第14話「……それだけ?」

 それから数日が経った別日。

 僕は彼女をご飯に誘った。

 ここで言う彼女と言うのはもちろん指示語のそれである。

 あのロボット。

 一条凛とご飯を食べるのである。

 佳奈さんの言葉を鵜呑みにしたわけではないけれど、確かに彼女の言う通りな部分も多い。

 ——相手を知って己を知れば、百戦危うからず。

 孫子だったか。

 そんな言葉を引用してきたはいいものの、しかし己をつかめず、相手もわかっていない僕は果たして一番に負ける人間ということなのだろうか。

 

 と。

 そんなどうでもいいことを考えて数分。

 僕は電車を降りた。

 うちの最寄駅から乗り換え二回で数駅。

 そこまで離れていたわけではないし知らないわけもなかったのだけれど、しかし特別降りる事情もない。

 そんなありふれた駅の一つで沿線だった。

 僕は駅を降りて、指定された場所——噴水吹き出るロータリーの前に立つ。

 時間は……だいたい五分前。

 

 

「——お待たせしました」  


 耳当たりの良い、そんな涼しげな声が耳に届いた。

 向く。

 まず目に付いたのは、目深にかぶった青い帽子。

 風になびいたその黒髪の綺麗さに何となく勿体無いと感じてしまった。

 身長的にちょうど僕が彼女を見下ろすような格好になってしまうからだろう。

 その整った顔も、影に隠れてよく見えない。

 

「本日は、お誘いただきありがとうございます」


「うん、こちらこそ」

 

 ちなみに僕が彼女にタメ口になっている理由は、あの後、どうしてかわざわざお願いされてしまったからであって、別に僕が変なチャラついた男というわけではない。

 僕だって特別な理由があって敬語を使っているわけでもないのだ。

 お願いまでされたらそりゃ変えるだろう。


「あと——」


「はい?」


「私のわがまままで、いちいち聞いていただいて、どうもありがとうございました」


「……わがまま? ああ、口調のこと?」


「はい、もちろんそれもあるのですが——ここで言っているのは『彼』のことです」


「彼……」


「ほら、あの霊長類の」


「だいたい人は霊長類だと思うよ」

 

 と、そこまで言ったところで、僕はようやく一条さんの言おうとしていることがわかった。理解できた。


「ああ、小柳くんのことね」


「……誰ですかそれ」


「絶対覚えてるよね?」

 幾ら何でも記憶の抹消が早すぎる。


「……っち。嫌なことを思い出せてくれましたね。責任とってください」


「君から言い出したことなんだけど」

 

「まあでも、やはりプライベートまであの害虫と同じ空気を吸いたくはないので。もし会うのは二人でなら、なんていう勝手な私のわがままを通していただいて、ありがたく存じます」


「あー……うん。そうだったね」

 

 まあ、個人宛で送ったメッセージで彼からも全く似たような文面が帰ってきて、そして明日、彼とは別に予定を組んであることはどうやら黙っていた方が良さそうだ。

 

 と、そんな心を隠しつつ、僕は会う前から気になっていたことへの一応な確認を挟む。

  

「でも……これでよかったの?」


「どういうことでしょう」


「いや、姉さんとか、かなさんとか、呼ばなくていいのかなって思って」


「別にその必要はないと思いますけど。あの方達だって公演近くで忙しい身の上なのですし、その上代表者と副代表者ですから、まさかこうして別の劇団に首を突っ込んでいる暇だって早々にないでしょう」


「…………」

 

 いつだったか二人して家のリビングで酒に溺れていた二人は一体どこの誰だったのだっけ。

 そんなことを考えながら、あいも変わらず僕は作り笑顔でごまかした。


「何か問題がありました?」


「えっと……」


「はい」


「いや……なんでもない」

 

 まあ特別自分から言うことでもない。


 

 気にしなければどうてことないただのご飯会だ。

 何の変哲も無い。

 下手に意識する方がむしろ気持ち悪いだろう。

 それに、まさかロボットにそんな機能が備わっているとも思えんし。


 と、そんな思い直しで僕は言葉を切り上げた。


「まあ、私は彼以外であればどこの誰がいようと構いませんが」


「そう? じゃあやっぱり今から誰か呼ぶ?」


「いえ、その必要もないでしょう。今から時間が取れる私のあなたの知人となると相当限られてしまいますし、それこそ面倒です。それに——」


「ふむ」


「それに——私も一度、あなたとは腰を据えてお話ししたいと考えていたので」


 それだけ言葉を述べて、彼女は後ろを向く。

 その顔は、しかしどこか意味ありげな気がした。


「わざわざこうして私の地元まで足を運んでいただいたのですし、案内ぐらいはさせてください。美味しいサラダ屋さんがあるんです」

 さあ、こっちです。

 

 と。

 踵を返して彼女は先を歩き出す。

 身長の割に早いその歩調は、なかなかにペースが取りづらかった。




*****



 こんなところまで来て今更すぎることなので大変恐縮する限りなのだが、しかしそれでも一言言わせてほしい。


 ——一体どうして、僕は数駅電車でまたいでまでしてサラダを食いに行かねばならないのか。

 

 僕の中でサラダというのはやはり添え物で。

 サイドメニューで。

 肉や魚などのメインから離れた隅にあるようなもので。

 サラダバーに代表されるように、雑に扱われることが多い種類の食べ物だという認識が——とても強い。

 

 もちろんこれは僕の男子校育ちであるという事情を考慮した上での発言なので、それにだいぶな偏見が含まれいることは否めないけれど、しかしだとしたってこの意見への賛同者は少なくはないはず。

 だからもう一度。

 しっかりはっきり。

 自分の意思を証明しよう。

 直接的に、僕は言おう。

 

「サラダは——わざわざ食べに行くものじゃない」

 

「さっきから何をボソボソと言ってるんですか?」


 不思議なものを見る目で僕のことを見つめる一条さん。 

 その瞳には哀れみの色が強い。

 目深にかぶった帽子はもうなくて、その綺麗な顔が、真正面に僕を見ている。

 前に並べられているサラダには色とりどり、カラフルに並べられたサラダたちが己の存在を主張しあってとても綺麗に見えた。

 それを相変わらずの無表情のままに口に放り込む。

 

「……うん、相変わらず美味しいです」

 

「そう?」


「幸人さんも、ほら。そんな意味のわからないことばかり言っていないで一口でも食べたらいかがですか? まだ一口だって手をつけていないじゃないですか。これ、本当に美味しいんですよ」


「いや……まあそりゃ頼んだし食べるけども」


「もしかして、野菜苦手だったりしましたか?」


「別に苦手ではないよ。好きでもないけど」

 

 少なくともこうやってサラダだけを頼んだことはなかった、というだけの話だ。

 

 とまあ。

 まさかこんな文句ばかり言っても始まらない。


 僕はその無感情に向けられた視線の冷たさから逃げるようにフォークを口に放り込んだ。

 

「…………」


「どうですか?」


「…………」


 食い気味に尋ねる彼女を置いて、

 僕は目をつぶり、噛み締め、味わい、飲み込んだ。


「……美味しい、けど」

 

「ふふ。でしょう?」

 私自慢の店なんです。


 と、口調や表情はそのまま変わらないのに、どうしてか得意げな雰囲気漂う彼女、

 悔しいことには確かに相当悔しいけれど、しかしまあ、今まで食べたどのものよりもうまかったことだけは事実だ。

 言葉もないとはこのことである。

 


 それから。

 もくもくと、一心不乱にフォークをお互いが進めて言って、食べていって。

 その皿はすぐに空になった。


 ……いやでも、ほんと美味しかったな。なんだこの野菜。

 

 なんだか負けた気がするのでこれ以上の言及はやめるけれど、それでも後で店名をしっかりと確認しておこうと、そんな決意を固めるほどには美味しい店だった。


「じゃあ——食事も終わったところですので」


 と、いつの間にか席を立って、ドリンクを持ってきたらしい一条さん。

 どうやらドリンクバーまでついているメニューだったみたいだ。

 その手には紅茶とコーヒー。

 そのうちの一つを、僕の前に置く。


「食後は、紅茶なんですよね」


「知ってたの?」


「まあ」


「へえ。なんで?」


「なんでと言われましても」

 あなたのお姉さんが毎日毎日あなたの話ばかりするのでその中の話の一つを勝手に覚えてしまっただけです。


 と、そんな聞きたくもなかったやぶへびが出てきてしまった。

 なかなかに恥ずかしい。


 ……というか、そもそも普通に人が食後に何飲むのかなんて、そんな話題が世間一般に流布するわけもないだろうに。


「まあ、綾さんの弟好きは常軌を逸してますから。別に今更私たちは何も思いませんよ」


「……ありがとうございます」 

 

 普通に頭が下がった。


「では、せっかくこうして機会をいただいたのです。ここで少しお茶ませていただきましょう」


「うん、そうだね。……でも、これって場所とか変えなくていいのかな。お店に迷惑だったりしない?」


「それは気にしなくていいです。ここはカフェとしての顔も持っていますし、今はもう昼時も過ぎていますから」


「あ、そう」


「あと、ここはあまり人気がある店ではないというのもあります」


「やめなさい」


 今、店員さんがすごい顔で睨んできたんだけど。

 ……いや、あのすいません。帰りにちゃんと拡散しますから。また来ますから。


「それで——」


「ん?」


「今日はどうして私、ここに呼ばれたんでしょうか?」

 

 まっすぐ。

 僕に視線を向けながら、首をかしげる彼女。


 大きく丸い瞳がしっかり僕を見ている。


「何か私に用事でしょうか。それとも仕事の依頼でしょうか。もしくは個人的な用事か何かでしょうか。まあどちらにしろ、それでしたらケータイでも連絡いただければそれで十分ですけど」


「ああ、うん。どちらかといえば……まあ全部かな」


「全部?」


「うん」


 僕は頷いて笑う。


「多分あの面子の中ならまともに会話できるの一条さんだけだからさ。今後の方針とか含めて、少し相談に乗ってもらおうかと思ってね」


「相談……」


「もちろん、それ以外にもあるよ。個人的な用事としては、一応の仲間のことは知っておきたいと思ってるし、今後仕事をする上で仲良くしたいとも思ってる」

 

「そう、ですか」


「嫌だった?」


「ああいえ。別にそんなことはないです」

 ただ、そんなことを人に言われたのが初めてだったので。


「私自身が非常に内向的な人間だというのもあるのですが、それ以上に劇団の方々も、あまり他人と仲良くするタイプは少なかったので。こうして誰かとご飯行くのすら、実は初めての経験だったんです」


「そうなの?」


「はい、まあうちの劇団は社会人や学生が多い団体ですから。どうしても時間の確保が難しいというのもあります」


「一応……大学のインカレってことになってるんだよね」


「はい。でも、本当に一応ですけど」


「よくそれで、外ものの姉さんが代表者やってるね。知らないけど、そういうのってせめてトップは在校生じゃなくちゃいけないんじゃないの?」


「別にそんな決まりは特にありませんけど……それでも、一応、事実上の代表者が綾さんというだけで名義上は佳奈さんが団長だったと思いますよ」

 その辺も、あまり詳しくないんですけどね。


「普通はそういう事務的なことは全部、まとめて上の人たちが決めることが多いんですよ。わざわざ私たちに相談することもないんです。むしろ無駄とさえ言えます」


「会議とかもしないの?」


「大きいのは一応何度かはあります。でも、それは会議というよりは士気向上が目的だったり意識統一が目的だったり、って感じです。それでも何か具体的なものを決めるものはあまり。少なくとも私は参加したことないです」


 ゆびおりで思い出しているのか。

 時々左上に目をやって、記憶を探る一条さん。 

 やはりその記憶に該当する事案はなかったようで、「うん、やっぱりないですね」と、言葉を付け足した。


「……ふーん。やっぱりなんかちょっと意外だね」


「そうですか?」


「それで不満とか出ないの?」


「不満……」


「これやりたいとか、あれしたいとか」


「ああ、そういうこと。ええ、はい。もちろんありますよ」


「よくそれが噴出しないね」


「まあ、それは。というかその不満だって、後々考えたら——という話であって、普通、現場で通達された時に出てくるものでもありません。大体の場合はもうそれどころじゃありませんし」


「それどころじゃないとは?」


「大体締め切り間際なんですよ」

 まあ、今私たちが置かれてる状況よりは幾分だってマシですけど。


 それだけ皮肉まじりに行って、口角を上げる。


「ふーん。そんなもんか」


「そんなものです」


 と、会話の間が空いて、お互いカップを傾ける。飲む。置く。

 

 それから。

 なんとなくたわいのない会話と、そしてそのそも演劇において必要なものや人がどれぐらいなのか、その販路として何を使うのが適切なのか、それらの情報を自然な形で聞き出し頭の中にメモする作業に終始した。

 

 唐突。

 彼女のカップが空になっているのが目に入る。

 立ち上がった。


「あ、すいません」


「うん、僕と同じでいい?」

 

「はい」


「砂糖とミルクは?」


「そのままで」


 遠目にあるドリンクバーはいわゆるファミレス的なそれではなく、なんか……どことなくおしゃれなバイキングなんかでよく見受けられる、果物だがまるごと浸かっている……水? のやつで、つまり得体が知れないものがそこにあった。

 そのコーヒーを注ぐ手の傍、田舎者のように観察してしまった。


 こぼすことなく空気を入れながらそれを注ぎ終わり、僕は席に戻る。


「ほい」


「ありがとうございます」


「いえいえ」


 姿勢正して丁寧な頭を下げてくる。

 これだけ話しているからだろうか。

 その暑いカップへ慎重になっている姿からも、もはや最初の頃のようなロボットという印象は薄い。

 僕は、それを微笑ましく見つめながら話を進めた。

 

「でも、あれだね」


「はい?」


「やっぱり会社とか、そう言った組織とはなんか少し違うみたいだ」


「まあ当然ですね。そもそも入っている人の種類からして違うんですから」


「種類、ね」


「正確には、動機、ですが」

 モチベーションが会社なんかとは違います。

 

 ようやく温度が適温になったのか、口をつける。


「会社員の方々は、それはお金を稼ぐために働いているのですから、そは不満も溜まりますし、不平もいうでしょう。でも、私たちはそもそも別にバイトをして、貯金を切り崩して、毎日夜まで練習して、そしてお金を払ってまでこの劇団にいたいと考えている人間なんです。だから不平なんかあってもわざわざ言葉にすることはないです。本当に言いたくなったらそれこそすぐにやめますし」


「……なるほど」


「そもそもが逆なんですよ」

  

 彼女の言葉、そのセリフに何か思うところがないわけでもない。

 

 しかし そこで唐突、バイブ音が響く。

 一瞬自分のかと思ったそれは、しかし画面を見る限り僕ではない。


「——あ、すいません。そろそろバイトの時間です」


「え、あ……今日バイトなの?」


「はい」


「ちなみにどこで?」


「今日は花屋と工事です」


「二つも?」


「二つしか、です。昨日は四つでしたから」


「……大変だね」


「……?」

 

 不思議そうな顔。その状態で固まった彼女。

 一体こいつは何を行っているんだとばかり、その表情は——どこか昔の姉さんに似ていた。


「……あ、いや、なんでもない」


 なんとなく、僕はごまかす。  

 片付けを始めた一条さんは、そのまま後ろにかけていたカバンを手にし、帽子を目深に被りなおした。


「お金はさっき飲み物を取りに行っているときに払っておきましたから、問題ありません。行きましょう」


「……え?」


 何それ、惚れちゃう。




 もちろんお金はすぐに払った。なんなら少し多めに。

 そして、僕たちは先に集合した場所に戻る。

「もう四時なんだね」


「集合も遅い時間でしたから。まあ妥当な時間だと言えます」


「一条さん、意外と食べるの早いよね」


「よく言われます」


「…………」


「…………」


「じゃあはい。私はこれで」


「あ、ちょっと待って」


 ほとんど去りゆく足を止めて、彼女は振り向く。

 短く、端的に。

 僕は最後、質問した。

 


「一条さんはさ」


「はい」


「なんで劇団に入ったの?」


「好きだからです」


「……それだけ?」


「ダメですか?」


「…………」


「幸人さん?」


「いや……ああ、うん。とてもいいと思うよ」


「…………」


「ごめんね、引き止めちゃって」

 じゃあ、また


「あ……はい。また」


 時間がギリギリなのかもしれない。

 ほとんど小走りに近い速さで彼女の姿は消えていく。


 最後、彼女の見せた表情——その色はだいぶ昼よりも冷たかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る