正しいあの人の奪い方

るた

正しいあの人の奪い方

ある街に、恋する乙女が居た。可憐な乙女が恋するは、街でも有名な若旦那。誰もが羨む妻を持つ男。そんな男でも、乙女は好きで好きで仕方なかった。乙女はどうにかして若旦那を手に入れたい。そう思い悩んでいると、目の前に黒いローブを纏った赤い目の女が現れた。


「お話、聞かせてくださるかしら」


―――――


乙女が住むのは海の見える街外れの屋敷。屋敷は綺麗に整っており、「優秀な執事を持つことが出来て光栄だわ」と乙女は女に自慢する。女はこの屋敷を『知っている』。女は「そうね。ね。」と答えた。


乙女は客間に女を案内すると、メイドに紅茶と菓子を持ってこさせ、恋愛相談を始めた。


「私はあの人が好きなの…本当にどうしようもないくらい。私だってこんなのおかしいと思ってる」


「そう…どうしてそう思うの?」


すかさず用意された菓子に手を伸ばす女。構わず乙女は女の質問に答えた。


「だって私、今まであの人のことを支えられたもの」


女はぴたりと動きを止めた。「それなのに、好きになってしまったと?」女は冷静に乙女に問いかけた。すると乙女は「そうなの。最近も、毎日の様に彼が私の元へ来てくれるの」と乙女は答えた。それは、ただの浮気なのでは…。女はそれを口に出そうとした時、乙女が話し始めた。


「あの人ね、今の奥さんと付き合いたい!って言ってた時、あの奥さん自身…私の幼馴染なんだけど、結婚は絶対にしない!って断言しててね。そもそも付き合うのだって大変だったのよ。そんでもって結婚なんて…私、説得したんだから。あの人の幸せのためなら、って」


「…今になって、男に恋をしたと」


女が紅茶を啜りながら聞くと、乙女は頷いた。


「そうね…。本当に狂った話だと思うわ。手伝いまでした夫婦の旦那に今更恋をするなんて」


そこまで言うと、乙女は少し下を向いた。女は「まさか」と何かを察した。案の定、乙女は口を開いた。流暢に、そして狂ったように話し始めたのだ。


「あの人はどうして、私の幼馴染が好きだって言うのかしら。私はあの人と出会ったその時から好きで好きで仕方がなかったのに。でも私は我慢したのよ。あの人が他の人を好きだと言ったから。でもね、今の今になって、我慢が出来ないのよ。私の幼馴染はあの人のことを好きとも思ってなかった。それでも取り繕って幸せそうな夫婦に仕立てたのは私。その中で、あの人を諦められるかもしれないと思ったの。でもね。やっぱりだめなの。諦められないの。私ならあの人の傍にいられるだけでとても嬉しいし、結婚できるなら本当に幸せ。あの人の子供だって産めるわ。幼馴染は本当に何も望んでなくて、あの人を嫌っている節もあるくらい。そんなあの子が私は羨ましくて羨ましくて。私が貴女のいる場所に居たかったのに、居たかったのに!狂おしい程、私はあの人を愛してしまったの!愛して…!!」


乙女が発狂し、立ち上がろうとした直前で、女は青い金槌を乙女に向かって振り上げた。『破壊』の象徴であるそれは、乙女の動きを止め、乙女は気を抜かれたかのようにまた座り込んだ。人々が忌む『破壊』も、このように使えば狂った感情さえ消せるのだ。


「…毎日、ここに来ていると言ったわね?」


女が問いかけると、乙女は青い金槌から目を離さず、こくこくと頷いた。


「…利用されてるだけじゃない?」


女の答えは的確だったようだ。


「私の幼馴染は…研究がとっても大好きで…ずっと研究ばかり。彼の元へは数日に1度、しかも少しの時間にしか帰らない。彼はそれでもいいと幼馴染に言っていたはず。なのに彼は幼馴染が居ない夜、私のところに来てくれるの」


「都合のいい浮気相手ね」


「それでも良いわ。私が二番目であろうと、私の事を愛してくれるなら。『一人の女』として、愛してくれるなら…もうどんな形だって良い…」


乙女は顔を隠し、涙を流した。女はこの乙女がどうしてここまで狂ったのかを考えた。


そして女は思い出した。彼女の心をここまで狂わせたのは、『あれ』かもしれない。女は乙女に青い金槌をお守りとして渡した。どんなときも手を離すな。それはきっと、乙女を救うことになるだろうから…。女はそう言って、屋敷を後にした。


―――――


案の定、その日の夜に男は乙女の元を訪れた。男は「今日も会えて嬉しい」と乙女の頭を撫でた。いつもの事なのであるが、今日の乙女は頭を撫でられても嬉しくはなかった。今までの狂おしい程の愛とは逆に、彼をおぞましく感じてしまっていた。乙女の目に自然と嫌悪の念が映ってしまう。男はそれを見逃さず、「どうしたの?いつもなら嬉しそうにするのに」と乙女に問いつめた。


「…いや、なんでもないわ」


笑顔で取り繕う乙女を、男は不快に感じた。


「俺、君と話せて本当に楽しいんだよ?だからこうして毎日君のもとへ行くんだ。…嫌なら、もう来ないよ」


乙女はそこで、つい「ええ、もう二度と来ないで」と口に出してしまった。『破壊』の象徴は、狂った乙女の感情を正したのだ。


しかし、乙女がここで正されても、男の方が問題だった。男はその場で乙女を押し倒し、乙女の首を掴んだ。


「今まで嬉しそうだったくせに、今更どうしたんだよ」


乙女は冷静に答えた。


「やっと目が覚めたの。あの子の代わりに私だなんて、都合が良いにも程がある」


その言葉に、男は激昴した。それこそ、男が元々狂っていたというように…。


「俺は!まさかあいつが元々付き合うことはおろか、結婚なんてしたくなかったことを知らなかった…!お前が黙っていたんだろう!全部知ってたくせに!」


確かにそうだ。乙女は二人の間に大きな価値観の違いがあることを知っていた。その違いを互いに知られないようにしたのは乙女自身。全てはこの想いを諦めるためだった…。諦められては、いないのだが。


「あなたが傷つくのを、見たくなかった」


あの子の代わりに私が貴方の恋人になりたい。ずっとそう思っていた。ただ、今の乙女の想いは、ただただ「この人から離れたい」というもの。乙女は意を決し、男を突き飛ばした。そして逆に乙女が男に乗り、懐に隠し持っていた青い金槌を取り出し、男に振り上げた。


「私自身を愛してくれる人は、いないのね」


涙を流しながら、乙女は笑いだした。「あはっ。あははっ…あははははは!」『破壊』の刃は、男に向けられた。乙女が男に向かって金槌を振り下ろしたその時、何者かによって金槌を掴まれた。その手を追うと、赤い目の女が冷静な表情で立っていた。


「…行きましょう、恋に狂う乙女」


赤い目の女は乙女の手を掴んで乙女を立ち上がらせた。そして、乙女と共に屋敷を出ようとした。男は「ま、まて」と乙女を追いかけようとする。大きな扉の目の前、赤い目の女は眼光で男の動きを止めた。男はその場に座り込み、喚き始めた。


「俺も愛されたいんだ!俺は勘違いしてたんだ…。お前が俺と一緒に居てくれるから、本当に嬉しくて…。だから今が幸せだと思ってたんだ。俺の妻も好きだけど、お前も好きになってしまった…。でも俺は、妻に愛されていないんだ…」


少しずつ声が細くなる。女は何かに気付き、一人男に近づいた。


「…あなた、もしかして紫色のコンパスを持っていたりしないかしら」


「コンパス…?ああ。持ってる。ここの近くの海に落ちてたんだ。綺麗で、思わず拾ってしまったけど」


男はそう言うと首に掛け、服の下に隠していたコンパスを女に見せた。『創造』の象徴であるそれは、下手したら乙女と妻を巻き込んでいたかもしれない。『創造』は自身を中心に廻る。男にとって、妻も乙女を『自身を愛してくれる人形』に他ならないという事だ。


「…あなたは、自分の身勝手さで二人の女を失いましたとさ。めでたしめでたし…。って書くのかしら、物書きは」


女は男が気がつく間もなくコンパスを手中に収める。「…今のは…魔…」男がそう言いかけた時、女は「更生して、妻とよろしくやってなさい。乙女、行くわよ」と無視して屋敷を出て行った。そして屋敷を出ると、おろおろと心配する白衣の女が居た。この女こそ、男の妻である。


「本当に、ごめんなさい。貴女の気持ちも知らないで…身勝手なことをしたわ」


白衣の女が乙女に懺悔する。乙女は「でもあの人が本当に好きなのは貴女だから」と申し訳なさそうに答える。乙女には彼に抱く狂気の愛は残っていなかった。


「…あの人とは別れます。あの人もいつか、良い人に出会えるでしょうから」


そう言って白衣の女は屋敷へ入っていったが、女は「そう簡単に上手くいくものかね」と呟いた。意外にも、その発言に乙女は「多分生きては出てきませんよ」と乗った。


「面白い子ね。あの狂気はこのコンパスにやられてたってことかしら」


『創造』のコンパスは周囲の人間にも影響を与えるのか…。持ち主の思い通りに周囲を動かす。あの男も、何も知らないくせしてよくやったものだ。


「そのコンパスといい金槌といい…。その道具達はどうして宝石みたいなんですか?」


乙女が純粋な疑問を抱く。女は「教えてあげようか、愛しい人の子孫には」と言った。そして、赤い目の女は、『五つの道具』と自身の生い立ちについて乙女に語っていった…。


この乙女は、女と別れた後、本当に自信を愛してくれる人と結ばれることになる。然しその代償として、赤い目の女のこと、そして『五つの神器』のことを忘れてしまった。


それでも彼女は、幸せになったのだ。

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