またあとで

賢者テラ

短編


【着弾15分前】


 Final World war Ⅲ(最終世界大戦)、開戦三日目。

 アメリカの不沈空母・日本列島。

 ついにアジア列強が前哨戦として日本に牙をむいた。中国・インド・中東諸国は日本に空母や戦闘機を送り込む、というまどろっこしいことをしなかった。日本を消滅させる気で、初めっからありったけの戦術核を発射した。

 その威力、ヒロシマ・ナガサキ級の20万倍。トマホーク核ミサイルの5千倍。自衛隊ごときの日本のミサイル迎撃システムでは、すべての大陸弾道弾を撃墜することは到底不可能だった。

 狂っていた。

 日本を消滅させるのに必要な量以上のミサイルの雨が降り注いでくるのだ。

 跡形もなくなるどころか、地球に穴があいてもおかしくない。

 加減などかけらもないその殺戮兵器は、日本国民を飲み込もうとしていた。



 天皇家・首相・大臣・官僚をはじめ重要な文化人……選ばれた知識人・教授・大企業や銀行のトップ・有名芸能人たちは、混乱を避けるためすでに極秘裏に日本を離脱していた。

 ミサイルがまっすぐに飛来する日本に残されたすべての者に、逃げ道はどこにもない。自分たちは見捨てられたのだ、と知った日本国民は絶望した。

 テレビ・ラジオは日本の最後を告げるニュース一色である。

「おれたちは、捨て駒か——」




【着弾12分前】


 マンションの7階の一室。

 トキエは、孫の日菜子を抱いてリビングの隅でじっとしていた。

 何てこと——。

 報道が真実ならば、あと12分で日本は世界地図から消える。

 それは、とりもなおさず自分の死を意味した。

 そして、この孫もそれは同じなのだ。

「いやだよう、いやだよう……」

 高校生の日菜子は、青春真っ只中だった。

 最近誠実な彼氏もできて、喜んでいた矢先の出来事であった。

 日頃大人びた日菜子だけに、子どものように祖母の自分に泣きついてくる姿が、痛々しい。

 日菜子の父と母とは、連絡がつかない。

 電話回線も、もうつながらなくなっている。



 今建物の外へ出ていくことは自殺行為だ。特に若い女性は。

 日本の消滅が確実になった今、自制のたがが外れた者たち、特に男どもががしたことは 略奪ではなかった。そんなこと、世界の終わりに何の意味もないから。

 死を悟った一部の男たちは、手当たり次第に近くの女を襲い、強姦した。

 恥も外聞もない。ほぼ、本能的に突き動かされての行動だった。

 あちこちで、ところかまわず女を組み敷いてなぶりものにした。

 無法地帯だった。止める者など、誰もいない。

 そんなことしたって、12分ですべて終りなのだから。

 最後を象徴するかのようなくれないの空に、女たちの悲鳴が上がる。



 人であることを放棄した獣たちは、女の中に己の精を放った。

 犯す相手を見つけようとしたある男は、一軒家のガラス戸をぶち破って中に侵入し、隠れていた家族を襲った。邪魔な父母を惨殺してからその死体を横に、その家の一人娘を凌辱した。

 まだ、14歳の子だった。




【着弾9分前】


 今年で89歳を迎えるトキエは、思い出していた。

 かつて、今と似たような状況を体験した。

 第二次大戦の時、まだ小さかったトキエは——

 空襲のたびに、家の横の防空壕に避難する生活を繰り返していた。

 薄暗い、湿気で汗ばむ狭いスペースで、家族が身を寄せ合う。

 母と、二人の妹。父は徴兵されてすでにいない。

 今どうしてるのか無事なのか、まったく分からない。

「こわいよう!」

 一番下の妹が、泣く。

 地響きにもにたゴウゴウという音。焼夷弾の落下音。

「母ちゃん、死にたくないよう!」

 エンエン泣きじゃくる真ん中の妹。

 長女のトキエは泣きこそしなかったが、心の中は不安ではちきれそうであった。



 ……実はあの時、一番叫びたかったのは私だったかもしれない。



 今になって、トキエはそう思うのだった。



 他界してすでに30年を経た、当時のトキエの母は——

 娘たちを抱いて、優しく語りかけたものだ。



 かわいい私の娘たち。

 笑いなさいな。

 大丈夫。

 母さんが、保証するよ。

 あんたたちは、幸せさ。

 胸に手を当てて、自分に聞いてごらん。

 何か、死ななきゃいけないような悪いことをしたかい?

 お天道様に恥じるようなことを何かしたかい?

 してないんだったら、堂々としてたらいいんだよ。

 真っ直ぐに生きる者の幸福を阻むものなんて、何もない。

 たとえ死んでも、その後幸せになれるよ。

 世の中理不尽に見えてもね、最後は帳尻が合うようになってるのさ。



 母は笑顔でそう言ったあと、歌でも歌おうか、と提案してきた。

 B29の飛来音が頭上に轟く中、みんなで声を張り上げて歌う。

 トキエの心から、不安の雲がパァッと消えていった。

 空襲を受けているのに、何だか楽しい気分になった。

 結局、それ以後も数度の空襲を受けるも一家は助かり、終戦を迎えた——。




【着弾5分前】


 ついに、日菜子の精神が限界に達した。

「何で、何でよおおおおおおお」

 日菜子は近くの植木鉢を窓に投げた。

 激しい音を立てて、ガラスが砕け散る。

 泣き崩れて、床を叩いた。

 ガラスのかけらが、日菜子のこぶしから血を吸い取る。

「死にたくないよおおおおおお」

 狂人のように髪を振り乱して食器を投げ出した。

「結婚もしたかった……赤ちゃんもほしかったのにぃぃ……」




【着弾3分前】


「バカッ」

 トキエは日菜子の肩をつかみ、引き寄せて頬をひっぱたいた。

 びっくりして体のバランスを崩す日菜子。

 我に返って、涙に濡れた視線をトキエに向ける。

「……安心をし」

 思い出していた。

 母の、かつての確信に満ちた落ち着きを。

 自分に恥じぬ人生を送っているならば、たとえどんな理不尽な外力によって自分の人生を捻じ曲げられようとも、必ず報われる時が来る。

 それがこの世で無理なら、死んだ後のどこかの世界で——。

「お前は、幸せな子なんだよ」

 日菜子を抱いて、優しく頭をなでる。

 若さと活力にあふれた、今失うには惜しすぎる命。

 でも、トキエは確信していた。



 ……お母さん?



 自分が、自分でない。

 この瞬間、母が自分に乗り移って、孫に語りかけているような気がしていた。

 


「お前が一生懸命生きていたことはね、きっと知られている。

 心配することないよ。

 世界はね、そんな了見の狭いところじゃないのよ。

 あなたはね、絶対に幸せになれるんだから——」




【着弾1分30秒前】


 トキエは、日菜子と手をつないで歌を歌った。

 かつて防空壕で母と姉妹三人で歌ったように。

 


 喜び 広げよう

 小さな 僕たちだけど

 あの青い空のように

 澄み切った心になるように



 選んだのはなぜか、『あの青い空のように』という唱歌。

 不思議と、不安はなくなった。

 さっきまで半狂乱だった日菜子も、今元気を取り戻して歌っている。

 そう。

 これで、終りじゃない。

 人間は、そして世界はこんなことで台無しになるようなくだらないものでは、絶対にない。



「また、会えるよね? 加藤君にも。この次はね、ゼーッタイに離さないんだ。結婚してね、かわいい子供作るんだからね!」

「……もちろんさ」

 トキエは、呻くように答えた。



 明るさ いつまでも

 小さな 僕たちだけど

 あの青い空のように

 澄み切った心になるように




【着弾40秒前】


 天空に光が満ちた。

 決して天からの救いの光ではない。

 ついに、無数のミサイル群が日本上空に到達したのだ。

 日菜子とトキエは、歌を歌い終えようとしていた。



 怒りを 燃やそう

 小さな 僕たちだけど

 あの青い空のように

 澄み切った心になるように



 トキエと日菜子は、見つめあった。

「おばあちゃん、ありがとね」

 日菜子は、にっこりと笑った。

 窓の外に、光り輝く何かの塊が飛来していた。

 それに一瞥をくれた日菜子は、大して気にせずにトキエに向きなおった。

「それじゃ、バイバイ」

 二人は、手を握り合った。

 孫のロングヘアをゆっくり撫でたトキエは、最後の言葉を発した。



「また、あとで——」 

 


 そこで、一切の物音がなくなった。


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