第10話 熊野(くまの)の脛巾(はばき) 

 ジンが麻績おみのオババに夢見ゆめみの話をしていたころ、麻績おみの探索隊は三方に分かれて山道やまみちけていた。いずれも山また山の奥深おくふかい地域ばかりであった。


 これらの山地に入るには、けもの道にくわしい案内人が必要であった。アツミ一族が海を航海こうかいするのに星読ほしよみがいるように、山には山を案内する脛巾はばきがいた。


 山々の尾根おねと谷の姿を熟知じゅくちし、くま鹿しかししと共に生きる山人さんじんである。捜索隊はハバキが欲しがる黒曜石こくようせき極上ごくじょうあさをもって山に入った。


 熊野くまの入りの隊長は麻績亘おみのわたりと言った。隊員はわたりを含めて八人、脛巾はばきは一人いた。探索隊は、麻績川おみがわ水戸みなとを出ると熊野川くまのがわに向かった。河口の貯木場ちょぼくじょうで船を降りると川を上った。


 わたり熊野くまの大滝神おおたきかみの前にこうべをたれ、一行はそこで野営やえいした。夜通し松明たいまつを赤々と灯し、入山にゅうざんの祈りを捧げた。ここから先は、脛巾はばきにしかわからない。男はハバキのアカと言った。


 「熊野川くまのがわを上れば玉おき山、頂上に大きな玉石たまいしがあるぞな。そこは、最初の目印めじるしじゃ。玉石たまいしからは、熊野くまの紀伊きい山景色やまけしきが見えるぞなぁ。」


 「アカと言ったな、よろしくたのむぞ。これは、神津島こうづしま黒曜石こくようせきだ。われらの気持ちだ、とっておけ。もう一つ、この麻績おみ麻幣あさぬさは、お前の主神ぬしかみへの奉納品だ。持ち帰って、かか さあに捧げておくれ。」


 アカは、にやりと笑みを含んで黒曜石こくようせきを受け取りふところに入れ、一方の麻幣あさぬさは、頭上に挙げてうやうやしく拝礼した。

 周りの者は海人うみんどばかりで、山脛巾やまはばきに会うのは初めての者も多く、興味津々きょうみしんしんであった。


 松明たいまつあかりが、煌々こうこうえ、皆々の顔をらした。

「アカの住処すみかはどこじゃ。決まったところがあるのか。」

「ハバキはやまがねぐらじゃ。山ごとにぬしがいるで、そこそこにかかさあが取り仕切しきっておられる。」


 燃え盛る松明が「バキッ」と音を立てて倒ると、火の粉が舞い上がり、夜空を焦がした。再び、静寂せいじゃくが戻ると、アカは話をはじめた。


 「わしらは、山に入ってくまを追い、ししを追う。わしは猪脛巾ししはばきじゃから、猪追ししおいの名人じゃ。主神ぬしかみ姫神ひめかみよりもししくまと一緒にらしておる方が長い。」


 「アカは、一人でやるのか。」

 「日ごろは、一人で山を駆けているが、大物が出た時には、何人かで組んでやる。狙った獲物えものはわしらが子供の頃からよく知っている相手だ。玉おき山のくまししなら親子兄弟おやこきょうだいも同じじゃ。」


 「ならば、情けが移るであろう。」

 「情けはあるさ。だがな、やるときはやらねばならない。悲しみも涙もない、真剣勝負しんけんしょうぶじゃ。アツミの黒石くろいしはわしらの宝じゃ。神さあにししを捧げるときには、アツミの矢じりを使う。」


 「アツミの矢じりは、神の力が宿っている。山神にお願いをするのか。」

 「大和やまと道案内みちあんないを務めている熊脛巾くまはばきくまこわがらずに向かっていく猛者もうじゃじゃ。奴は、早打ちの名人で弓のうで神業かみわざじゃが、「くまは自分の身内もおなじじゃ。くまのお蔭でわしらは生きておる。くまいのちを食って生きておる。くまは神さあじゃ。」といつも言っている。脛巾はばきは古くから山のぬしとともにある。山のおきてを守って生きておる。」


 アカの話に、みな、聞き入っていたが、隊長の亘(わたり)が途中でさえぎった。

「さて、アカよ、輝々星神(かがほしのかみ)のことだが、どこにおいでか見聞みきききしたことはないか。われらは熊野川くまのがわを上り、尾根道おねみちに沿って探そうと思っているのだが。輝々星神《かがほしのかみが立ち寄れそうなところは、どのようなところであろうかのう。」


「それは、山のかかさあに聞くのが一番じゃ。わしら脛巾はばきの者は、獲物えものったら必ず、かかさあのところへ行き、熊神くまがみ猪神ししがみ鹿神しかがみに命をお返ししなければならない。するとかかさあは、ケモノのたましいを山に戻してくれるのさ。」

 アカは、左右の掌を合わせると、それを頭上に伸ばして、祈りの姿を示した。


「こうして、わしらのつみ、とがもはらはよめてもらうのさ。これは山のおきてだ。だからかかさあのほこらにゆけば、山々の脛巾はばきが戻ってくる。もしどこかのハバキが輝々星神かがほしのかみの一行に出会うことがあれば、必ずやかかさあが知っているはずだ。」

「猪(しし)のアカよ、ありがとう。よくわかった。明日からはアカのいう通りに進もう。みな、良いか。」


 パチパチと音を立ててえ上がる炎。猪脛巾ししはばきの話は、一つ一つが山の掟であり、新鮮であった。アカも、めったに会うことのない里人さとんどたちとの談笑だんしょうに時のたつのも忘れて語り合った。


 五日目の昼頃ひるごろ、「尾根道おねみちの半分は過ぎたぞ。」というアカの声に一同は一休みした。太陽が真上に昇り、久しぶりに雲が晴れ、青々と透き通る天津御虚空あまつみそらはまぶしかった。


 隊長のわたりは、山々の連なりに目を細めて眺めた。竹筒たけづつに入った谷水たにみずをゴクリと飲み、干し肉をみしめた。その時である、雲なき青空あおぞら稲妻いなづまが走った。突然、谷川から風が吹き上げ、きりが舞いてくもき出てきた。アカの顔色が変わった。


 「急がねばならない。このまま尾根道おねみちにいては危ない。急いで、あの岩の向こうから谷に下りましょう。」


 たちまちに、強い雨が降り出した。かぜい、四方から大粒の雨が一団を襲った。一行は間一髪かんいっぱつで谷への下り道に入いることができた。すでに上空は猛烈もうれつ雨風あめかぜが吹き荒れて、あたりは真っ暗になった。


「危ないところであった。一歩間違いっぽまちがえば、吹き飛ばされるところであったぞな。ここまでくればもう安心だ。じゃが、すくに谷川の音が大きく響きなさるぞなるぞ。この大粒の雨が峰々みねみねを伝い、一斉に谷に向かう。山道やまみちは川のように雨水の通り道となる。足を取られるな。その大きな木を降りたところに岩祠いわのほこらがある。」


 ほこらの中は洞窟どうくつになっており、玉置たまおき主神ぬしがみの社に通じていた。しかし、ここにも雨水は容赦なく流れ込んでおり、流れに沿って谷に下った。


 玉置の蛇神かかかみキノキは、数人の巫女と共に祈りを捧げていた。いきなりの豪雨で、脛巾はばきの者たちが次々に山から駆け込んできた。

「蛇(かか)さあ、おねげぇします。」

「体が冷え込んじまったよ、蛇(かか)様。」

「ほれ、今日の山の恵みじゃ、蛇(かか)さあ。」

と次々に祠に入ってくる。見上げるほど体の大きな男が、縮こまって入ってきた。


「おや、今日は、みなれねぇごジンがいっぱいじゃねえか、どうした。シシのつれか」


 アカは静かに首を縦に振った。祝詞が終わると蛇神かかかみと巫女は、恭しく拝礼を済ませ、脛巾はばき衆の方に向きを変えた。蛇神かかかみキノキの周りに姫神が寄り添い、姫神の周りには若姫や幼姫が赤子を抱いている。


「年々、天水あめがひどくなるのう。熊野の蛇神かかかみにお尋ねしても、ちっとも返事がない。」


 アカは麻績亘おみのわたり蛇神かかかみのまえに案内した。


玉置たまおき蛇神かかかみキノキに麻績おみのワタリが申します。族長、綿積之麻績わたつみのおみの命により、輝々星神かがほしのかみ探索のため、熊野くまのの山中を歩いております。道案内みちあんない猪脛巾ししはばきのアカ。玉置たまおき蛇神かかかみキノキは、麻績おみのオババの血筋と聞いております。キノキ神からもハバキ衆の皆に協力いただけるよう、くれぐれもよろしく願いいたしまする。」


 わたり堅苦かたぐるしい挨拶に、キノキ神は、気持ちをほぐすようにとゆっくりと話し出した。


「そうか、そうか、よくここまでおいでなさったの。いきなりの雨でお怪我けがなどはありませんでしたか。日高ひだかのことは麻績おみのオババからもよく聞いておりますぞ。われらつち族には脛巾はばき衆が足となって、各地の主神ぬしがみのことをよく伝えてくれるのじゃ。」


 わたりの突き詰めた顔色かおいろを見ながらの返事へんじであったのだが、わたりにはその思いが伝わらずに、追い打ちをかけるように問いかけた。

「ならば、話ははやい。輝々星神かがほしのかみのこと、玉置神たまおきのかみの耳に入っておいででしょうか。」


「このあたりは、熊野くまの蛇神かかかみ大主おおぬしじゃから、そのような話は、熊野くまの蛇様かかさまが最もくわしいはずじゃ。じゃが、その肝心かんじん大主おおぬしとは近頃、連絡が取れなくなってのう。」


 キノキ神は、周りのハバキ衆に問いかけるように、目を走らせたが、誰もも返事がなかった。

祝詞のりとをあげても全くなしのつぶてじゃ。熊野くまの脛巾はばき衆に尋ねても、所在なしじゃ。主神ぬしがみが居なくなることはないはずじゃがの。」


 そこに一人のハバキがけ込んできた。

飛騨ひだ御嶽おんたけ蛇様かかさまとは脛巾はばきの行き来があるようで、わしらの里にも、飛騨ひだ木祖きそ脛巾はばきが時々流れてきよる。ほれ、飛騨ひだ脛巾はばきよ、なれの里の話を聞かせてやれ。」


 前に出たのは、ボロボロの麻布あさぬのを巻いた脛巾はばきであった。体中からだじゅう生傷なまきずだらけで、昨夜、熊野のかかさあを尋ねたらしいが、見当たらず、ここに来たという。


熊野くまのはいいところだ。木祖きそ飛騨ひだの奥は日に日に、天地あめつちくるい、山之水神やまのみずかみが暴れまわっている。くまししもいなくなり、すばしこい鹿しかむれですら水に呑まれた。」


 誰かに話さずにはおれないと、あふれ出るように話し出した。


「あの恐ろしいとがり山の尾根おねは山肌がくずれ、谷はれてますます深くなった。北の日高ひだかの国では寒さでい物ができず、くましし鹿しかもいなくなったというが、こちらでは、山々の頂があたたかくなり、春になる前に、ゆきあめに代わり、水神みずのかみあばれて滝となり、ハバキの住処すみかはもとより、山神やまがみの里までも流されてしまっておる。」


 ハバキは、自分の里のことを言ったのか、声を詰まらせて咳き込んでしまった。涙を流しながらさらに続けて言った。


「ひと月まえのことよ。飛騨ひだの小さな山里が丸ごと流された。かかさあも姫神ひめかみさあも命を失い、生き残った者たちは、山中をさまよい、方々に身を寄せた。だが、行き場のない子供たちはみじめなものだ。われは山歩きの途中、岩陰いわかげに隠れて、ふるおびえて抱き合う三人の子供と出会った。子供たちは、「ほかの者たちは熊野くまのに行った。熊野くまのに行きたい。」というので連れてきた。」


「やはりそうか、熊野くまの蛇様かかさまが忙しいはずじゃ。」


「そのうち飛騨ひだの山から別の里人もやってくるに違いない。主神ぬしがみは、命のある限り、自らの里を離れてはならぬというおきてがあるが、このままでは、飛騨ひだ木祖きそも全滅だ。何とか、熊野くまのの里に新しい姫神ひめかみの移し替えがならぬかと思うている。」


また、別の熊野くまの脛巾はばきが言った。

「わしの祠にも、とがり山のハバキがきたぞ。奴らは高い山での息と寒さには慣れているが、近頃の冬の暖かさにはかなわず、体をやられて猟に出れないものが多いという。蛇神かかかみは、その地に骨を埋めるしかないが、小さなやや子が多いと、それは、それ悲しいものだ。せめて姫神や幼い子供たちだけでも預かってもらいたいと熊野くまのを頼りにしているようだ。だが、われら脛巾はばきはハバキで、かかさあや姫神ひめがみさあをてて、ほかの山に入ることはできねえ。とがり山の脛巾はばきは子供たちを熊野くまのの里に置くと、明日、また飛騨ひだへ帰ると言っていた。」


 思いもしない事態が、熊野くまのの山々に起こっている。麻績亘おみのわたりは、これ以上、蛇神かかかみの足手まといになってはならないと思った。


「なるほど、ハバキの言う通りだ。麻績おみの里の対岸は、木祖、飛騨の河口。木祖川きそがわ飛騨川ひだのかわ氾濫はんらんを起こし、航海用こうかいよう船丸太ふねまるたは全部流された。神島かんのしまや半島の麻績別おみわけの里にも濁流が押し寄せ被害が出ていると聞いた。」


 わたりはそこまでつぶやくと、はっとわれに返った。


木祖川きそがわには、ヒカネの君を隊長とする津島之都見つしまのつみの一行が川を上っている。」


 亘の顔色がさっと変わった。

「キノキ神に感謝いたします。もはや、一刻いっこくを争う。わしはこのまま山を下りて、麻績おみの里にもどり、族長、筒之麻績つつのおみと共に、ヒカネの君を追う。アカと残りの者は、明日、飛騨ひだに帰る脛巾はばきとともに、先に出発してもらいたい。キノキ神にお願いでございます。熊野くまのには、われらの外に二つの部隊がすでに探索たんさくに入っております。残りの部隊に、このことを伝えて頂けますでしょうか。」


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