第9話 姫ジンの夢

 ジンは、麻績川おみがわの上流を散策さんさくしていた。出航の前、日高の春は珍しく野桜のざくらが花を付けたが、もう何年も厳しい冬の後には花も開かず、短い夏があるだけであった。ジンは、初めてふれる南国なんごくの暖かい陽ざしにむかい、時折、ほおをなでる冷たい風を楽しんだ。


 水辺に近づき、水面みなもに目をらした。産まれたばかりの子魚こざかなが群れをなして遊んでいる。そっと手を差し伸べると、子魚たちは、散り散り別れ、すぐに、またもとにもどった。その姿すがたをじっと見つめては、何度も繰り返した。


「わが一族もこのようにあればいい。いつの日かこのように再び、集まれるだろうか。」


 その時、上流から背丈ほどの大きな木片が流れ着き、ジンの視界をさえぎった。周りには何もなく、一本の丸木が岸辺きしべただよっている。そばに近づいてみると、なんとそこにはきずだらけの若者が、つたからまっているではないか。


 おどろいたジンは、走り寄って若者の体を抱えた。生死のほども分からず、絡みついたつたを取り、岸辺きしべに若草の葉をめ横にした。


 自らの首飾くびかざりをはずし、若者の首にかけた。若者は、色とりどりの勾玉を胸にしていたが、その上からそっと巻きつけ、たましいを呼び戻す願いを祈った。心配して迎えにきた麻績おみの姫たちは、二人の姿を見てすぐに助けを呼んだ。


 屋敷やしきに連れられた若者は、薬師くすしのもとに運ばれたが意識はもどらない。ジンは、付ききりで看病かんびょうした。三日たち、ひと月が過ぎたが若者の容体は変わらなかった。

 薬師くすしが今日もやってきて、手のほどこしようもないという顔をしては水を含ませた。その時、ごくりと飲み込み、気を取り戻したかに見えたが、そのまま意識は戻らなかった。

 

 このような状態じょうたいが続き、一年が過ぎ、三年がたった。ジンは自分のことのように夜も昼も離れることなく看病かんびょうした。三年目の春、桜の花びらが風に飛ばされて、若者の顔に舞った時、ほのかにほほに赤みが差したが、若者はそのままいきを引き取った。


 ジンは泣きくずれ、き父オトウツシ、叔父輝々星之神かがほしのかみ、あめのみなかぬしの神、たかみむすびの神、かみむすびの神に祈った。

 その夜、ジンは、若者の亡骸なきがらとともにごしたが、朝日あさひが昇る時、若者は一匹の小さな白蛇しろへびとなって姿を消した。傍らにはひとつ、緑の勾玉まがたまが残されていた。ジンは緑の玉を自分の勾玉につなぎ首にかけた。


 ジンは目がめると、オババの姿が見えた。

「目は覚められましたか。疲れは取れましたかのう。そんなに目をぱちくりとして、何があったのでしょう。」


「夢でありましたか。本当に、夢でありましょうか。夢であるならば、昨夜、オババが申されたとおり、われがこの麻績(おみ)の里にお伺いした訳が分かったように思います。」

 オババは、にこにこと目を細めて、「そうか、そうか」と言うばかりであった。


「われは、あるお方の御子みこを授かりました。この御子みこを生み育てるためにオババの里をお尋ねいたしました。どうか、この子が無事に成長するまで、ここに置いてください。それにこの勾玉まがたま首飾くびかざり、夢のお方のものであります」


「それは、それは、おめでたいことじゃ。皆でお祝いをしなければならんの。これも何かのえにしじゃ。母様ははさまを亡くしたオトウツシ姫ジンよ。これよりこのオババを母様ははさまとなして、心行くまで麻績おみの里に腰をすえるがよい。安らかな心持ちで子を産みなされ。」


 オババは、大層に喜んでジンの心をいたわった。

「今や宇都志の子をめるのは、姫そなたをおいてほかには誰一人としていない。姫子ひめこが生まれれば、そなたはあめ族宇都志の母神ははかみとなる。宇都志の血を守れるのは、ジン、そなたじゃ。そなたには、この麻績おみの里で次の世の新しい宇都志うつしの子を産み育てる大切な仕事が残っている。共に、輝々星之神かがほしのかみの安全と日高ひだかの国の行く末を祈ろう。

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