第17話「……何もってわけではないよ」

 ……さてと。

 改めて状況を俯瞰して見る。

 積まれていたパイプ椅子から一つを引っ張り出す、反対側の背もたれに顎をのせた。


 ちょっと……まずいかもな。

 

 今更すぎるが、そんな危機感に目覚めた。

 練習を開始しようにも、まずそれをはじめるに至るコミュニケーション力が全員欠落しすぎていて。

 一条さんに関しては言っていることぶらぶらの自称ロボットな演劇中毒者だし。

 小柳くんは普通に危険人物だし。

 三枝優姫に至っては未だその姿すら表すこともなく。

 加えて団長の僕自身、演劇の知見や知識、姉のようなカリスマ性だって全くない。

 せいぜいあるものとしては、彼や彼女たちの個人情報と、一ヶ月間間借りすることに待ったこのレンタルスペースぐらい。

 かき集めて無理矢理に挙げるなら、「いつでも相談しに来てね」と、渡された佳奈さんの連絡先ぐらいか。

 

 そして何より、最大の問題として——残り本番までが一ヶ月弱ということ。


 ……おっと。

 もしかしなくてもこれは詰んでませんかね。


 状況と情報と持ち物を羅列してわかったことがせいぜい現実の厳しさだけという、死に際の遭難民みたいな僕である。

 

「あの——」


 ふと声がかかって、目の前に誰か立っているのがわかった。

 目をあげる。


「……ん、あ、ごめん、一条さん。考え事してた。どうしたのかな」


「今日は一体何をするんですか?」


「そう、だよね。……うん、一応、決めてはいるんだけどさ。でもこの状況だしね」


「私はようやく、今後の予定だったり方向性だったり、役割だったりを決められると思っていたんですけど」


「まあ……うん。そうなるよね」


「あとはまあ、演目をどうするのかとか、劇伴の種類はどのくらい用意するのかとか」


「その辺かな」


「あとスタッフ関係だって私、全然把握できてないんですけど。あの……それは第一劇団から人ごと借りる方向なんでしょうか? 本当に四人でやるつもりじゃないですよね?」


「……あ、ごめん、それ今第一劇団に投げてからまだ情報がキャッチできてないや」


「それにキャストだって足りません。どの演目をやるのかはまだ決めていないですけど、まさかこれは登場人物全てを私にやれという意図だったりしますか?」


「え、……いや、そんなことは、ない……と思う」


「じゃあ、それも第一劇団から人を借りてくるんですか? それとも外注するんですか?」


「……それは……合わせてみんなで相談してから決める方がいいと思ったんだけど」


「そもそも資金繰りとかどうなっているんですか? 第二劇団なんて呼称でもある程度の金銭能力はもらっているんですよね?」


「……一応、うん。姉さんから幾らかはもらっているけど、その使い道も、僕の金じゃないからさ。みんなで決めていかなきゃいけないことだと思ってるよ」


「…………」


「…………」

 

 無言。

 沈黙。

 何も……ろくに言葉が出ず、僕の顔はいつの間にか下を向いている。

 だから彼女の顔は見えていないはずなのに、しかし、それでもその目の冷たさはわかった。


「あの」


「……ん?」


「もしかしてですけど」


「……うん」


「幸人さん、まだ何も決めてないんですか?」


「……何もってわけではないよ」


「じゃあ、何を決めたんですか」


「場所と、配役、資金繰りとか公演の日取り確認とか……かな」


「じゃあ、何もしてないじゃないですか」


「…………」


 再び沈黙。

 彼のタイピングの音も、なぜかここでは響かなかった。

 

「あの幸人さん」


「うん?」


「前にも、お食事に連れて行った時も、実は思っていたんですけど」


「うん」


「すいません、はっきり言いますね」


 一言。


「やる気あるんですか?」


 ためらいなくそんな言葉が吐かれた。



「演劇に造詣がないことは知っています。他の人は知りませんけど、もちろんそんな人が団長をやるなんて不安でしたし、嫌でした。私の愛している演劇が侮辱されているような気がして、馬鹿にされているような気がして、真剣じゃなさそうな気がして。本気でやれなさそうな気がして」


「…………」


「でも、それでも、綾さんが言うから、あそこまで、『あの子なら絶対大丈夫』って、そうあのとき私たちに言ったから、だから私は最終的にあなたの団長を認めたんです」


「…………」


「最初に私、幸人さんに言いましたよ。私は演劇だけを愛しているんです。行きすぎて左遷されてしまった今だって、全く一ミリだって揺るがない愛なんです。誰に馬鹿にされようと、けなされようと、止められようと、絶対にそれは変わりません。私はこれに命をかけているんです。幸人さんにこの気持ちが理解できますか?」


「…………」


「ねえ、幸人さん」


 顔を上げる。

 その顔は、想像以上に白く、冷たい。


「あなた——何か今までにやってきたこととかあるんですか?」

 やってきたこと、と言うか。


「何か……打ち込んだことだったり、好きなことだったり、命をかけたことだったり、そうじゃなくても……例えば趣味とか、そう言ったものがある人なんですか?」

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