが余計に俺を焦る気持ちにさせた。
もうあと何年かしたら、社会に出て働くようになっているはずなのに、その頃の自分の姿が全く思い描けない。
「俺は……、特にない、かな」
彼女の話を聞いた後で、何もないと言うのはどことなく憚られて、つい俯きながら小声で答えてしまった。
「じゃあ好きなものは?」
「え?」
「好きなものだよ。好きな授業とか、趣味とか、小さい時になりたかった職業でもいいよ」
問われて、自分でも忘れていた記憶が蘇った。
映画を観るのが好きだった。
初めて映画館に連れていってもらった時、そう大きくもない空間に、無限の世界が広がっていると感じた。
特に魔法や超能力が出てくるSFやファンタジーが好きで、好きなシリーズの新作が公開されるとすぐに、親にねだって映画館に連れていってもらったりもした。
二時間そこらの時間でこんなに人を幸せな気持ちにしてくれたり、わくわくさせてくれるものがあるんだと子どもながらに感動して、自分も作ってみたいと思うようになった。
自由帳に思い付くままにストーリーを書いて、こっそり持ち出した父のビデオカメラでフィギュアやぬいぐるみを役者に見立てて動かして撮ったり、見よう見まねでコンテを描いてみた事もあった。
子どもの落書きだったかもしれない。
けれど、あの時の俺は一所懸命で、真剣に映画を作っていた。そしてそれがとても楽しかった。
そんないつかの思い出を、思い浮かぶまま自然と話していた。
どうしてだろう。こんな、親にも友達にも話した事のないものを、何故初対面の名も知らぬ女の子に話しているのか。
理由は自分でもわからなかったが、不思議と話しているうちに心が軽くなっていく気がした。
「いいじゃん!すっごく素敵!」
隣で聞いていた彼女は、馬鹿にするでも否定するでもなく、ただ純粋に喜んでくれた。
「じゃあさ、私が有名な女優になったら、私を主演にした作品を撮ってよ」
「いや、映画を作りたいと思ってたのは小さい頃の話だし」
「そう?でも今のきみ、すっごく楽しそうな顔してるよ」
言われて思わず顔に手を当てた。
無意識のその反応こそが、答えを語っているようなものだった。
「今でも好きなんでしょ、映画」
「…うん」
「そうだなぁ、いきなり監督は難しいだろうから、経験値を上げて、いつかきみが名監督と言われるようになったら、私が主演で出てあげよう」
「さっきと言ってる事逆じゃない?」
「そうでもないよ。きみの作品に私が出る事に変わりはないんだから。ねっ、約束だよ」
差し出された小指に小指を絡める。
気付けばあれだけ激しく降っていた雨がおさまりつつあった。遠くの空には虹も見える。
ここのところずっと感じていた鬱々とした気持ちも、雨と一緒に上がっていくようだった。
「この雨が上がったら、映画を観に行かない?」
「帰って風呂入って勉強すんじゃなかったのか」
「それはそれ。だってきみと話してたら映画観たくなっちゃったんだもん。これも勉強だよ勉強!」
「サボリを美化すんな。でもいいよ。俺もそんな気分」
学校は、そりゃ行かないよりは行った方がいいんだろうけど、たまにならこんな日もありかもしれない。
そして帰ったら、映像学科のある大学を調べてみよう。
いつか訪れる未来に向けて交わした約束は、きっとこれからの俺の原動力になる。
晴れ渡った空の下、俺たちは並んで足を踏み出した。
この雨が上がったら 柚城佳歩 @kahon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます