第6話 姉弟(あねおとおと)の旅立ち

 オトウツシと香具姫かぐひめとの間には、亡きオト比古根ひこねのほか、オトウツシ姫ジンとウツシヒカネという双子ふたご姉弟あねおとおとがいた。箒星ほおきぼし異変いへんから早や、五年の歳月が過ぎた。


 短い夏がやってくる前、うつしの里には珍しく、あめつちなごみて、野山は一斉に若葉わかばはなに被われた。野さくら満開まんかいの中、オトウツシはむすめ息子むすこの二人に看取みとられながら息を引き取った。姉弟あねおとおとは父の吐息といきが消えると、静かにこうべを垂れ、かしわ手を打って御魂みたまとむらった。


 数日前、オトウツシは、二人ふたりを呼びつけていった。

「わがむすめ息子むすこよ、いてくれ。あれから五年の歳月が過ぎ、ようやくわれのいのちも尽きようとしている。若き輝々比古男かがひこおとオト比古根ひこねには、つぐないようのないあやまちを犯してしまった。われは命果いのちはてても、なお、つぐないを終えることはない。」


 オトウツシの息は弱々しく、消え入らんばかりであったが、その声は、ジンとヒカネの耳に、はっきりと聞こえていた。

「二人の御魂みたまえるまでは、朝夕、日のあがり、日のりに手を合わせ、つきちた日には一族のみなでとむらってくれ。わが妻、香具姫かぐひめ荒魂あらたま八拳之剣やつかのつるぎに収まっている。このつるぎさやを抜かない限り、のろいは封じ込まれている。兄たちの御魂みたまえたとき、母神ははがみのろいも消える。」


 オトウツシは、いのちえるばかりに目をつむった。ジンが、水をひらすくいい口に含ませると、いきき返した。

「二人はこれより、たび支度したくをせよ。アツミの船に乗り、さきの族長、輝々星かがほしを探し出し、一族の再興さいこうに尽くしてほしい。輝々星かがほしは、神々との約束を守るために、すべてのなさけを断ち切って日高ひだかを離れた。もはや、わが一族の命運は輝々星かがほしに託されている。」


 オトウツシのくちびるは、もはやほとんど動いていなかったが、ジンとヒカネにだけは、こえていたのであろう。


「お前たちは、双子ふたご姉弟あねおとおと新月しんげつみがえりまつりのさなかに生まれた。一族の再生、生まれ変わりをたくされた子として迎えられた。この世に生まれてからというもの、共に同じほしの下でごし、一族の皆から暖かく守られてきた。」


 もはや、オトウツシのこえいきもなかった。父と子の最後さいごわかれであった。

 「今にして思えば、あねジン、おとおとヒカネの名は輝々星かがほしの神にいただきし名。輝々星かがほしが与えたもうた唯一ゆいいつの名である。二人して、輝々星かがほしにまみえたまいて、兄たちの勾玉まがたまを渡し、われらの最後さいごの姿をつたえてほしい。日高の弥栄いやさかを願って、なんじらが一族の子孫につなげ。」


 ジンは、父の言いつけを守って二人の兄、輝々比古男かがひこおとオト比古根ひこね勾玉まがたま小壺こつぼに入れ、それを麻布袋あさぶくろで包んだ。兄たちの鎮魂ちんこんを誓い、さらにふところから別の勾玉まがたまを取り出して、そっとわがむねにかけた。


 ヒカネもまた、父のむねけられた勾玉まがたまを外し、それを自分のむねにかけた。さらに「のろいの剣」と化した八拳之剣やつかのつるぎを手に取ると、父の御魂みたまの前に捧げた。母神ははがみいかりをしずめるためのいのりを、父から自分に引きぐことを固く誓った。


 オトウツシのいいいつけどおり、船立ふなだちの準備をしていたアツミの香々背男かがせおがやってきた。船は丸木まるきをつないだもので、筏船いかだぶねの上には小さな屋根付やねつきの小屋がえられている。


 いかだ両脇りようわき丸木まるきは、特別に太く、長く突き出て筏船いかだぶねを支えている。丸木は、一本一本、中に空洞くうどうが掘られて浮力ふりょくが利いている。

 

 丸太をつなぐために横木が何本も通され、それらをしばるのはしなの木から作られなわである。しっかりと固定されているため、いかだの上に作られた小屋こやは思ったより乗り心地が良い。


 四隅よすみき出た丸木には、右左さゆうにそれぞれ六人ずつがかいを持ち、本体ほんたいの両脇には、五人ずつのぎ手がすわっている。すでに全員がそろかいをあめつちに立てて出航しゅっこう合図あいずを待っている。時折、ほおを突き刺す冷たい風が舞ったが、海はぎ、旅立たびだちに相応ふさわしい穏やかな日和ひよりであった。


 香々背男かがせおは、アゴひげが長く垂れており、顔中かおじゅうしわだらけの高齢こうれいに見えるが、船首せんしゅに立ち上がって、大幣おおぬさを突き上げる姿は、気迫きはくに満ち満ちている。ぬさげられると、全てのかい海面かいめんに付けられた。ぬさが振り下ろされ、太鼓たいこが打たれた。


 船上せんじょうの空気は、一斉いっせいに張り詰めた。

「おおっ、おおっ、おおっ。」

け声が上がり、三十四人のかいなに力がみなぎった。かいが水面にさささり、海水をしのけると、筏船いかだぶねゆるやかに動き出した。


 ジンとヒカネは、香々背男かがせお一挙手いっきょしゅ一投足いっとうそくにくぎ付けとなった。香々背男かがせおの心と漕ぎ手の心はひとつになっている。自分たちもこの一つの空気の中に入れることを祈った。


 沖合おきあいに出るとぎ方は止んだ。沿岸に沿ったしおの流れは北に向かうが、沖合にはみなみに流れる大きなしおがある。なみが高くなれば、陸に上がるが、なみが静かであれば、夜でも海の上である。

 満月まんげつの時に船出した月が半分に欠ける頃、沖合のしおが変わった。潮目しおめを見ながらの航行こうこうとなり、アツミの船はさらに南下する陸沿いの潮に乗って進んだ。


 ふさの国の半島を過ぎると、香々背男かがせお指差ゆびさした。

「あれに見えるのが「火の一つ島」であります。目をほそめるとけむりが立ち上っているのが見えましょう。アツミの里、神津島こうづしまは、その向こうにあります。」


 香々背男かがせおは、その小さなな体躯からだと鋭い眼球で水平線のはるかかなたの島影しまかげをとらえた。だがヒカネにはけむりも島の姿も見えなかった。房総沖ぼうそうおきから「火の一つ島」の煙が見えるはずもない。

 ヒカネは香々背男かがせおが見えるという「火の一つ島」の煙を見やった。焦点を水平線のかなたに集中しゅうちゅうしたが、船は上下にれて、ままならなかった。


 「あのけむりの向こうが神津島こうづしまです。そこには、うつし族の希望きぼうがあります。わが宇都志うつしの族長、輝々星かがほしもここを通ったのです。」


 香々背男かがせおの言葉にヒカネの胸は高鳴たかなった。見据える視線の先がひとつにしぼられた。

しろけむりがたなびいている。ふさの国のはるか彼方に・・・希望きぼうけむりが・・」

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