第3話 救世の神、宇迦之御魂(うかのみたま) 


 翌朝、白妙しろたえおさは目を覚ますと仰天した。手も足もカサカサのしわだらけの皮膚ひふに被われ、ほおの肉は垂れ下がっているではないか。艶々つやつやとした黒髪は、一夜にして潤いをなくし、真っ白な乱れ髪に変ってしまった。

 水面みなもうつる自分の姿をみると、あまりにも変りはてた恐ろしき姿に気を失った。気をとりもどしたシロタエは、ただただ、涙を流して留まることがなかった。


 「かみむすびの神よ、この姿は、一体どうしたことでありましょう。われは、わが一族のために命を投げうって、自分の血肉ちにくましいを神に捧げたばかりでございます。死を前にして、なぜ、このようなみにくいい姿にならなければならないのでしょうか。」


 かみむすびの神の声が響いた。

「お前はこの期に及んで、自分の姿、行いが美しいと思うているのか。一族のために自らの命を投げうつことで、清らかな気持ちになろうとでも考えているのか。時はないぞ。いま一度、その姿を皆の前にさらけ出すのだ。外に出ていつきにわまで歩け。」


 シロタエは、とてつもない恐怖にふるええておののき、言われた通り外に出た。ひざが動かない。日の光がまぶしくて、れ上がった目は開けることも出来ない。シロタエは目を覆い、足を引きずり、ふらふらとさまよい歩いた。立ってはいられず、地面に這いつくばった。一族のものは、白妙しろたえ長神おさかみの異様な姿に仰天した。


 近くにいた幼き息子の宇麻志彦うましひこは、

「かかさまぁ」

 と駆け寄りて、声をかけた。その時、シロタエの口から汚物おぶつが大地に吐き出され、周囲に散らばった。宇麻志彦うましひこの体にも、その周りの人々にも汚物おぶつがかかった。

 周りの者はみんな長神おさがみのことより、自分の体についた汚物おぶつを拭うことで精いっぱいであった。一族の者達は、シロタエの異常に気づいたものの、みな棒立ちになって、近寄るものはいなかった。


 宇麻志彦うましひこは泣きながら、母神ははかみの後を追った。シロタエは力なく、ぐったりとして大地に倒れた。宇麻志彦うましひこ母神ははかみを抱え上げたが、その顔を見るや恐ろしさのあまり手を離してしまった。

 鼻からは、ねばねばした悪臭を放つ黒紫くろむらさきの汁、耳からはのどを刺すような刺激臭の赤黄あかきの血が垂れさがり、顔は蒼白そうはくにゆがんだままである。下半身からは、尿と便が流れ出し、「いつきにわ」の参道一面にひろがった。


「・・・いつきの庭に・・・われを・・」


 と、シロタエは宇麻志彦うましひこに迫った。母神ははがみの命の声に、宇麻志彦うましひこは気を取り戻した。幼なき面容ながら鬼の形相ぎょうそうとなり、まわりの人々をにらみつけると、毅然きぜんとして母神ははがみを抱きかかえた。あたりは猛烈な悪臭に包まれ、倒れるもの、その場にうずくまるものであふれた。一族の者たちは族長の異変に動揺はしたものの、なすすべはなかった。


 いつきにわに来た蛇姫シロタエは、かみむすびの神に訴えた。

「われは、自分の行いを美しいとも、清らかな心根があるとも思いません。ただ、この汚らわしい自分の体を神の御前おんまえに捧げることはできません。どうか,今一度、われの体を清めさせて頂きとうございます。」

「その体で、ここまで来てくれたことを讃えましょう。しばしの辛抱だ。宇麻志彦うましひこよ、よく母神ははがみに付き添ってきてくれた。今より家に戻り、母神ははがみの言いつけに従いて身体を清めよ。明日、再び「いつきにわ」に来るように。」


 翌日は、夜明け前から冷え冷えとした大気に包まれ、日が昇ると太陽の日差しがことのほか眩しかった。体を清め、新しい結(ゆい)をまとったシロタエは、大きな遮光しゃこう眼鏡めがねをかけると宇麻志彦うましひこと共に「いつきにわ」に向かった。磐座いわくらへの参道は、毎日、日が昇る前、若い巫女みこ、若い巫覡ふげきが冷水で清めた体で、掃き清めている。


 すでに「いつきにわ」には、巫女みこ巫覡ふげきのほか大勢の者たちが集まっていたが、誰一人として、幼き宇麻志彦うましひこに代わってシロタエの手を取るものはいなかった。それどころか、昨日の長神おさがみけがれた姿に耐え切れず、磐座いわくらには神籬ひもろぎ結界けっかいが張られていた。


 シロタエは、かみむすびの神との約束通り、いつきにわにやってきた。参道に集まった者たちは、皆々一様に、怪訝けげんな表情で長神さがみを見た。人々は、いつきにわを、再びけがれされてはかなわぬと、恐れと怒りに満ちた顔であった。


 呪われた長神おさがみは、磐座いわくらの前に膝まづくと、かみむすびの神に祈りを捧げた。付き添った宇麻志彦うましひこ母神ははがみの新しい衣の下半身がれているのに気が付き、自分の領巾ひれをそっとかけた。だが、母神ははがみは、そのまま大地にうずくまった。

 

 あろうことか、母神ははがみの足元には土からい上がったミミズがまとわりつき、目にはうじがわき、かみの毛からは、何百というムカデがこぼれ落ちて飛び散った。さらに鼻、耳、口、ホト、尻、母神ははがみの体のすべての穴から、小さな白蛇しろへびが次々と出てきた。白蛇しろへびはムカデ、ミミズ、うじを食べつくし、人々におそいい掛かった。「いつきにわ」は大混乱である。一族の者の怒りは絶頂に達した。


「これはたたりだ、先祖から守られてきた清浄ないつきにわをこれほどまでにけがすとは。」


 もはや、蛇姫かかかみシロタエを守るすべはなかった。巫覡ふげきの一人が、笹の小枝で、シロタエを打ち払った。この時とばかり、巫女みこ巫覡ふげきも、その場にいたすべての人々が、つぶてをもって、長神おさがみシロタエに投げつけた。


「このけがれ者が。」

清浄きよらか霊場れいじょうを何と心得ている。昨日だけでりずに、重ねて今日もけがしおって。」

「大神への裏切りの仕置きは、これだ。」

「死をもってつぐなえ。」


 ごうごうたる非難の中でつぶてが襲った。たちまちにシロタエの体はれ上がり、血管が浮かび上がった。切れた動脈からは血しぶきがあがり、血まみれとなった。宇麻志彦うましひこにもつぶては襲ってきたが、それでも母神ははがみの身体を守るように立ちふさがった。母神ははがみ健気けなげ宇麻志彦うましひこをだき抱えてうずくまった。


「・・・かみむすびの祖神のみもとに・・・」


 最後のとどめは、巫覡ふげきたちがもたらした石棒であった。血まみれ、泥まみれの体は、清浄きよらかな「いつきの庭」をけがし、巫女みこ巫覡ふげきらの手によって悪霊あくりょうを払うがごとく叩き殺されてしまった。


 この時、天空をおおうう赤き箒星ほおきぼしのカケラがキラキラと輝いて流れた。いく筋もの流れ星が光輝いて流れた。そして一筋の細長い光が地表寸前で巨大な光の玉となって消えた。巫女も巫覡も、われを失って天空のカケラ星を見た。


 かみむすびの神の声が響いた。

宇麻志彦うましひこよ。よく見よ。母神ははがみの姿にとらわれてはならない。巫女みこ巫覡ふげきの行いにとらわれてはならぬ。宇麻志うましの族長、蛇姫かかひめシロタエの心根を見よ。なれの母神ははがみはいま、こころざしを遂げ、宇迦之御魂うかのみたまとなった。一族の心、八尺瓊勾玉やさかにのまがたまと一体となった。そのたましいの姿を見るがよい。」

 蛇姫かかひめシロタエの身体に光が射し、その光は、蛇姫かかひめのすべてを輝かせた。


宇迦之御魂うかのみたまは一族のうかを絶やすことなく、子孫繁栄しそんはんえいの守り神となるであろう。蛇姫かかひめの体から出たものは、ひとつ残らず大地に戻せ。その地からは新しい宇迦うかの芽が生えよう。」

 すると、シロタエの身体から青々とした若葉が芽を出した。


蛇姫かかひめ御魂みたまけがれれをまつれ。蛇姫かひめの体から出た不浄ふじょうのものは宇迦之御魂かのみたまなり。地を祀れ、地の守り神、白蛇しろかかあがめよ。」

 その場にいた、巫女、巫覡の皆々は、自らの正義を確かめるために、恐る恐る、シロタエの周りに集まってきた。


 「宇麻志彦ましひこよ、汝は宇麻志蛇姫うましのかかひめの子として、あめつち全ての国を巡り、宇迦之御魂うかまみたまを持ちて宇迦うかたねを植え広めよ。寒さと飢えで苦しむ人々にうかを与えよ。宇麻志うましの息子よ、汝これより、母神ははがみに代わり、つちの神として大地つちから生まれ出でる命を育て、増やして広めよ。」


 ようやく、皆々は、自分達がなした祖神おやがみころしの罪に気が付いた。あまりの罪深き行いに、地にひれ伏して、恐れおののくばかりであった。


宇麻志うましの子等よ、汝らが犯した行いを認めよ。愚かな行いの罪を認めよ。もはや、犯した罪から逃れることは出来ない。シロタエは、一族の行く末を憂えて、自らの命を投げ出した。その志に応えねばなるまい。皆々に告げる。命ある限り、その罪を背負いて生きよ。シロタエの蛇神かかかみ宇迦之御魂うかのみたまとなしてまつうやまえ。宇麻志うましいのちがある限り、その子孫に伝えよ。」


 かわいた霧の向こうに日が暮れた。幼き宇麻志彦うましひこは、寄り添う人もなく、たった一人でいつきにわにかがり火をつけた。煌々こうこういて母神ははがみほおむった。


天水あめだ、アメだ。」


一人の叫びが闇をついた。続いて一族すべての声が歓喜かんきの叫びとなってとどろいた。つち族の皆が天を仰いだ。乾いた空気に湿りがもどり、一族の者たちは、天水あめを浴びて踊った。大地は、潤いを取り戻し、長神おさがみシロタエの命を吸い込んだ。後に、この地からあわひえ、キビ、あさの芽が生え、絶えることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る