百鬼夜行

賢者テラ

短編

「ヤダ」

「ウザイ」

「キモイ」

「ダルイ」

「信じらんな~い」



 女子高生の水城杏子は自分では意識していなかったが、一日に何度これらの言葉を使っているかを数えてみたなら、きっと自分でも驚いたことだろう。

 いかに否定的な単語の多いことか。

 実に、彼女が話す言葉のほぼ6割を、否定的なニュアンスの言葉が占めていた。

 人の悪口や自分のアンラッキーを嘆く言葉、親や先生や社会に対する不平不満など、朝から晩までそればっかりであった。

 そして、それは何も杏子が特別だというのではなく、彼女の周りの友人たちも皆似たり寄ったりではあった。



 勉強は面白くない。

 それ以前に、なぜ数学や理科や社会をやらなければならないのかが分からない。

 生活の役に立つとは、ゼンゼン思えない。

 英語は、かろうじてガマンする。ゼンゼンできなかったら海外旅行で不便そうだから。でも、関係代名詞がどうのとか分詞構文がどうのとかいうところまでは、ハッキリ言って要らないと思う。



 ……誰が、こんな世の中作ったんだろ。



 学校ダルイ。

 先生、ウザイ。

 親、ウルサイ。

 自己というものが確立されない未熟なうちに、世から押し付けられるものに納得がいかず、有り余る若さゆえのエネルギーのぶつけどころを誤ってしまう若者は厭世的になり、そして社会や大人に対して反抗的になっていく。

 そして、目に見えるカッコよさやハッキリと分かる価値、すなわち金銭や地位を追い求めるようになり、見た目の美醜が、彼らの価値観の根源となったりもする。

 彼らにとっては、『キレイ・カッコイイ・カワイイ』 『クール・スマート』 が物事の価値を決める重要な基準であり、それから外れるものには見向きもしない。



 鬱屈を晴らすかのように、杏子は朝から『暗い』クラスメイトの安田一美を友人と一緒になってバカにして盛り上がった。ついでに、最近転任してきた新任の中年教師を『キモオヤジ』と評して溜飲を下げた。

 当然、ヒソヒソ声でなんか話さない。はっきりと当人である一美に聞こえるような大声で話す。もともと、聞かせるが目的なのだ。

 一美は、教室の隅の自分の席で、目に涙を貯めてうつむいたまま、ただ耐えてじっとしていた。



「今日の体育、バスケだってさ。だり~よね」

 体操服に着替えた杏子は、また悪態をついた。

 彼女にとっては、もうそれは人が呼吸をするのと同じくらいに当たり前のこととなっていた。

「ホント、早く終われよ、ってカンジだよね。あ、杏子先行っといて。私先トイレ行ってから追いかけるしさ」

 杏子と友人の久枝は体育委員だから、早めに行ってボールを用意するなどの準備をしておかなければならないのだ。

「リョーカイ。あ~マジヤダ」

 はたで聞いていると、よく自分がイヤにならないなぁ、と思えるくらい否定的な言葉づくしなのだが——

 本人は、一向に苦痛ではないようである。



「痛った~あい!」

 暗がりで、杏子は後頭部を押さえながら何とか立ち上がった。

 そこへ、遅れてやってきた久枝があわてて杏子に駆け寄る。

「だ、大丈夫? ケガとか、ない?」

 少しばかり頭がジンジンするが、耐えられないほどではない。

「……ったく、ツイてないわ。ホント信じらんな~い」

 面倒くさがりの杏子は、運動用具がしまってある体育準備室に入る時に、電気をつけなかったのだ。

 ボールの沢山詰まった移動式の網かごを、外から差し込む薄明かりで確認したので、ついつい油断してしまった。そこまで歩く途中に、卓球で使うピン球が足元に転がっていることに気が付かなかった。

 それを踏んだことが原因で足を滑らせてしまった杏子は、背中から後ろに倒れ、床で後頭部をしたたか打ってしまった。

 幸い出血はないが、手で触れるとそこは大きなこぶになっていた。

  多少目もチカチカしたが、数分後にはそれも治まり特に異常を感じなかったので、体育を休むこともなく杏子はそれからも普通に過ごした。



 お昼休みに、それは起こった。

 相変わらず友だちと何かするでもなく(したくても友達がいないからムリなのだが)、席に座ったまま本を読んでいる一美を、その場にいた仲良しグループのある女子がバカにし始めた。これも、このクラスでは日常茶飯事になった珍しくも何ともない光景である。

「アイツ一人で本なんか読んじゃってさぁ、やっぱクライよね。ま、しょうがないんじゃん? あんなに暗かったらトモダチもできないわよねぇ~」

「そうそう。本読むくらいならガッコ来ないで家で読め、ってのよね」

 自分たちが仲間はずれにして、その原因を作っているということは完全に棚に上げて、女の子たちはケラケラと笑った。

 その瞬間。杏子の顔面が蒼白になった。

「……ちょっと、何それ」



 悪口を言うたびに、友人の口からブワッと汚い何かが大量に吐き出された。

「きゃああああ」

 突然の杏子の叫び声に、周囲の子はビックリした。

「ど、どうしたの!?」

 どうやら、他の者には見えていないみたいだ。

 蛇やら蛾やら何かの幼虫みたいなのやらが、空中に飛び散った。

 それだけでも気絶しそうなのに、悪口を言う子のその喉から、三つ目の首やら小鬼やら龍のできそこないみたいなのやらが、ワサワサと這い出てきた。いわゆる『妖怪』 というやつに見えた。

 それらはみな、その場で陰口に盛り上がる女の子たちにひっついたり巻きついたりした。そして、彼女らの制服を食い破り、体内に浸入していく。



 ……あんたたち、平気なの?



 どうやら、杏子の見ているのは現実世界のものではないようだ。

 言わば、別次元の霊的世界を見ているようだ。だから、実際彼女らには何ともないらしい。現に、体を虫や妖怪にたかられても噛みつかれても、彼女らは平気でヘラヘラと笑っている。



 ……もしかして、私が頭を打ったことと何か関係がある?



 杏子が会話の輪から一歩引いてその場を見ていると、さらに恐ろしいことが起こった。クラスメイトたちの口からミサイルのように飛び出した蛇の群れが、一斉に一美の体に食いついた。

 その蛇たちは、一美の肩をバリバリと食べる。

 そしてある者の口からは矢の雨が。

 またある者の口からは火炎が。

 矢は一美の体中に突き刺さり、血の噴水が天井にまで上った。

 燃え盛る炎が、一美の体を焦がす。

 頭蓋骨のほとんど見えてしまうまで肉がそげた一美は、激しく泣いていた。

 現実には泣いておらず、ただ席に座ってうつむいて、文庫本に視線を落としているだけだったのだが——

 この時、杏子は初めて気付いた。



 ……あの子、ホントはこんなに苦しかったんだ。

 心の底では、泣いてたんだ。



 吐き気がしてフラフラになった杏子は、担任に早退を願い出た。

 傍目には本当に彼女が調子悪そうに見えたので、すぐに認められた。

 家への帰り道。

 街は、まさに百鬼夜行の世界であった。

 会話をするオバサン連中の口から、おびただしい数の妖怪が喜々として飛び出してきている。

 チャラチャラした若者たちの口からも、汚物や腐った肉のようなものがドボドボとあふれ出ていた。

 杏子は、なるべく目を伏せて道を進んだ。



 途中、喉が渇いてコンビニでお茶を買いに入った。

 レジでは、三人ほどが並んでいた。

 待っていると、別の店員がそれまで無人だった反対側のレジにつき、「こっちのレジもどうぞ」 と呼びかけてきた。

 すると、そのタイミングでたまたまレジへやってきたおばちゃんがスッとそのレジの前に立った、その時——

「ちょっと待てよ」

 杏子の前にいた男の口から、大量のナメクジが飛び出した。

「オレの方が先に並んでたんだぞ。こっちが先じゃないか!」

 男が言葉を発する度に、爬虫類も両生類もごっちゃになったような気持ちの悪い生き物がわんさかと湧いてきた。

「んまっ。そこまで言わなくても——」

 悪気のなかったおばちゃんも、ムッとして応戦する。

 おばちゃんの口からはガスのような黄色い煙が吐き出され、辺りには硫黄のような鼻をつく臭いが充満した。

 耐えられず、杏子は鼻をつまんだ。 何とか自分の番でお茶の代金を払った杏子は、そそくさとコンビニをあとにした。



「ああ、杏子。あんた学校早く終わったの?」

 台所にいた母親は、杏子を見てため息をついた。

「あんたっていつも、ちゃんと帰って来るんだか来ないんだか、分かんないんだから。毎日、ちゃんと言っといてよね。こっちだってね、ご飯の用意があるんだからさ。ホントいつも台所が片付きゃしないんだから」

 母のため息と一緒に、のっぺらぼうやらろくろ首やらちょうちんお化けみたいのやらが、ケケケケと笑いながら出てきた。

「あ、そうだ。あんたせっかく早く帰ってきたんだから、お使いとか行って来てくれたらうれしいんだけど?」

 杏子はいつものクセで、反射的にこう言ってしまった。

「ヤダ。何であたしがそんなことしないといけないわけ?」



 とたんに、杏子は後悔した。

 思わずえづいた自分の口から、ゴキブリやらバッタやらミミズやらカエルやらが飛び出した。数えたくもなかったが、見た感じ数千匹は下らないであろう。

「いやああああああああ」

 思わず口元を押さえて、杏子は洗面所にダッシュした。

 そこで、昼食べたものを思いっきり吐いた。

 胃液の最後の一滴までもしぼり出したんじゃないか、と思うほど吐いた。

 急に心配になったのか、母は飛んできて娘の背中を懸命にさすった。

 杏子は胸が苦しかったが、少しその母の気持ちがうれしかった。

「……ありがとう」

 杏子は気付いていなかったが、母にありがとうと言うことは普段なかった。

 実に、久しぶりの感謝の一言だった。



 その時、杏子の口からキレイな花びらがフワリフワリと飛び出た。

 周囲の空気まで、どこかのきれいな花畑にでもいるかのような、かぐわしいいい香りで満たされた。

「母さん。やっぱり私お使い行くね」

 杏子は思い切ってそう言ってみた。

 胸がスーッとした。 こんなに気持ちのよいのは、久しぶりだ。

「ほんとに?」

 母の顔が輝いた。

「まぁ、うれしい。行ってくれるんだったら、ご褒美に千円あげる。好きなことに使いなさい」

「サンキュー」

 杏子は、買い物リストを受け取って家を出た。

 短いやり取りだったが、とても幸せな気分になった。



「こんにちは」

「いいお天気ですね」

「お疲れ様です」

「ありがとう」

 


 買い物をして街を歩きながら、杏子は会う人会う人にそれらの言葉を使ってみた。

 知らない人にでも、勇気を出して言ってみた。

 すると、今まで汚物や妖怪をそこら中にまき散らしていた人たちがとたんにニコニコ顔になって、それがピタッと止まるのだ。そして逆に、周囲の空気が軽くなる。そして、得も言われぬいい香りが漂って、心がウキウキする。



 ……そっか。私、今までイヤなことばかり口にしてきたんだなぁ。



 自分の言い放つ言葉には、魂がある。

 感謝の言葉・愛の言葉・人をいたわる言葉は安らぎと平安をもたらす。

 陰口・人を傷つける言葉・下品な言葉・自己中心的な言葉は人を傷つけ、自分の心も相手の心をも、汚物にまみれさせる。

 その夜、ベッドの中で杏子はそれまでの自分を省みて、泣いた。

 心からの後悔の涙。

 そして、新しい自分になるための、出発への誓いの涙——。

 


 次の日。

 杏子のクラスメイトたちは驚いた。

 あれだけバカにしていた一美に、杏子が話しかけたのである。

 そして休み時間の会話の輪の中にも、一美を引き込んだ。

「へぇ~、一美ちゃん本とか映画とか、私らよかめっちゃ詳しいじゃん。オススメのやつとかあったら、教えてよ」

 普通、このようなケースでは一美に味方した杏子まで村八分にされるものだが、あまりにも杏子の態度が自然で、ウソのない飾らない気持ちからの行動だったことが、皆にも伝わったのだろう。

 その時を機に、もう誰も一美をからかったり悪口を言わなくなり、クラスの雰囲気がグンと良くなった。



 三日ほどして、杏子の目は普通に戻った。

 もう、妖怪やら虫やらは見えなくなった。 恐らく、後頭部こぶの腫れが引いて、完全に治ったことに関係しているのかもしれない。



 杏子は、言葉の持つ恐ろしさを身をもって知った。

 人の心から出て、口を通して現れてくるもの。

 それを、本当に吟味しないと、私たちはどんどん腐っていく。

 そして知らないうちに自分がどんなにつまらない、くだらない人間になってしまっていることか。



 感謝しよう。

 人に優しく。皆のかけがえのないそれぞれの価値を認めよう。

 世界を良くする言葉を、私が選んで沢山言えますように——



 朝、家を出た杏子はスキップして歩道を駆けた。

 これから、一緒に登校することになった一美を迎えに行くのだ。

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