第44話 そして、これからも描かれていく

 洞窟を後にし、帰路に着こうとしたときしたときだった。


「あんた、ちょっと待ってなさい」


 とそう言って、真莉は洞窟の裏側へと言ってしまった。


 灯護が首を傾げた矢先、携帯端末の着信音が静かな森にけたたましく響き渡る。驚いて通話ボタンを押すと、流行りのポップアーティストの曲が止まる。


「あんたそれ、美咲が好きな歌手の曲じゃない。そういう影響もうけるのね」


 電話口の声は真莉のものだった。


「え? 真莉さん? え? なんで?」


「ちょっと話したいことがあるけど、感情共鳴されるの嫌だったから。今私の感情伝播してる?」


「うん。まあ少し。洞窟の向こう側にいるよね?」


「まだ届くのっ?ちょっともうあんたが離れなさい。ほら行った行った」


「ええ……」


 横暴だよ、と言いつつも彼は湖畔に沿った道を洞窟とは反対方向に歩いていく。しばらく進んでいけば、真莉の感情も感じなくなり、正真正銘一人でいる感覚が彼を包む。


「離れたよ。それで、話って?僕電話苦手なんだけど……」


 相手の感情も感じられない状態で声だけ聞くというのは、彼にとってどうにも気持ち悪く感じる。


「それが普通の人の感覚よ。ちょっとは思い知りなさい」


 またも横暴なことを言って、彼女は話を続ける。しかし、その話は別に普段の雑談と何ら変わりない内容で、灯護には全く意味が分からない。なんとなく、湖畔を歩きながら応対するが、相手の感情も感じられない電話越しでは、なぜこんなことをするのか全く察することもできない。


 そうして三〇分ほど中身のない会話が流れ、ついにしびれを切らした灯護が切り出す。


「あのさ、真莉さん。何か言いたいことがあるんじゃないの?」


「……」


 電話の向こうへ声が引っ込む。感情の受領をほぼ共鳴キャン能力バスに頼ってきた彼は、その沈黙が何によるものなのかもわからない。


 しばらくして再度真莉の声が響く。


「訊きたかったの。誰にも影響されていない、あんたの本心を」


 歩を進め続ける灯護は一人。今このときは、彼の心は彼だけのもの。


「あのとき……どうしてあんなことができたの?自分の心をなげうって、姉さんと完全に共鳴するなんて……」


「それは、だって、あのままじゃ悲しすぎると思ったから……」


「でも、あなたは、自分が失われることをあんなに恐れてたじゃない!」


 真莉の問いに灯護は目を丸くした。


「そんなことを気にしてたの?」


「そんなことって……」


「だって君が教えてくれたんじゃないか。僕の本質は、お人よしだって」


「え……?」


 少年の頬に笑みが浮かぶ。


「博物館で君がそう言ってくれたおかげで、僕は自分の中の自分を見つけられた。だからあの夜も、込みあがってきた思いを自分のものだって確信が持てた。君と、唯花さんを助けたいって、あのままどちらかが死んじゃうなんて悲しいことにはしたくないって思いに自信が持てたんだ」


 端末の向こうから息を呑む声が聞こえる。その意味は共鳴しなくとも彼にはわかる。


「君が僕の意思の形を教えてくれたから、唯花さんの感情に同化しても、僕は自分の意思を見失わずにいれたんだ」


 もちろん、後悔もない。


 極限にまで唯花の感情に共鳴した後遺症は少し残った。彼女の剣技が今も経験として使えるし、仕草や振る舞いが依然と違うと何度も友人から指摘された。一番大きな変化は利き手だ。今までは右利きであったのに、無意識のうちに左手を使ってしまっている。それも利き手と遜色ない精度で。


 けれど、彼にはもう恐れはなかった。人の影響を受け、変わっていくのは、だれしもあること。あの真莉でさえそうだった。ただ、だからこそ意志を持つことが大事なのだ。


 真莉は教えてくれた。自分にはちゃんと自分の意思があると。


 言われたときには半信半疑だったあの言葉も。今なら実感をもってそう思える。自分自身の意思と言えるものがあると感じられる。あの事件の日に最後まで自分の意思を通せたように。


「だからありがとう、真莉さん」


「……何よ。お礼を言うのはこっちのほうよ」


 その言葉は心が共鳴してなくとも暖かく感じた。


 風が一つ吹き抜けて、微笑みで漏れた吐息をさらう。


 変わっていく。人は人に影響を受けて。


「真莉さん、今度また遊びに行かない?」


「え?」


「ほら、前遊んだときは、台無しになっちゃったから……」


 その声は小さい。感情の分からないがゆえに、返ってくる反応の予想がつかなくて。しかし、それでも通したい意思が確かにあった。


 真莉の声は聞こえない。息づかいと風の音が耳をくすぐる。


 二人の脳裏に同じものがよぎっていた。かつて真莉を誘ったときのこと。


 通話が途切れた。灯護の歩みがゆっくり止まる。視線の先には、同じく湖畔を歩いてきた真莉の姿があった。


 はにかむように彼女は笑う。


「そうね。それもいいかもね……」


 彼女を縛っていた鎖はもうどこにもなかった。


 流れ込んできた感情はどこまでも透き通っていて。灯護も笑みを綻ばせた。


 そうして二人は並んで歩き出す。


 いつか嗅いだ新緑の匂いは思い出に。気づけば森には深い蒼が満ちている。木漏れ日揺れる森のなかに、新しい季節の足音もまた混ざっていた。



              終

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Canvas ~赤い少女が描いた未来~ 那西 崇那 @nanishitakana

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