第12話 優としのぶの天下統一

 試験当日から二週間ほど経った。

 小学生全国統一テストの試験結果が送られてきた。

 問題の優の成績はというと。

 今回は特訓の甲斐があって前よりは良かったそうだ。だがやはり、全国大会にはほど遠い。

 それでも優は、自分の結果に満足そうだった。

「ありがとう。しのぶちゃんのおかげで少し成績上がったよ。卍丸もありがとう」

「ははは。お安い御用ですぞ。またテスト勉強の折にはご用命下され」

「テスト勉強の折ですって? 何を言っているの。優はこのまま卍丸君に教わって、勉強を続けなさい。一日中はやらなくてもいいけど、少なくとも、朝勉は続けること。せっかく習慣づいたんですもの。続けなかったらもったいないわ」

 時子の鶴の一声によって、優の勉強は続けられることになった。優も特にいやだとは思わなかった。さすがに特訓レベルで、朝から晩までの勉強を休みなくずっと続けるのであればつらいけれど、朝勉ぐらいだったらできそうだ。それにやっぱり、ちゃんとやれば結果が出るとわかったので、それもモチベーションになっていた。

 そんな息子の変化に、時子は本当にうれしそうだ。

「しのぶちゃんも、ありがとう。優に勉強する習慣がついただけでも、おばさん、うれしいわ」

 ただ、そう時子に感謝されても、しのぶは素直に喜べなかった。

 あの日の落ち込みほどではないにしろ、やはり自分は任務に失敗したのだという気持ちがぬぐえなかった。

 そして、あの日の時子の言葉も、気になっていた。

 使命とか将来の仕事とか、そんな大きな事ではない、自分の夢。もっと身近なところにある、やりたいこと、うれしいこと。そういうものが何なのかと、時子に問われた。

 それは時子自身も、自分に問うたことのあることで、それに応えて今の暮らしがあると言った。そう言う時子は幸せそうだった。自分で選んだ今の暮らしに、自分の力の全てを注いで、とても満足そうだった。

 でもそんなことを言われても、しのぶにはやっぱりよくわからない。具体的にはどうしたらいいのか、見えてこないのだ。

 栃ノ木家のお役、優のお役に立ちたいという気持ちは変わっていない。やっぱりそれが自分のうれしいことだった。でもそれが、天下統一、総理大臣に優をすることなのかというと、もう確信が持てなくなっている。

 悩むしのぶはふと思う。時子はしのぶを自分と同じだと言った。誰かを支えたいタイプだと。すると、しのぶも、優に寄りそい、支えていく人生を歩むといいのだろうか。

 ……あれ、ちょっと待って。

 ……それって、優様と結婚するってことだよね?

 えっ?

 結婚?

 そ、そ、そ、それって、好き同士ってこと?

 優様は私を好きになってくれるのかな?

 えっ、待って、それじゃ私は優様が好きってことに……?

 混乱を極めたしのぶは、真っ赤になった顔を押さえて床をゴロゴロ転げまわる。

 そしてはっと我に帰って、結局何も解決していないことに、またため息をつく。

 そんな日々が続いていた。


「おう、しのぶっち、じゃまするぜい」

 その子は授業後、早く帰って遊ぼうと、うきうきとしたさわがしさが満ちた教室に、なぜか江戸っ子っぽく入ってきた。

 風間留美。別名、風魔小太郎である。

 帰り支度をしていた優としのぶは、ちょっとびっくりした。となりのクラスの北条綾奈と風魔小太郎とは、統一テスト以来、何もなかった。何があったかは聞いたけれど、あの時も優は特にしゃべっていないし、時折、廊下ですれちがう程度だった。

「何か用ですか」

 しのぶが警戒心もあらわに、かばうように優の前に立ちふさがる。

 小太郎は、くいとあごをしゃくる。

「ちょっとツラ貸しな。うちの姫が用があるんだ」

 言葉づらは剣呑。けれども、芝居がかったその様子は、明らかにおもしろがっていて、敵意は感じられない。

 その通り、小太郎の態度にポカンとしている二人を見ると、芝居がかった態度を捨てた。

「早く早く! ぼさっとしてないで、とっとと帰り支度する!」

 そう言って二人を急かし、廊下へ連れ出す。

「もう、こたちゃん。びっくりするよ。いきなりとなりのクラスに踏み込んでいくんだもん」

 廊下には綾奈が待っていた。

「悪い悪い。でも、あーやのご希望通り、連れてきたよ」

「ごめんね、急でおどろいたよね。あのね、ちょっと二人とお話ししたくて、いっしょに帰れないかなって……」

 綾奈はバツが悪そうに二人に頭を下げ、事の次第を告げた。

 呼び出したのにはまったく敵意は含まれておらず、言葉通り、本当にお話してみたかっただけなのだそうだ。

 そういうことであれば、別に断る理由もない。住所を聞いてみると、綾奈と小太郎も同じ方角。四人でいっしょに帰ることにした。

 綾奈によれば、風間留美が風魔小太郎であるという家の事情は、しのぶの正体同様、クラスの誰にも知らせておらず、だから自分たちと同じ境遇の優としのぶと話してみたいと思ったのだそうだ。

「そしたら、こたちゃん、いきなりすっ飛んでいくんだもん。びっくりしちゃった」

「善は急げって言うだろう」

 二人の様子を見て、しのぶはふと気になった。

「お二人は、仲いいんですね」

 綾奈と小太郎も、優と自分と同じ主従関係にあるはずなのに、ずいぶん親しげにしゃべっている。呼び名も「あーや」に「こたちゃん」で、あだ名呼びだ。

 その問いに、小太郎は大きくうなずいた。

「おう! あーやとオラっちは主従で親友だからな!」

 そして綾奈をぎゅっと抱きしめる。

「それに、姫と王子でもあるんだぜ。愛してるよ、あーや」

「もう、こたちゃんたら」

 二人は本当に楽しそうだ。主従と小太郎は言ったけれど、そちらよりも親友成分のほうがずっと多そうだった。

「北条と風魔には、天下統一の使命とか、そういうお家の都合はないのですか?」

 しのぶは聞いてみた。その質問に二人は顔を見合わせる。

「うーん、一応あるみたいなんだけど……」

「ただ、うち、北条の本家というわけではないから……。全然傍流の家系で」

「風魔党は戦国時代に後北条家に仕えたことで有名だけれど、江戸時代になって、そのまま北条家に仕えた人と、分裂して野盗に身を落としたりした人といるんだよな。うちはもともと分裂した方。それで結局、あーやの家にようやく拾ってもらった、みたいな感じで」

「それはうちと同じですね。栃ノ木家とうちもそんな間柄です」

「栃ノ木君も、そういう家の事情は知っていたの?」

「いや僕、全然知らなくて。しのぶちゃんが来てから初めて知ったんだよ」

「まあ今さら、天下統一って言われても困るよな。もう戦国時代でもないしねー」

 悪気なく、苦笑しながら小太郎がさらりと言った。しのぶの胸がチクリと痛んだ。

 最近ずっとしのぶの心を占めている問いが、ポロリとこぼれる。

「じゃあ、小太郎さんは何のために……」

「そりゃ、決まってるじゃん! あーやを幸せにするのがオラっちの努めつとめだよ! 俺が男だったらなあ。あーやの彼氏になって守ってあげるのに。いやもうこの際、女同士でもいいかも……」

「もう、やだ、こたちゃんたら」

 ためらいもなく、瞬時に答える小太郎を、しのぶはうらやましく思った。

 時子も小太郎も、忍者の務めを好きな人のためと置きかえて、それに全力を尽くしている。

 時子はしのぶを、自分と同じ、誰かを支えたいタイプだと言った。

 自分も、そうであればいいと思う。わけもわからず子供のころから修練してきた忍びの技だけれど、もしそれが、何かの役に立つのなら、そうであってほしい。

 いや、忍びの技でなくてもいい。自分が何かの役に立てれば。

 それが、優の夢につながるのであれば。

 学校から四人の家に帰る道筋には、大きな運動公園があった。いつもしのぶと時子が、早朝修練に使っている公園だ。しのぶは少し考えこんでしまって、あまり会話に加われていなかったが、他の三人の話は弾んでいた。誰と言うではなしに、公園によって脇の芝生に座り込み、寄り道してのおしゃべりが続いていた。

 その時、小太郎が、誰かが忘れていったサッカーボールに気づいた。

 ぱっと立ち上がってかけていく。脇にすっと立ち、ボールに片足をかけて、左手を腰に、右手を伸ばしてしのぶに突きつける。こういう芝居がかった仕草が、妙に似合う。

「へい、しのぶっち! 先だっての戦いでは、俺っちは試合には勝ったが勝負には負けた! いわば引き分け、まだ戦いは終わっていない! ついてないあの時の決着をつけようぜ!」

 そう言うと、小太郎は思い切りボールを蹴った。

 だが、若干ミスキック。ちょっと力んでしまったのか、ボールはしのぶから少しそれ、となりの優と綾奈の方へ。

「いけね!」

「キャッ!」

 小太郎と綾奈の声が上がる中。

 その強いボールを、優がすっと胸で受けた。弾んだボールは、座ったままの優の足元に落ちる。優がそれを上から押さえつけた。見事なボールコントロール。

 感心した様子で小太郎が走りもどってきた。

「お、やるね! 栃ノ木、サッカーやってるの?」

「うん。一応チームに入ってる」

 ちょっと照れながら、優は立ち上がってパスを返した。

 そのボールはきちんと小太郎の足元へ。一応、と謙遜しているけれど、トレーニングのあとが見て取れる。そういえば、特訓の間も、優様はこれだけはと言って、サッカーの練習には行っていたっけ、としのぶは思い出した。

「うちのクラスにもチームに入ってるってやついたなあ。藤原とかそうだろ」

「うん。あっちゃん、キャプテンだよ」

「あいつは熱い、いいやつだよな。よく全国行きたいって言ってるし」

 その言葉に、しのぶははっと小太郎へ振り向いた。

「全国?」

「全日本U-12サッカー大会……だったかな。予選突破してそれに出たいんだって」

 しのぶは優を見つめた。

 もしかしたら。

 もし、そうだとしたら。

「優様もですか?」

「え?」

「優様も全国に行きたいですか?」

 しのぶの問いかけに、優はとまどった顔を見せた。

「え、いや、難しいんだよ。強いところはいっぱいあるし。特に、プロクラブの小学生チームとかなんか、そこから日本代表になって海外で活躍してる人も出るぐらいだし……」

「行きたくは、ないんですか?」

 自信のない言葉を並べる優に、しのぶはもう一度問いかけた。

 優は困ったような顔をしたけれど、ちょっとためらったのち、顔を上げ、しのぶをまっすぐに見て言った。

「ううん、行きたい」

「行きましょう!」

 しのぶは優の手を取った。

 そうだ。

 やはり私は、栃ノ木家に仕えるためにここにきた。

 栃ノ木家の人を助けるために生まれてきた。

 でもどうせ助けるのだったら、その人の夢の手助けがしたい。

 その夢が。

 ちょっと押しの弱い優だから、あまり表には出していなかったけれど、心の底では思っていた本当の夢が、ここにある。

「行きましょう! そして全国を制覇しましょう!」

「ふえっ? いきなり?」

「勝ちたくないですか?」

「……いや、勝ちたい。勝てるものなら優勝したい」

 優の言葉を聞くたびに、しのぶの心は晴れていった。

 優の言葉を聞くたびに、しのぶの心に力がわいてきた。

 胸を張って、にこやかに、しのぶは優に断言した。

「なら、だいじょうぶです。私がお手伝いします」

「お、おもしろそうだな。確か少年サッカーって女子でもチームに入れるんだよな。俺も入れてくれよ。服部と風魔、手練れの忍者が二人もいれば、絶対に負けないぜ!」

「わあ、すてき! 私、運動苦手だからいっしょにするのは無理だけど、応援するよ!」

「そうですよ! 私たちが優様を勝たせてあげます!」

 こうして天下統一の夢、第二章が幕を開けた。

 それは優の夢であり。

 それはしのぶの夢でもあった。

 天下統一なんて、古い夢だけれど。

 でも、人の数だけ、ちがう形で夢があるのだ。


 妙に運動神経のいい女の子二人が活躍したこの大会を、後世の歴史家は「鴨池の乱」と呼んだ……かどうかは知られていない。


〈了〉

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天下統一! かわせひろし @kawasehiroshi

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