第18話「あの人。姉さん、綾さんの」

 その日は解散となった。

 それ以外、特に言うこともない。 

 好きなだけの言葉を吐いたあと、そのまま一条さんはいつの間にか姿を消していて。

 それから数分後に隅の方を確認したところ、小柳くんの姿もなくなっていた。

 あの大きなバックにはモバイルプリンターでも入っていたのか、そのプリントアウトした紙が一つだけそこに置いてあった。

 手に取る。それを見た。


『あのビッチの言葉なんか、ほとんど信じるに値しないクソにまみれた廃棄物とほとんど同義だと思うので気にしないでいいと思いますよ』 


 それに連なる、一条凛への悪口と文句と苦情とクレームが数十行だけ続いて、死の呪詛が数行続いて、そしてそれらほとんどを読み飛ばして。

 そして最後。書くのを悩んだのかは定かではないけれど、それでも確かに数行空いて、そこには言葉が並んでいた。


『僕は本当にあいつのことが嫌いだしうざいし、主義主張は本当に煩わしいと思っているし、考え方の違いなんて言葉で切り離せないほどにあいつの思考は理解ができない上に、心の底から死んで欲しいと思っていますけど——でも、それでも、最後にあいつが言った言葉だけは、僕も理解できます。

 綾さんはそう言う意味でとても魅力的な人でした。常に全力で、夢中で熱中してて、魅力的な人でした。だから、その弟さんであるあなただってそうなんだろうと勝手に思ってました。

 でも、どうやらそれは僕の勘違いだったみたいです。勝手に期待してすいません。謝ります。

 でも——何か、せめて胸を張って、夢中になって行動している人じゃないと、魅力的に見えませんし、僕たちだって付いて行きたくありません。付いていけません』


 一通りを流し見て。そしてゆっくりと全文を見て。最後それをゆっくりと折って鞄い入れた。

 捨てようとも思ったが、それでもやはり、文章からうかがえる優しげな同情に近いようなものを感じてしまっては、ゴミ箱に手を向けにくかった。

 呆然としたまま、僕は鞄を持って外に出た。

 やる気なさげな店員はどうやらシフト時間が終わったみたいでそれとは違う子が受付に立っていた。

 小柄な女子。

 耳は特徴的な大きさのピアスをはめていて。

 鼻は高く、唇は厚い。

 金髪に、碧眼。

 一瞬彼女かとも思ってその顔を注視してしまう。けれど、しかしよく見ずともその色が上から後付けされたものであると言うことがわかった。


「……?」


「……あ。はい、すいません。いくらですか?」


「ん? いや、大丈夫ですよ。もうお代はいただいているので」


 その言葉の意味が一瞬分からなくなるも、しかしそういえばこの部屋は姉が一ヶ月単位で借りてくれた事実に遅まきながら気が付いて、財布を探した手を止めた。


「あ……そっか。はい、すいません」


「いえいえ、大丈夫ですよ」

 

 だめだ。

 ちょっとどうしようもないぐらいに弱っている。

 

「じゃあ、あの……はい。すいません」


「……?」


「明日……また来ると思うんで」


「はい」


「また、よろしくお願いします」


「…………」


 ポカン——とそんな顔をしたその女性は、その後、一体自分が何を聞いたのか分からないみたいな顔になって、首を傾げて、時間が経って……そして、最終的には破顔した。


「あーっそう言うことですか! 面白いですね!」


「……え、何がですか?」


「今、言った言葉の意味です。明日も来るから、その時はまたよろしくお願いします——って、そう言う意味だったんですね」


「えっと……まあ、はい。そうです」


 一体何がおかしいのか、口を押さえて笑った様子が変わらないその女性は、その笑顔のままに言葉を続けた。


「ふふ、明日のことなら明日言えばいいじゃないですか」



 それに……

「私、ただのバイトなんですよ?」


「はあ……」


「だから、ただのシフト制のバイトである私が、明日もここにいるとは限らないじゃないですか」


「…………あ」


「新手のナンパか! ——なんて、そんなこと考えちゃいましたよ」

 あー、おかしい。

 

 そんな風に言葉を並べて、彼女はまた、笑った。


「それは……確かにそうでした。すいません、なんか変感じになっちゃって」


「いえいえ。私普段ナンパとか全然されないんで、むしろちょっといい経験したぐらいに思ってます」


 そう言った彼女は自分の頬をぽりぽりと掻いて、ニコリはにかんだ。


「じゃあえっと…………お?」


「……はい?」


「お客さん、この部屋ってことは……じゃあ、もしかしなくとも綾さんの関係者さんか何かですか?」


「……? はい。そうですけど」


「じゃあじゃあ! まさかの劇団員の方だったりするんですか?」


「えっと……そうとも言えるし、逆にそうじゃないとも言えるし……。なんと言うかな……」


「ふむふむ」


「本当の劇団員の人にも失礼だと思うし、だからどちらかと言えば、劇団員って名乗るよりも、弟って言った方が今はしっくりくる感じかな」


「弟?」


「あの人。姉さん、綾さんの」


「ああ、なるほどなるほど。そう言う……」


「うん」

 

「そっか、弟……弟ね…………って、ええええぇー!」


 わかりやすいぐらいにのけぞって驚いて見せた彼女。

 この数分しか話していないけれど、きっと友達多いタイプの人間だ。


「弟さん? あの綾さんの弟さん? あの難攻不落、綾城の主である佐藤幸人さん? ……え、本物ですか? 触っていいですか? 舐めていいですか?」


「後半二つはぜひ遠慮したいけど、一応本物ではあるかな」

 なんか前半に不可思議な形容のされ方をした気がするけれど、しかしそれには黙殺した。


「確かにどことなく、綾様に似ている気がしますね! ……ほら、目元とか!」


「僕と姉さん血は繋がってないんだ」


「性格そっくりですもんね!」


「なんで君があって間もない僕の性格を把握できてんだよ」

 そしてそれは普通に悪口だ。

 

「いやいやいや! 実はですね! 私、綾様の大ファンなんですよ! もちろん綾様が出演するときの劇団公演はほとんど欠かさず見てますし! その時のDVDだって全部持っているんです!」


「……へえ」


「あの頃はほとんど圧巻でした! あの美貌にあのスタイル! それに加えて勝る演技力! 何にも増して完璧なその振る舞いはほとんど美しさと言う概念のそのもの! 私にとってはほとんど女神みたいなものなんです!」

 

 夢中になって彼女は続ける。


「それがいきなり栄転しなさって! まさか自分の劇団を立ち上げるなんて思っても見ませんでした! そのキャスト姿が見えなくなったはとても残念でしたけれど、それでもやはり演劇会場に行けば、なんとなく綾様の意思を感じられるんです! きっとそれも綾様のお力添えあってのことなんでしょうね!」

 

「…………」


「最近はなんだかゴタゴタがあってらしくて、クオリティが落ちただとか、つまらなくなっただとか、声が全然張られてないだとか、そんなことがまことしやかに界隈では言われていますけどね! でも私は負けませんよ! どんな奴がどんなことを言っていようとも、例え綾様が演劇をやめたとしても、それでも一生かけて応援し続けてやりますから!」


「…………」


「……あ、もちろん、綾様がご迷惑にならない範囲ですよ? だから、変なこと言わないでくださいね? ね? ね? 私がここで働いているのだって、別に昔から綾様がご懇意にしているレンタルルームだったからとかじゃないですからね? ストーカーとかじゃないですからね?」 

  

「……あ、はい。大丈夫です。わかってるます」


「ほんとですよ? 綾さんが極度のブラコンだって話は、もはやファンの中ではほとんど暗黙の了解みたいなものなんですから! あの美貌、あのスタイルを持ちながら、しかし浮いた話一つない最大理由だって言われているんですから! もしそんな弟さんに何か告発されてしまった日には…………もう私あしたから生きていけません……!」


「…………」

 

 それから。

 それからの話を色々考えながら、思うところを探しながら聞いていて。

 そして最後、

 ——来月の公演を楽しみにしています、なんて言葉をなぜか僕がいただいて。

 そして頑なに僕をそこから返そうとしない彼女へ半ば無理やりに言葉をかけて、その場を後にし帰路に着いた。

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