第13話「……ノーコメントで」

 姉から出た三枝優姫へのカミングアウトがなかなかに衝撃的だったのは事実で、だから僕は一言だって言葉を発することなく、ただ姉の言葉に耳を傾けるだけだったのだけれど、しかしその実、ほとんど内容が頭に残ることはなかった。


 まあ、それでもあえてその後に続いた内容に描写をつけるなら、『三枝優姫は超がつくほどの遊び人である』——と言う要約で十分だろう。

 もちろん、これだってだいぶ彼女にもコンプライアンス的にも配慮した言い方である。

 もしここで姉の口から飛び出る言葉を直接的に表現してしまったとするなら、きっとこの文章自体がほとんど少年少女の目に触れることないものに成り果てしまう。 

 成人コーナーもなくなった今の時代。

 生き残るのは至難の技だろう。


 まあでも。

 そんな配慮に満ち溢れた言葉の中、それでも掻い摘んで語るのであれば、以下のような表現が多用された。


 『ビッチ』『阿婆擦れ』『渡り鳥』『変態』『露出狂』『モンスター』『石油王』『脳みそ下半身』『うさぎ』『性欲おばけ』……エトセトラエトセトラ。


 まさか姉の言葉全てが事実であるだなんて思っていないし、事実なわけないし、だいたいそんな人数の男女と付き合っている人間がこの世にいるだなんてそれこそ考えたこともないけれど、それでもそれらの言葉全てを本当に面白いものとして語っていたあの姉の笑顔と振る舞い、そしてその語りの温度を見る限り、どうもただの噂話というわけでもないみたいで——。


「まあさっきの反応を見る限り、どうやらあの子の裸を見たことは事実らしいし、本来であれば、あなたも優姫も極刑ものではあるんだけどね」

 でも——


「でも、今回は見逃してあげるわ。あの子の露出癖は病気みたいなものだし、手当たり次第に男の子を誘惑しちゃうのだってほとんど癖みたいなものだもの」

 

「癖……」


「まあ、うん。わかるけどね。あのルックスだし、あの人当たりだし、裸見ちゃったし——で、正常な男子だったらくらっとくるぐらいは仕方ないとは思うわよ。むしろその辺が変に異常じゃなくてお姉ちゃん嬉しいぐらい」


「…………」


「まあ、あなたのことが大好きな姉としての忠告じゃなくて、これは半年先を生きている人生の先輩として、適切なアドバイスとして聞い欲しいんだけどね。あの子だけはやめといたほうがいいと思うわよ」


「……なんでまた」


「だってあれ、ほとんど食虫植物みたいなものなんだから」


「すごい形容の仕方な」


「別に間違ったことは言ってないわ。頭を使わず本能で獲物を食べる——そんなあの子のスタンスを表現するには一番しっくりくる表現だと思うもの」


「……スタンス、ね」


「あの子は好きなこと以外はやらないの。反対に、好きなこと、興味があるものならなんでもやるわ。うちの劇団に入ったのだってそうだし、今やっている劇伴だってそうだし、私のことだってそうだし、あなただってもちろん……ね」


 ウィンク交じりに言葉を吐かれる。

 特に感情の揺れはなかった。


「あとは……そう。あの子が今、劇団を辞めようとしているのだって、全部そうだわ」


「……姉さん、やっぱり起きてた?」


「普通に寝てたわよ」

 ただ、昨日話した感じでなんとなく、ってだけ。


「あの子、最近劇が楽しくないんだってさ。……で、かろうじて私と佳奈が結構深くお願いしたから劇団には残っていたんだけどね。それでも、まあ結局は新劇団への移籍が決まって、モチベーションがなくなったんでしょう」


「……勝手だな」


「本当にね」


「姉さんがだよ」


「知ってる」


 特に表情が変わることもない。

 その手にあったコーヒーを、姉は久しぶりに口に含む。


「それぐらいあの子の才能は貴重なのよ。他の二人もそうだけど、それでもあの子は本当に前例がないくらいの天才よ。それこそ、無断欠席と遅刻、周囲との不協和音も全部見逃しても余りあるほどにね」


「そんなか」


「うん」

 本当……憎たらしいぐらいの才能よ。

 

 少し、苦虫を噛んだように表情が歪んだ。

 普通であれば、好印象から程遠い変化であることは間違い無いのだろうけれど、しかし、僕にはそれがどこか楽しげに見えた。


「もちろん劇団をやめてほしいとも思ってないし、やめさせるために移籍をさせたわけでも無いわ。佳奈には止められたけどね。でも私は、あの子のことを考えたら移籍は絶対にいい方向になると思ってるの。これはあの子に限った話じゃなくて、他の二人も含めてね」


 その視線は真剣にまっすぐだった。

 とても珍しい姉のそんな様子に少しの戸惑いを覚えつつ、しかし言葉を返す。


「……僕は全くそうは思わないけどね」

 あの三人だって、きっとそうだ。

 表情を表には出していなかったけれど、間違いなくその内部には蟠りが滞留しているはずだ。

 さらにその移籍先の団長が趣味の一つ、情熱込めるものひとつ経験のない同い年の若造ときたら、それはなおのことだろう。


「まあ、あなたはあなたのやるようにやったらいいのよ。少なくとも私は最高の適役だと思ってるし、考えたし、知っているのだから」


「……そうですか」


 まあ、今更何か言ったところで役を降りられるわけもない。拒否権などないのだ。


「だから、まあ、三枝優姫なんていう面倒な子のこともよろしくお願いね」


「へいへい」


「あ、でも、勘違いしないでね。当たり前だけど、私は別にあの子のことが嫌いってわけじゃないのよ。むしろ普通に好きなぐらいなんだから」

 じゃないと家に呼ばないしね。


 姉は笑った。


「変に振り向いてくれない男に執着して、固執して、安心し切って、未だ同居生活をずっと続けているよりは、よっぽど行動力溢れる女性だと思うわよ」


 ニヤリ——と。

 向けられた視線。

 それを気まずげに避ける。


 いや……いきなりそんなことを言われましても。

 

 構うことなく姉は続けた。

 

「それに何より——、どんなことよりも、まず……」


「……?」

 その言葉を貯める時にはろくなことを言わない姉の性格がわかっているからこその嫌な予感。

 そして僕の嫌な予感はだいたい当たる。


「幸人は、絶対そういうこ好きにならないものね」


「…………」


「あんな清純モノばかり集めている人間も今時そうはいないわよ」


「……ノーコメントで」


「ふふ。本当、あなたはわかりやすくて可愛いわ、大好きよ」


 

 ——と、まあ。

 

 以上のようにそんな話を延々聞かされ続けてしまっては、さしもの僕の気持ちだってもはや完全に冷め切ってしまったわけである。

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