ヒドラ

賢者テラ

短編

 その国ははたった一匹の怪物によって死に瀕していた

 天を突くほどの身長をもち

 九つの頭をもつ 最恐最悪の多頭竜

 家々は焼き払われ 足の下に踏み砕かれ

 腹のすくままに人々は食いちぎられた

 人々は恐れ 嘆き 絶望して言った

 誰がこの強い怪物に敵することができようか

 誰がこの途方もない邪神と戦うことができるのか



 王の軍隊はひとたまりもなかった

 弓も矢も剣も 投石器も火も

 この怪物を傷つけることができなかった

 地は瓦礫と火と死体で満ちた

 挙句の果ては少しでも怪物に食われるのを遅くしようと

 貧しい者や罪人を縛って怪物の近くに差し出す有様だった

 それで腹の膨れた怪物はしばし地に伏して眠るが

 消化してしまうと再び血と肉を求めて徘徊した

 


 けれど

 この国で神事をつかさどる巫女 レイザは立ち上がった

 民よ 何を恐れている

 何を震えている

 強さがすべてか

 強ければあれが我らの王か 神か

 生き延びれるのならお前たちはあれを崇め拝むのか

 我らが勝てないのは我らが弱いからではない

 力があろうが悪は悪に過ぎぬことを確信しないからだ

 間違っているものは間違っていると正義に心燃えないからだ

 あんなものにすがって生き延びて何になろう

 力に屈して邪神の足元を舐めて生き延びる生に

 一体どれほどの価値があるというのか



 レイザは単身 邪竜の前に立ちはだかった

 正邪の激突は熾烈を極めた

 一瞬にして3つの村が消滅した

 木も草も家も 人の肉も骨も跡形もない

 強い

 強すぎる

 巫女レイザは火神に祈り 本来使役し得る以上の火を借り受けた

 それは死を意味した

 でも勝たなければ

 すべてを賭けずに生き伸びていて何になろう



 姉ちゃん 負けるな

 あなた 何で来ちゃったの

 まだ九つにしかならない妹のジル

 巫女の血を受け継いではいるがまだ子どもだ

 わたしもお姉ちゃんとたたかう

 ジルの瞳にも火神が宿った

 やめなさい

 あなたは生きて——

 お姉ちゃん言ってたじゃない

 あれから逃げて生き延びても何になるかって



 天から火を呼び寄せる

 ただの火ではない

 聖なる火は怪物の皮膚を焦がし苦痛を与えた

 レイザとジルは真っ赤に染まる空中で手をつないだ



「炎精火燐魂爆雷弾」



 もはや二人の巫女の周囲に火のないところは少しもなかった

 熱さが肌をジリジリと刺し攻める

 怪物と巫女の火力は互角だった

 しかし集中力の限界がかよわい少女を襲った

 ついにレイザは力尽きて地に落下した

 ジルは単身怪物の前に——



「雷神招来 空烈槌斬閃」



 だめえええ

 雷神まで召還したらあなたは死——

 お姉ちゃん黙ってて

 天の端から端まで稲妻がひらめき渡り

 はぜる高電圧の光線の雨は怪物の動きを封じる



 このおおおおおおお

 九歳とは思えない集中力と神通力

 あの小さな体のどこにそんな力が

 姉のレイザは残った力で立ち上がった

 まだ怪物に致命傷を負わせることができていない

 今は持ちこたえていてもこのままではあの子も——



 その時だった

 炎の光を反射する何かの塊が空を切って飛ぶ

 一直線に飛ぶその物体は怪物の頭のひとつを貫いた

 耳を覆いたくなるような断末魔の叫びが天までこだまする

 生き残った村人

 そして嫌われ者の鍛冶屋オズワルド



 助けてくれたのね

 ああ あんな小さい子に一人戦わせたんじゃあ

 あの世で神様に顔向けできねぇ

 それに嫌われ者で生き伸びるより勇者として死ぬほうがええ

 二度と作らぬと誓った

 再び鍛えることはしないと誓った禁断の武器

『覇王の矢』を今ここに作ってきた

 怪物の頭は任せろ

 お前たちはとどめをさすことだけを考えるんだ


 

「捲空紫飛天 月下羅剛落電破」



 ジルの放った高電圧に感電し動きを封じられた多頭竜

 オズワルドの用意した民家ほどもある巨大な攻城弓『バリスタ』

 そこに矢をつがえ村人二十人がかりで弓を引く

 せぇーの

 放たれた銀のやじりをもつ破邪の矢は

 寸分たがわずに悪魔の頭部を粉砕した



 バリスタの威力によりすでに八つの頭は砕いた

 平衡感覚を失った怪物は真っ直ぐに進めずにいた

 レイザは天に向かってまっすぐに手を挙げる

 ジル 私に心波動を合わせなさい

 姉ちゃん これで決めるんだね

 うん

 勝てる

 勝利のために命を捨てる我らの勝ち

 いっくよおおおおおお

 姉妹の体を火、水、風、土の精霊の力が覆う

 


 念動超力開放 最終奥義呪言—— 



 怪物の腹部に向かって放たれた覇王の矢

 そこに全エネルギーを託して二人の巫女は叫ぶ



「天地烈斬滅壊砲!」

 


 二人の巫女と村人の目の前で

 破壊と殺戮の限りを尽くした怪物は無数の肉片にちぎれて吹き飛んだ

 やったぁ

 おおおお

 村人たちの歓声

 誰もが勝てないと思っていた怪物は倒れた

 ゆっくりと地面に降り立ったジルはレイザを抱き起こす

 お姉ちゃん……

 姉は二度と返事することはなかった



 レイザは国を挙げて手厚く葬られた

 皆が胸を叩いてその死を嘆いた

 しかし ひとつの慰めがあった

 ジルが姉の遺志をついで国を守る巫女となったこと



 降霊術で時々ジルは姉と語る

 お姉ちゃんありがとね そしてごめんね

 いいの

 国が残ったのなら 平和が戻ったのならそれで

 でもまた次に何かの脅威が世界を襲った時

 民は我らを思い出して立ち上がってくれるだろうか

 目先のもののために大事な物を放り出さないだろうか

 恐れを捨てて心をひとつにして戦うことができるだろうか——



 姉ちゃん心配しないで

 愚かに見えるけど人間もそう捨てたもんじゃないよ

 私たちの血統が絶えない限り

 絶対に負けないから

 頼むね 妹よ

 民は弱い

 強く立ち上がる者がたった一人でもいれば

 彼らはそれを見て考え直すであろう

 教えられて奮起するであろう

 いつの世も そのたった一人を育てる時代であれ



 そのような勇者が誰も出なくなった時

 世界に本当の滅びが来るのだ

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ヒドラ 賢者テラ @eyeofgod

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