第15話「ご期待に添えなくて申し訳ない」
そしてそれから数日後。
こまめな連絡共有を彼と彼女と行いながら、一向にグループにすら入ろうとしない三枝さんへの連絡も欠かさず行いつつ、事務的な連絡手続きを前に進めていた状況。
そんな中、僕はまた、駅のロータリーで待機をしていた。
まあ。
といってもあの時と違って、別に人を待っているわけではない。
人ならもう来ている。
僕の隣に、ずっといる。
フードを深くかぶって、何かをじっと睨むように見つめている男がしっかりいる。
何を見ているのかは全く定かではないのだけれど、しかし一点、そのまっすぐな視線がずれることだけはない。
何やらぶつぶつと呪詛をつぶやくようにして口は動いていて、手はものすご速さでタイピングを続けている。
通行人が何事かと僕らの方に目を向け、よく見て、そして逸らしていくのがわかる。
だいたい、時間にして二時間だろう。
一体何人の人に僕の顔を認識されたのか。
やばいのは間違いなく僕ではないはずなのに、しかしどうにもその顔がはっきりと見えない仕様になっているせいで、僕だけがただ悪目立ちしている図になっている。
僕、何もしてないのに。
ただ頼まれて隣にいるだけなのに。
まあ別にこんな離れた駅に知り合いの一人だっているわけはないのだし、どんな勘違いされても別に構わないのだけれど、しかしそれでも、さっきからとても神妙そうな顔をしてこちらを見続けるおまわりさんぐらいには、せめて誤解を解く言い訳を準備しておいたほうがよさそうだ。
そんなことを考えながら、いいセリフを考えながら、言い訳を考えながら。
唐突に服の角が何かで引っ張られる。
一つの手。
小柳くんだ。
PCの画面がこちらに剥かれている。
読め——ということらしい。
『今日はわざわざお誘いいただいてありがとうございました、私もぜひ一度幸人くんとはじっくりお話ししたいと考えていましたので大変嬉しいです』
「あ、うん。こちらこそ」
『後、わがまま言って別日に変えてもらってすいませんでした。やはり歩く有害ゴミと一緒に食事なんて、一瞬考えただけでどこからか蕁麻疹が浮き上がってしまうもので……。こうしてわざわざ二人の時間を作っていただいたほうが体調管理的にも正しいかと思いまして』
「その言葉が全部本当だったら、僕の今日の判断はほとんど英断だったと思うけど、でもそのセリフ絶対あの子に言わないでね。間違いなくろくなことにならないから」
『善処します』
「言葉通りの前向きな回答だと思っておくよ」
『でも……よかったんですか?』
「ん?」
『私はとてもありがたいですけど……それも、こうして私のわがままに付き合っていただいて、今日、こんなところで座っているだけで』
早いタイピングで矢継ぎ早に続けられた言葉はそこで途切れた。
まあ、小柳くんの言いたいこともわかる。
確かに僕は彼をご飯に誘ったのだけれど、だからと言ってまさか自分がこんな状況でこんなご飯を食べていることになるとはここに来るまで夢にも思っていなかった。
『本当に大丈夫ですか? パンの耳をつまむだけで』
「うん……まあ。これはこれでうまいし」
『別に食事まで私に付き合うことはないですよ。私は普段からあまりエネルギーを消費しないので問題ありませんけど……でも幸人さんはそうではないでしょう? それに朝ごはんも食べてないって言ってたじゃないですか』
「大丈夫、大丈夫、別に心配しないでいいから」
先ほどからうるさく鳴き続ける腹の虫をなでつつ、袋に入ったパンの耳をつまんで食べる。
「もしかして僕ここにいないほうがいいかな? 邪魔だったりする?」
『あ、いえ、そんなことはないです! 全くないです! むしろそれどころかいてくれて助かっているぐらいです!』
「……助かる?」
『いつもは大体一時間ぐらいで警察の方に止められてしまうんです! こうして長時間人間観察を続けられたのは初めてなんです! ありがとうございます!』
「…………」
お礼……なのだろうけれど、しかし素直に喜べないのは果たして僕の心が狭いからなのだろうか。
とまあ。
とにかく、だ。
「あの——ちょっといいかな」
いよいよこちらに近づいてきた景観への言い訳をそろそろ本格的に考えなきゃいけないらしい。
ということでその説明に終始して、ようやく彼の作業は終わりを迎えたらしい。
文面を見る限り、いつもは早々に止められてしまう活動が思いの外長時間できたらしく、なかなかに上機嫌な小柳千尋。
僕は今日、彼とご飯を食べにきたのだった。
目的としては——だいたい一条凛と同じ。
親睦を重とした情報の共有だ。
だから。
まあ一条さんの時と同様。
郷に入っては剛に従え。
そこから張り付いたように動かなくなってしまった彼に合わせた僕の食事は、パンの耳となったわけだった。
真剣に言えば、別に不味くはないこの食べ物。
しかしやはりそれだって飽きはくる。
一体どれほどのパンを切ればこの分量の耳が出るのか、ぜひこの目で見たいと思えるほどのラスクたちだった。
僕たちは、公的権力に追い出されるような形でそのロータリーを追い出されると、そしてそのまま公園に流れ着く。
ほとんど歩く経路と理由がホームレスに酷似している気もするけれど、考えたら負けな気がする。
『それで——』
ベンチに座った途端、小柳くんは、またキーボードを叩く。
『今日はどのような要件でお誘いいただいたのですか?』
「あー、うん。用事っていうか。なんというか」
言葉を選びつつ、僕はいう。
「いや、ね。今後のやることの相談というか、初稽古の日取りとか、そういった諸々の共有がしたいってのと」
『はい』
「あとは……まあ親睦会ってやつかな。残念なことに二人しかいないけどさ。数少ない男子二人、頑張ろうよ——っていう感じ」
そんな言葉を慎重に吐き出して、相手からの返事を待つため黙るも、しかしなかなかその手は動かない。
なんとなく誰もいない公園の中、ブランコや滑り台に視線を持って行きつつ、時間を潰して、そして彼のPCをまた見る。
『……あ、すいません。ちょっとなんと返したらいいのかわからなくなってしまいまして』
「あ、ごめん。なんか馴れ馴れしかったかな」
『そういうわけじゃないんですけど……。なんというか、そういうセリフって、あまり聞いたことも言われたこともないものだったので。正直なんと返すのが正解なのかわからなかったんです。自分のコミュニケーション能力のなさに呆れます。ごめんなさい』
「そんな全然、謝らなくていいけどね」
というかコミュ力についてはここまで全部筆談でやっちゃってる時点でもう十分に絶望的だと思うし。
『あと、ですね。劇に関する相談——という話であれば、なら、もしかしたら私は適任じゃないと思いますよ』
「ん、どうして?」
『私はもともとシナリオの人間ですので、そもそも演劇のことに対しての熱がない人間のです。一応の知識として知ってはいますが、それでも人様に語って聞かせられるほどのものはないですから。だからその点に関して言えば、私以上に最適な人が他にもたくさんいると思うので、ぜひその人に聞くべきだと思います』
「なるほど、うん。わかった、その相談はやめておくよ」
『はい、その方が賢明です』
それを言って、彼は一瞬、キーボードから手を離す、しかしまたすぐに置いた。
『で、後者の方の話。仲良くしたい——という話についてなのですが……私自身未だ未時間人生ではあるんですが、未だ誰かに親睦を深めよう——なんて今まで私の人生で言われたことなどなかったものでして』
なんというか——
と、指を止めずに彼は書き切る。
『——とても変な気持ちになりまして』
「変な気持ち?」
『すいません。これに関しては時本当に言語化が難しいです。なんというか、的外れのことを言われているような気がしてしまって。……あ、もちろん何を言っているのかとかそういう意味に関しては重々にわかっているつもりなんですけど。それでも何か引っかかるといいますか』
と、それから、また指の動きを止めて、タップの音は消えた。
風がなびく。
上にある緑は、とても茂って青々しい。
木漏れ日の漏れた光がランダムに視界に入って痛かった。
その気まずいとも言えないような静寂の中、それを破ったのは僕だった。
「じゃあちょっと話変えるけどさ」
『はい』
「嫌だったら全然答えなくていい質問だけど」
『はい』
「姉さんの何がそんなにいいの?」
『全てですね』
即答……いや、速筆だった。
早すぎてほとんど食い気味にタイピングの音が聞こえたぐらい。
仮にこうした活字にだって圧があるのだとするなら、それはもう十分に感じれれるほどに強力だった。
『私にとって、あの方は最高なんですよ』
「最高?」
『私はシナリオライターです。作品を通して世の中に還元してメッセージを届けるのが仕事なんです』
「うん」
『そんな中、そんな仕事の中で、一番大変で困ること、それはネタなんです。テーマだったりメッセージだったり、と。ゼロのものを一に変換するのがとても骨の折れる作業なんです』
「まあ……素人なりになんとなくそれはわかる気がするけど」
『という意味で考えると、彼女——『佐藤彩』の人生というには現実に生きている人間とは思えないほどに劇的です。刺激的です。圧倒的なんです。一緒にいるだけでインスピレーションによってしまえるほどに、魅力的なひとなんです』
「それは恋愛感情とはまた違うのかな」
『違いますね、多分ですけど。私自身、特定の誰かを好きになったことはないので恋がなんのかはまだ手探りで模索している途中なのですが、それでもきっと、この感情はそれとは異質なものだと思います』
「……そっか」
数秒。
続いた言葉を頭でまとめて整理して。
僕は言葉を吐く。
「僕にはよくわかんないな」
『そうですか。あれほどに愛情が注がれている弟さんであるあなたなら、私の考えも理解できると少し期待していたのですが……』
「ご期待に添えなくて申し訳ない」
『いえいえ』
「まあ、姉さんもそこまで嫌がっていなかったみたいだしさ。是非これからも見てたらいいんじゃないかな」
『言われなくても、もちろんです。ライターとしてそれはほとんど本能のようなものですから』
それだけ会後の彼の顔は未だ僕からは見えなかったけれど、しかし、なぜかとても生き生きしているように伝わった。
僕はしばらく黙って空を眺める。
上に広がる雲は何の変哲も無い形をしている。
「……じゃあ、帰る前に最後、一つ聞いてもいいかな」
『? 今日はもういいんですか?』
「逆に大丈夫なの?」
『……実を言うと、これから仕事の締め切り待ってまして』
「バイト?」
『そんな感じです。一応、僕も劇団員の一人なので』
「そか」
『はい、だから早めの解散は助かります』
「……うん、じゃあ最後一つだけ」
僕は立つ。
久しぶりに、パソコンでなく彼に相対する。彼に——聞く。
「君は、どうしてシナリオを書くの?」
『好きだからです』
また即答。速筆。
先の質問以上に早い返答だった。
ひっくり返して見せてきたその画面に広がる活字が並んでいる。
その後ろ、言葉が続いていた。
『他に……何か必要ですかね?』
それを書いた彼の文字からは……どこか哀れみのようなものが感じられた。
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