第4話

 どれだけ気乗りがしなくとも時間は過ぎていくもので、今日の授業が終わるのは普段よりも随分と早く感じてしまう。

 授業が終わってから既に三十分。まもなく禾森がやってくるだろう。


「ツッキーくん、昨日は楽しかった?」

「綴子さんたちの言う通り、良い雰囲気の店でしたよ」

「もう、それだけじゃなくて、禾森さんとのこと。何か進展はあった?」


 進展と言われても、別に俺は禾森との関係を何らかの方向に進めたいわけではない。

 高校生活に恋愛を求めてる者はいるだろうし、俺とて恋愛など死んでも御免だ! というトラウマを抱えているわけではないが、その相手が禾森というのは想像がつかん。

 思い出したくはないが、昨日のように勘違いで動揺することもある。だがそれは相手が禾森でなくとも、健全な男子高校生ならば一般的な反応だろう。


「その様子だと進展も効果もなかったのね」

「期待しているようなことは何も」

「禾森さんは美人だし、油断してるとすぐに恋人を作っちゃうかもしれないわよ?」


 禾森に恋人ね。まあ確かに美人なのは事実だが……あまり想像出来んな。

 綴子さんはまだあいつの変人具合を理解していない。あいつと付き合うということは、その変人さとも付き合っていかねばならないということだ。

 付き合ったとして、とても長続きするとは思えんな。この友人とも呼べないような微妙な距離感の付き合いだからこそ、俺もあいつの変人さに対して適当でいられる、真摯な付き合いをせずに済んでいるのだ。


「それならそれでいいんじゃないですか」

「私はツッキーくんのこと、応援してるからね」

「それはどうも」


 その妄想を吹聴されるわけでもなく、執拗にからかってくるわけでもないのなら実害はない。

 綴子さんにおざなりに返したところで、図書室の扉が開いた。今日もまた、利用者は三人だけ。


「失礼します」

「いらっしゃい、禾森さん」

「こんにちは、綴子さん。槻沢くん」

「ああ」


 丁寧な礼で挨拶をする禾森の肩に鞄はない。この一週間で見慣れた、いつものセーラー服姿。

 違うのは今日は本棚に向かうことなく、真っ直ぐに俺の対面の席に腰かけたことだ。

 姿勢を正し、俺を真正面から見据えて聞く体勢は万端、といったご様子である。


「それじゃあ槻沢くん、さっそく」

「いつもの日課はいいのか」

「それは話を聞いた後でするさ」


 さて、どのみちもう逃げることは叶わない。

 もし俺が「考えたけど分かりませんでした」と言った所で昨日の様子では禾森は納得しないだろう。

 だったら素直に考えを披露するしかない。禾森を納得させられるものでなかったとしても、それは禾森が俺を過大評価していただけだ。

 その評価を改められるのであれば、過分な期待を背負わされずに済むのなら、妄想じみたこじつけを披露する恥も一度くらいは受け入れよう。


「まず前提として店員が話してくれなかった以上、あの『変化する一角』に関して裏付けを取る事は出来ない。この場合、真実を真実足らしめるのは証拠ではなく、禾森、お前の納得だ」

「ああ。承知しているよ」

「ではどうして『変化する一角』が発生したのか、あり得る可能性について一つずつ確認していく。お前が納得した時点で終了だ」

「ああ」


 証拠がなければ納得できないと駄々を捏ねられてはたまらない。

 そこだけは釘を刺しておかなければならない。早い段階で納得してくれれば俺も楽なんだがな。


「その前に、最初にこれを渡しておくよ。昨日言っていた、以前までのあの一角に並んでいた本のリストだ。黒で書かれたものはタイトルは確かだけど、順番に関してはごめん、あまり自信がない。赤で書かれたものはタイトルも順番も間違いないよ。覚えている限りの並び順や変化したタイミングも踏まえて規則性を探ってみたけれど、分からずじまいだ。しいて言うなら写真集や絵画集などが少し多い傾向にあるぐらい」

「……すごいな」


 禾森がテーブルに取り出した紙には、四回分の本棚の一覧が几帳面な字でリストアップされていた。

 本当に覚えていたのか。だがまあ、あってもなくても構わない。俺はそもそも本の並び方や種類、規則性や法則性があることを考えていない。方向性はあるとは考えているが。

 軽く目を通して、話を続ける。


「まず第一に『変化する一角』がただの店主、ないし店員の気まぐれだった場合」

「それで納得すると思うかい? 気まぐれだとしてもあの一角だけを一週間に何度も変えるとは思えない」

「これは、それを言ったらおしまいになる話だからな。単に早い段階で可能性を潰しておきたかっただけだ」


 それに気まぐれで何度も棚替えをするにしても、俺ならあんな角よりももっと入り口に近い所を変える。俺もこの意見が通るとは思っていない。


「では第二に並んでいる本に何らかの暗号が隠されている可能性だ」

「私としてはその可能性を推したいけれど、現実的ではないかな」

「ああ。入りづらい店とはいえ、店は店だ。俺やお前のように新しい客がいつ来るとも分からない中で、買われたり並びを乱されたりするだけで破綻するような暗号を隠すとは思えない。しかもそばには椅子も置いてある。あの一角に用がなくとも客が腰を落ち着けてしまえば、暗号を伝えるのに不都合が発生してしまう。同様に本の中にメッセージを挟んでおく、というのもないだろう」


 この意見の撤回にも禾森は納得し、頷いた。

 綴子さんは何も言わず、ただ楽しそうににこにこと俺たちの会話に耳を傾けている。


「ところで禾森、お前は本を読むのはどうしてだ?」


 禾森は話の流れを切った俺の質問に怪訝そうな顔をしつつも、指を一本ずつ順に立てて答えた。


「突然だね? 自らの知識欲を満たす為、教養を高める為、視野を広く持つ為……そんなところかな」

「お前とは趣味が合わなそうだ」

「どうしてさっ」


 禾森が語気を荒げて身を乗り出した。クールな雰囲気だが意外と表情が豊かな奴なんだな。

 だがその反応はもっともだ。求めていた返答とはまるで違ったためについ口に出てしまった。


「綴子さんはどうですか」

「うーん、私は小説が好きだから、いろんな物語を知りたいのと、好きな作家さんの本ならファンとして読まずにはいられないわね。だから私が本を読むのは単純に好きだから、かな。どう? 私とも趣味が合わない?」

「禾森よりは合いそうです」


 とはいえそれも俺が求めている答えとは違う。もっと軽く答えてくれる奴でなければ俺の考えに同意してくれないのか。百々原や木原ならば条件反射で答えてくれそうなものなのだが。


「……納得できないのだけれど。じゃあ槻沢くんはどうして本を読むんだい?」

「暇つぶし」


 二人の抗議の視線が痛い。いや綴子さんは笑っているのだが、圧がある。

 咳払いを入れて弁明する。


「べ、別にそこまでおかしなことは言っていないだろう。時間が余った時、そこに本があれば手に取って読む。それだけのことだ」


 綴子さんの言っていることは共感できる。禾森の考えも理解はできる。

 だが読書を娯楽として考えるなら、俺の回答も決して少数意見ではないだろう。


「まあ言っていることは分かるよ。けどそれが今、関係あるのかい?」

「禾森が納得したならな。第三の可能性の話だ」


 これは本命の可能性、俺がした推理こじつけだ。

 飛躍した話になるが話の方向性としては多分、そう遠くはない。


「俺たちが帰る前に店に来た人を覚えているか?」

「ああ。美空と呼ばれていた女性だね。彼女を見るのは初めてじゃない。見かけるのは昨日で三度目だから。初めて見た時も名前で呼ばれていたから、誰かが紹介していなければそれ以上の回数、嗚紋堂を利用しているんだろう」

「彼女は禾森が知る限りでは常連で、しかも店に入って早々、迷わず俺が座っていた席にやってきた。他にも席は空いているにも関わらず、だ」


 店の雰囲気に気後れしている様子もなく、何より紬さんに名前を呼ばれていたからな。

 禾森よりも以前からよく嗚紋堂を利用していたはずだ。


「あの場所は常連の彼女にとって定位置なんだろう。冷房もあって、座っていても文句が言われない席まであるんだ。あの店を何かの待ち合わせの時間潰しで使っているのかもしれない。隅が好きという気持ちも分かるしな」

「たしかに彼女はいつもあそこに座っているね。私が『変化する一角』を観察している時は店内を回っているようだけど、私が離れると決まってすぐにあの場所を取っていた。彼女が居たからさっきの第二の可能性をすぐに否定したんだ」

「彼女があの一角に隠されたメッセージを受け取る相手だとは思わなかったのか?」


 ふるふると首を横に振り、禾森は否定した。

 そうして少し迷った後、苦笑して答える。


「槻沢くんの言う通り、ただの時間潰しなんだと思うよ。彼女はほとんど本も取らずにスマートフォンを見ていたから。何度か本を手に取ったのを見かけたけど、何となく捲るだけで内容を吟味しているようにも、メッセージを読み取っているようにも見えなかった」


 昨日も彼女は俺に声を掛けた時は手にスマホを持っていた。現代人の必需品だ、持ち歩いてるのは自然だが、あんな大きなキーホルダーをぶら下げたままでは──使う分にはもう慣れているのだろうが──何をするにも不便だ。

 あの時は俺をどかした手前、本を見ずにすぐスマホを使うことを避けたのかもしれない。


「あからさまな態度だからあまり良い気分はしなかった。とはいえ店員でもない私が腹立てることでもない。『変化する一角』にいつまでも陣取っている私も、店からしたら迷惑な話だろうからね」

「まあその辺りはあの客入りだし、あまり重く考えなくてもいいんじゃないか」


 俺も店員というわけでもないし、本を買わずに座り読みしていただけだが。席を用意しているのは店側とはいえ、売上に貢献していない客には違いない。


「ついでにその話でこの可能性の補強にもなった」

「どの部分がだい?」

「その前に禾森、何でもいい、お前の好きな本を一冊選んでくれないか。俺が今日借りていく」

「むぅ、焦らすじゃないか……別に構わないけれど、何でもいいんだね?」

「あんまり頭を使わない奴で頼む。後、厚くて重いの以外で」


 俺の注文に席を立った禾森は「はいはい」と呆れながら、手近な本棚の前で立ち止まり、空中で本の背表紙をなぞり、やがて一冊の本を抜き出して俺の前に持ってきた。

 タイトルは「いぬを飼うと世界が変わる! ~わんだふる・らいふ~」。


「……犬、好きなのか?」

「近々飼おうと思っているんだ」


 想像していたよりもかわいらしいタイトルに尋ねれば、特に恥ずかしがることもなく禾森が答える。

 まあ少々意外ではあるが不似合いではないだろう。ドーベルマンあたりを従えている画は想像できても、小さな犬と戯れている画はあまり想像できないが。


「で、だ。昨日の彼女も今の禾森と同じ事をしていた」

「犬の本は置いてなかったと思うけれど」

「そうじゃなくて、本を選ぶ時の仕草だ。そうして視線と指を彷徨わせて選んだ本を適当にぱらぱらと捲っていた。禾森の話だとそれは昨日だけじゃないんだろう。つまり彼女はあの店で何か特定の本を目当てにしてるわけでも、本を探していたわけでもない。時間潰しに訪れているという可能性が補強される」

「分からないな。それだけだと単に第二の可能性を否定する材料が増えただけに聞こえるけれど。槻沢くんの考えている第三の可能性っていうのは一体何なんだい?」


 問題はここからだな。俺は他の可能性を考えていない。それはこの可能性こそが真実だと確信しているから……ではなく、他の可能性を模索するのが面倒になっただけだ。帰りの電車に揺られている間だけではこれぐらいしか考える暇がなかった。家に帰ってからは考える暇が勿体なかった。

 よってこの可能性に真実味を持たせて、禾森に納得してもらうのが一番早くて楽なのだ。

 そして話に説得力を持たせるにはまず断言することが大事だ。まずは誰にでも思いつくことを断言していく。


「まず、そもそも『変化する一角』は誰が作り出しているのかという話だ。考えられるのは店主、店員、客だな」

「店主はないだろうね。腰を痛めていると言っていたし、隠れて本を移動していたとしても紬さんがそれを何度も許すとは思えない」


 良し、乗ってきた。俺などに推理こじつけの披露を求める禾森なら、こういう話し方をすれば自分から意見を出し、ありえない可能性を否定し、断言してくれると思っていた。

 俺が断言するよりも禾森自身に断言させた方が説得力は増す。


「次に客。これもまあ有り得んだろう。そう何度も何度も迷惑行為を働いているのが店員に見つかれば出禁になるかもしれないからな」

「だから『変化する一角』を作っているのは紬さんで、彼女はその理由を秘密にしたがっている」

「自分以外の誰かを庇って秘密にしているという可能性も考えたが、今言った理由からその線はないだろう」


 神妙に頷く禾森に納得の為の第一段階は越えたことを確信する。

 今の俺は探偵ではないが、語り部だ。

 語り部は既知の事実であってもそれを整理し、配置し、話に筋道を立てなければならない。

 俺が立てるのは禾森の納得の為の筋道である。


「誰が迷惑してるわけでもないから、犯人と呼ぶのも失礼な話だが……彼女が犯人だと仮定して、その動機だ。店先と店内に張られていた張り紙は覚えているか?」


 説得力を持たせるための第二。

 相手が考えていなかった、意外な観点を見出すことだ。

 本をリストアップするほどだ、禾森は『変化する一角』について禾森なりの推理と思考を巡らせていたことだろう。

 だから俺はあの一角からではなく、禾森の思考の死角から推理するこじつける

 言ってしまえば関心を逸らし、感心で誤魔化す。話術というか詐術というか、まあそういうあれだ。


「正確な文面までは覚えていないが、入り口前の張り紙では店主が買い取りを募集していた。けれど店の中にあった張り紙には「店員にお尋ねください」と書かれていたんだ」

「「古書、一冊からでも買取。店主」。「探している本があればお気軽に店員までお尋ねください。著者名や出版社だけでなくジャンルや本の作風、雰囲気からでもご紹介します」。……うん、槻沢くんの言う通りだ」

「そこまで覚えてるのか……ともかく文章の印象と合わせて、書いたのは入り口が店主、店内は紬さんだろう」


 誤魔化すと言ったものの、話をでっちあげるわけではない。

 単に店主と店員という言葉の違いだけでは紬さんが店番をするようになる前と後で書き方を変えただけかもしれないが、文章から受ける印象が明らかに違う。当たっているはずだ。


「それに帰り際に直接言われたことでもあるしな」

「ああ。私も言われたことがあるし、何冊か紹介してもらったよ」

「本好きの性ね。私もおすすめの本を紹介したいのに、誰も聞いてくれないのよね。紬さんが羨ましいわ」

「……次回お尋ねします」

「私からも後で」


 暫く黙っていた綴子さんが若干棘のある口調で俺を見る。

 本を選んでもらうのは綴子さんにお願いするべきだったらしい。貸出カウンター横のおすすめコーナーからは良く本を選ぶのだが、ひょっとするち綴子さんセレクトの本はまだ手に取ってないのかもしれない。

 今日の所は勘弁してもらい、話を続ける。


「本を勧めたい店員と本に興味がない常連客。『変化する一角』と定位置」


 ここまで短く簡潔にそれぞれを並べれば禾森も気づいただろう。

 話していても分かるが、禾森は頭の回転は速い。だが考え方が素直なのだと思う。決して俺がひねくれているというわけではない。

 軽く目を通しただけのリストをもう一度目を走らせる。禾森の言う通り、文章の少ない、或いは文章を読まずとも見ることはできる、写真集の類が多かった。

 そして昨日、彼女が指を彷徨わせて手に取ったのも写真集だった。


「でも、だけど槻沢くん、私は紬さんがあのカウンターから動いているのを見た事がない。カウンターと『変化する一角』は対角線上だ。その間にはいくつも本棚がある。それでどうやって彼女の好みを探るんだい?」

「お前が本棚越しに俺を恨めしそうに見ていたのと同じように、あの場所はカウンターからでも顔を上げると本の隙間を通して見えるんだ。ちょうど、上手い具合にな」


 紬さんにとっては『変化する一角』も重要だったのだろうが、それと同様に変化していない店内も重要だった。

 あの時、紬さんが俺たちの方を向いていたのは騒ぎに気付いただけでなく、彼女が定位置に座れるかどうかを気にしていたんじゃないだろうか。

 だから、


「あれはあの二人の、レジから動かない物静かな彼女が仕掛けた勝負で、いつもの定位置に座る彼女の、あの二人なりの交流なのではないかと思う」


 最初から俺が導きたいのは真実ではなく、徹頭徹尾、禾森の納得でしかない。

 だから俺が披露したのは今回も変わらない。推理ではなく、こじつけだ。


「以上だ」

「そうか……うん、成程だ」


 感心したように禾森は溜息を吐くが、裏付けはない。

 こじつけられるだけの情報を得てはいても、本人たちに確かめたわけでもない。


「こじつけだ。今回だけでは証拠も確信もないぞ」


 だが別に誰が不幸になるわけでもない。

 俺のこじつけが見当違いのものでも、禾森が納得さえしたなら正しい必要はないのだ。


「でも素敵な推理だったと思うわ。二人だけの内緒の関係って感じがして」


 綴子さんは両手を合わせて、うんうんと頷いているが実の所、彼女は知っていたんじゃないかと思う。

 今後の為になる、と綴子さんは言っていた。

 嗚紋堂を訪れた俺が何をしたか。このこじつけを披露する為に何をして、何を考えたか。


「構わないよ。私は納得出来た。すぐに解き明かさなきゃいけない謎というわけじゃないし……綴子さんの言う通り、素敵だと思うな」

「そうかい」

「あの一角がなくても通っていたんだ。これから嗚紋堂に通う楽しみが一つ増えたと思えば、むしろ解明が引き延ばされてよかったとも思うよ」


 だが結局、こんな些細な日常の変化を見つけ、気にする禾森の心は理解出来ない。


「だから槻沢くんもまた、一緒にどうだい?」


 けれど、まあ。

 こうして約束を交わすようになって、多少の前進はあったのかもしれない。


「そうだな。……気が向いたらまた、な」


 はたして何度目に彼女が俺の名前を噛まずに呼べるようになっているのか。少し気になるしな。

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