ちょっとした旅行備忘録

朶骸なくす

夢の旅立ち

 ずっと、ずっと行きたい場所がある。

 それは夢で見た寺社であり、オカルトが好きな自分にとっては心を躍らす旅行であった。

 個人としては夢の中で見た風景なぞ、記憶の繋ぎ合わせやパラレルワールドとして扱い、昔から楽しんでいた。娯楽だったのだ。

 その中で幼い頃から見ていた寺社がテレビに映った時、飛び上がった。

 調べもしないで数十年を過ごしていたのは確か。よく呼ばれていると言われるけれども、それに対して懐疑的であったし、夢は夢として上記の通り娯楽なのである。

 だからして、テレビに映された風景に恐れを抱きつつも「ああ、どうせ暇だし」と思う。

 私の懐には祖父が亡くなった際、その人望で集められた香典が手元にあった。祖父が死んで一年、使う気もせず、保管していた「それ」を取り出して寺社参りをしよう、そう思った。そう思うことで何か解放されるのではないかと感じたのだ。

 この旅は、上記だけ見ると運命的なものを感じるかもしれない。しかし原因は、また違う所にある。また夢だ。

 七月の末辺りに、他の人も見るであろう、追いかけられる夢を見た。

 それまでゾンビやら人間やら巨人やら、追いかけられ逃げ戦う夢は何度も見ていたし、これもその類であろうと、追いかけられている誰かの視線から物事を見ていた。今回は体を操れず、ただ成り行きを見るだけであり、本当に「よくある夢」だった。

『私』を引っ張り走る誰かと『私』が引っ張る誰か。三人で逃げているようで何に追いかけられているかは分からない。逃げて逃げて、そこは屋敷だったのだろうか、一室に逃げ込むと端により、隠れるかのように『私』を引っ張っていた誰かは、何かを広げ、

「フクガンジへ行け!」と声を荒げた。その瞬間、部屋には黒い大きなものが入ってきた。横にいるのが『私』が引っ張ってきた『子供』であることに気づき、

 プツン

 と、夢が切れた。

 夢から目覚める時、私の中には二種類の起き方がある。

 見ていた風景、その視界から、ゆっくりと離れていく夢と「ああ、死んでしまう」と感じ「プツン」と強制的にスイッチを切られたような夢。いつも後者を見た時は「死んでしまったのだなあ」と、なんとなく考えている。

 今回もそうであろう。『私』は「あそこ」で死んだのだ。

『フクガンジ』に行くことも出来ず、きっと死んでしまったのだ。多分。

 しかし、命令されたのは初めてであり、それを覚えているのも初めてだった。

 寺社の夢を見る時は、だいたい風景のみで名前を知ることはない。まるで、そこに行くのが当たり前のように歩き、門をくぐり、中に居た人々と会話をするのだ。だから幼い頃から見ていた寺社の名を私は知らなかった。そして調べようともしなかった。

 だが、今回はどうであろう。命令されたのだ。

 目が覚め、わざと遠い所に置いた携帯電話を手に取り『ふくがんじ』と検索する。グーグルのトップにでてきたのは『ふくごんじ』で、むむ、と思う。先の夢の内容として現代ではない、未来でもない、おそらく過去。ならば名を変えた寺もあるだろう。

 何度も何度も調べ、この『ふくごんじ』という検索結果の下に『一願寺』という名が出ていた。出てきたからには『フクガンジ』という語句があるだろう。そう思いクリックしても該当する名前が見当たらず、携帯は駄目だと体を起こしてパソコンの電源を入れた。

 パソコンから調べた結果も同じであり、なぜ『一願寺』が引っかかるのだろうと時間も忘れて調べた。『ふくごんじ』の字と『ふくがんじ』の漢字が一緒であると分かった時、読み方を探していると、これもまた時間がかかった。なぜだろうと思うくらいに。

 そして決定打になったのは和歌山県のニュース記事である。

『一願寺こと福嚴寺(ふくがんじ)にてスプレーによる器物破損』

 ここでやっと『一願寺』が『フクガンジ』であることが分かった。

 そして私は「香典を使い、旅に出よう」と頭に浮かんだ語句をそのまま実行し五日間の旅が始まったのだ。

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