第20話「……佳奈さん」

 それじゃ

 と言葉を残し、彼女は去っていった。

 冷めた――らしい。

 

 僕はその場に立ちすくんだまま、しばらく、閉められた扉を眺めていただけ。

 時間がどれほどすぎたのかはわからなかった。

 そのまま、気が付いた時には僕は自分のベットに横になっていて。

 天井を見つめていた。

 まっすぐ。

 その白を見ていた。


 僕には――何もない。

 

 そんな事実、当たり前の事実。

 それをただ、現実に突きつけられただけの話。

 

 実際、やる気がなかった。

 仕方なしにやっていた。

 熱なんて、気持ちなんて、思いなんて、微塵もこもっていない。

 好き、なんてない。  

 姉と違って、僕には何もない。


 打ち込んだことなんかない。

 人生をかけたことなんかない。

 全力になったことなんかない。

 夢中になったことなんかない。

 周りが見えなかったこともない。 

 ただ、何となく。

 起きて顔洗って、飯食べて、会話して、風呂入って、寝る。

 それを繰り返してきただけの日々で。

 『忙しい』と言い訳を並べて。

 彼らのように何かを作ろうとなんか考えたこともなくて。

 あの子のように、誰かのファンでいられたこともなくて。

 

 趣味なんて――なくて。


 そんな自分が――僕は嫌いで。

 焦って。

 見つけようと、探そうして。

 続けようと努力して。

 汗かいて。

 苦しみながら前に進んで。

 

 それでも――やはりそんなことをしている時点でそれは間違っていて。


 『本物』はそもそも、それが努力なんて思っていなくて。常に全力が当然で。

 毎日誰に頼まれずとも邁進している。


 僕たち『偽物』のハリボテなんか、すぐに剥がれてしまう。

 

 だからいつの間にか、それをやることをやめてしまった。

 忘れてしまった。

 最近やっていないな、なんて。

 そんな風に何度となく考えた。


 そんな醜い自分。

 欠陥品の自分。

 何もない、だらしがない自分。

 生きている価値のない――自分。

 もちろん死ぬ勇気なんかあるわけもない僕は、今日までダラダラ生きてきただけで。

 そのツケと報いが、今になって帰ってきただけの話。

 それだけの話。

 やはり、わかるのだ。

 そう言う奴らにとって。

 『本物』の奴らにとって。

 本気か、そうでないかの違いなんか、明らかすぎるんだ。



 思考が止まらない。

 止まってくれない。

 ダメージは、思ったよりも深かったらしい。

 それはどんなに取り繕ってもこうやって涙すら出ない衝撃は、どでかい。

 性格的に不貞寝が苦手なタイプであることぐらいは重々承知の上で、それでも今日は寝たかったのだけれど、それでもやはり、できなかった。

 ままもだけですぐに蘇る。

 三者三様、言われた言葉を思い出してしまう。


 ……だめだ。

 

 横になっていた体勢はいつの間にかベットに腰掛けるようになっていた。

 視界に広がっているのは白く広い天井ではなく、ただのフローリング。

 縦線が引かれているという一点において模様的特徴は天井よりも多くあるはずなのにしかしその光景はひどく無機質でつまらない。

 つまらなくて、単純で、整っていて。


 ——面白くない。

 

 自分のようなその地面に、また深く思考の闇が頭を覆う。

 マイナスの方、自己嫌悪の方に傾いていく。

  

 いい加減、そんな視界への嫌気が増してきて。

 僕は視界をあげる。

 壁にある時計。

 

 何歳だったか。

 誕生日プレゼントとして姉さんから貰ったゴそのシック調の掛け時計に、その時間を重ねる音に、注意を向ける。

 

 一体僕がこの部屋に帰ってからどれぐらいの時間が経ったのかはわからなかったけれど、それでも、短針が九を指し示しているのは事実らしかった。


 喉が渇いた気がする。


 ほとんど意識のないままに、僕は階下に足を向けた。

 

「生きてる?」


 三枝さんに決別を切り出された先の現場と同じ場所であるとは思えないほどにその雰囲気は変わっていた。

 陽の光は沈んで。

 カーテンは閉められていて。

 部屋の明かりは間接照明に。

 机に突っ伏していた人は、ソファの上に。

 グラスを持って。

 その人は虚空を見つめていた。

 

「……大丈夫? ……って。全然そうは見えないけど」


「……佳奈さん」


「うん。佳奈さんですよ」

 あなたのお姉さんの友達で。

 あなたの入っている劇団の副団長で。


 そう言いながら、彼女は初対面の僕にみしたようなその朗らかな笑顔を見せる。

 朗らかで、年上的な。

 暖かな柔らかな。

 そんな表情。

 そんな感情。

 それを感じられた。

 

 そして——

 彼女は口を広げる。


「ちょっと飲まない?」


 その表情は、以前より少しだけ、優しげで、同情的だった。

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