第11話 ヒカネの君、木曽谷を上る

 木祖谷隊そだにたいは、隊長ヒカネの君、副は津島之都見つしまのつみ綿津見わたつみの弟である。都見つみを支えるのは、その子、都見比古つみひこ綿津見わたつみの子、麻綿わたである。すべては綿津見一族わたつみいちぞくで占められた。弓の名手である猪頭ししがしらオルと鹿頭しかがしらソロも同行した。


 都見つみはアツミ族の船つくりをまかされており、上流の木祖の里とは、昔からのつながりがある。年に二~三度は、船材を調達するために木祖の川を上り、杣人(そまびと)の里を訪ねる。


 木祖きそ脛巾はばきまたぎの外、木こり衆も多く、山々の奥には杣人そまびとが守る主神ぬしがみの里がある。もちん主神ぬしがみ蛇様かかさまである。木を切るには、ケモノと同じように、蛇神かかかみの許しを受けなければならないので、麻績おみ麻幣あさぬさは欠かせないのだ。


 さらには、上質の小粒の黒曜石くようせきも人気がある。木こり衆は、狩猟用しゅりょうようの矢じりよりも縄引なわびきのこに使う固い黒曜石こくようせきを好んだ。小さな黒曜石をしなの縄やかしの木にはさみ、しっかりと締め付け、火でがしながら引くと大抵の木はたおすことができる。

 それでも、船の筏材いかだざいは大きいので、多くはあらし洪水こうずいで流された倒木とうぼくが使われた。


 都見つみは、いつもは倒木とうぼくがでるとそまの里を訪れ、筏材いかだざい丸太まるたを見定めに行くのだが、今回は探索隊たんさくたい副官ふくかんとしてやってきた。


 近頃は、山桜やまざくらの季節が終わると、一気に気温きおんが上がって雨が多くなり、山々のいただきからは、たちまち雪がなくなってしまう。あたたかい雨が雪をかすと、流れ出る水の量は半端はんぱではない。

 遠目には、新緑しんりょくに生える青々あおあおとした山なみであるが、近づいてみると、山崩やまくずれや倒木とうぼくのめくれた残骸ざんがいの姿に目をおおいたくなる。


 木祖谷隊きそだにたいが、川を上り始めて五日ほどが経った頃である。山あいの開けた場所に出た。そこも山肌やまはだくずれ、土砂と倒木が谷川の流れをせき止めていた。途中で山から降りてくるとがり山の脛巾はばきに出あった。


 「上の方には、たくさんの巨大なせきができている。昨日も、御嶽おんたけ鞍岳くらだけが噴火した。大地はれ、谷はけ、山がくずれている。せきが切れたら山のひとつやふたつはなくなる。尾根道おねみちだからといって安心はできない。これから先は脛巾はばきの案内でも難しいぞ。」


 その時であった。雲間に見える御嶽おんたけが火を噴き、大地が激しく揺れ噴煙ふんえんは、たちまち天に昇って山々を覆った。いきなり山際の向こうから、「ゴゴーッ、ドドドー」と地響じひびきと共に真黒まっくろな影が舞い踊るが如く、怪しげな姿が天を蔽った。


山神やまがみの怒りか。」


 一同はがよだつ思いで立ちすくんだ。しかし、その姿にまどわされず、敢然かんぜんと立ち向かう若者がいた。


 土煙つちけむりの正体は、五百を超えるしし鹿しか、それに続くさるよろずに及ぶねずみれであった。上空には、無数むすうのカラス、とび山鳩まばとが天をおおった。


 十六歳をえたばかりのヒカネは、その異形いぎょうのさまを見ると、ひるむこともなく、闘志とうしをかき立てているではないいか。


 一歩前に出ると、足の指一本一本を大地たいちり、漆黒しっこくの影にゆれる憤怒ふんぬ山神やまがみにらみ付けた。

 同時に、同い年の麻綿わたと年下の都見比古つみひこもヒカネの背後に立ち、ゆみかまえた。


「皆の者、ひるむな。鹿頭しかかしらソロは先頭の牡鹿おすしか三頭をよ。猪頭ししかしらオルは、先頭の大猪おおしし一頭を仕留しとめよ。われは、空をおおとびのカシラをねらう。ひるむな。」


 ヒカネの気迫きはく気丈きじょうな二人の若者の勇気に、皆の者はわれを取り戻した。ごう弓脛巾ゆみはばきも驚いた。二人は、すでにその態勢に入り、獲物えものねらいを定めていたからである。


 手前の窪地くぼちまでひきつける。地響じひびきをうならせ、舞い上がる砂塵さじんと共に、木の枝や小石が飛び散ってきた。暴れる山神の吐息といきが、いまにもれんばかりに迫り、窪地くぼちの手前で、木曾谷隊きそたいを呑み込もうとしたその時、


「打てっ。」


 勢いよく矢が放たれた。ソロがはなった三本の矢は、今にもおそからんとする山神やまがみの右足の三本のつめを打ちくだき、オルの放った矢は、山神やまがみを支える巨大な左足のこうを突き抜けた。


 ヒカネが放った矢は、天をおおい舞いくる黒雲くろくもの脳天に突き刺さった。ドサリと鈍い音が聞こえた瞬時に、山神やまがみの一群は左に方向を転じ、つむじ風のごとく姿を消した。


鹿頭かがしらソロの声が響いた。

「急いで、右の岩山いわやまに登られよ。山神やまがみの後ろから、荒神あらがみが襲ってくる。水神みずかみが暴れる。せきが決壊したのだ。」


 ソロが先んじてけあがり、皆はそれに続いた。高台たかだいに上ると、たちまちちに眼下には、あばれまくる濁流だくりゅうが襲いかかった。巨石が土砂と共に流れ、倒木はバキバキと音を立てて流れた。


 その勢いのすさまじさに一同は顔を見合わせて、無事を祈った。若き隊長たいちょうヒカネのいのちけた戦いであった。


 副官都見ふくかんつみは、初めて見るヒカネの凛々りりしい姿に目を細めた。だが、事態じたいは急変していた。このあたりのみねたにかわの地形は熟知じゅくちしているはずであったが、あるはずのみねはなく、あるはずのさわもなかった。


そばにいた脛巾はばきひざを折って、ヒカネの前に出た。

とがりり山の脛巾はばきがヒカネの君に申し上げます。この沢より上は、もはや誰も寄り付けることができません。先ほどのしし鹿しかさるはこの山の最後さいごの守り主であります。」


「上流の脛巾はばきの里、そまの里は、今の地震と濁流で流されたというのか。」


脛巾はばきの里は、山水に襲われても困らない場所に作られておりますが、あれだけの噴火ふんか地震じしんに見舞われては、どうにもならない。それにしし鹿しかさるがいなくなれば、生活はできますまい。」


 すると、別の脛巾(はばき)がいった。

 「蛇神かかかみの祈りの声が聞こえます。かかさあは、一人残って里の神、山の神となりなさる。」


 ヒカネにも、山神の祈りが聞こえたのか、こうべを垂れ、柏手を打った。それに続いて皆々も頭を垂れた。だが、都見つみの心は先を急いでいた。


 「われら、この先、諏訪すわの地にて兄、綿津見わたつみと会うことになっております。この辺りは、すでに洪水と地震で、山々の姿すがたが変わり、道もない。どうでしょう。火の山の御嶽おんたけはどこからも見えるし、峰の姿も変わらずに神々しい。諏訪すわの地に向かう前に、御嶽おんたけのホホノキ神を訪ねてみてはいかがでしょう。御嶽おんたけの神ならば、この地のあめつちの様子もご存知のはず。」


都見つみ提案ていあんにヒカネは、御嶽おんたけの噴煙を遠くに見やって応えた。


御嶽おんたけホホノキ神のことは、われも聞いている。つち族の中でも最も荒々あらあらしい神だ。浅間の火神ひかみと御嶽の火神ひかみは、一度、噴火すると恐ろしい山の荒神あらかみになりなさると。」

ヒカネの視線は、御嶽おんたけの噴煙から目をらさなかった。


「それだけに周りの里神からは頼りにされており、脛巾はばきの数も多いと聞いている。もしかして、御嶽おんたけホホノキ神なら、輝々星神かがほしのかみこともご存知であるやも知れない。誰か、ホホノキ神の居場所いばしょを知っているものはいるか。」


すると、先ほどのハバキが再び口を開いた。

「わしは、御嶽おんたけ鞍岳くらだけを行き来する脛巾はばきであります。居場所いばしょは知っておりますので案内いたしましょう。だが、五人を上回る数では行けない。わしのほか四人を選んでほしい。」


「どのくらいの日数で行けるのか。」

「ここからだと三日、往復で六日。このまま諏訪すわに進めば五日であります。」

 ヒカネは、都見つみの顔を見ながら、まず、自分のおもいを口にした。

「都見(つみ)は、残りの部隊ぶたいを連れて、先に諏訪すわで待つ綿津見わたつみに合流してくれ。われは、麻綿わたと共に御嶽おんたけの神に会おう。後から、諏訪すわに向かうぞ。」


ヒカネは、都見つみを、一刻も早く諏訪すわに向かわせたいと思ったのだが、都見つみは、副官ふくかんとしてヒカネと別れるわけには行かなかった。


「ヒカネの君には、麻綿わたの外、われとソロがお供をいたしましょう。」

都見つみは、出立の時、兄の綿津見わたつみから「われの代わりとして、いのちに代えてもヒカネの君を守れ。」とのめいが下っていたのだ。


「わが子、津見比古つみひこを先に諏訪すわに向わせ、これまでのいきさつを綿津見わたつみに報告させましょう。」

 木祖谷隊そだにたい御嶽隊おんたけたい諏訪隊すわたいの二つに分かれて行動した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る