第8話「これは……ホラー映画の番宣か何かでしょうか?」

 と言うことで。そんなわけで。

 僕のプライドをかけた戦いは、ほとんど虐殺と呼んでいい形で終焉を迎えたわけである。

 まあそんな東証株価指数ぐらいにどうでもいいことは隅に置いておくとして、話を前に進めるけれど、どうやら佳奈さんは僕のためにここへ呼ばれたらしい。

 その理由はつまりこう言うことだった。


「いきなり団長って、また大変なことになったわね」


「……はぁ」

 まあ、慣れてますんで。


 と、隣にいる姉に皮肉交じりの視線を向ける。

 しかし机に突っ伏し酔い潰れた姿を披露している彼女には届くことはないだろう。


「はは。やっぱりその適応力はさすが綾の弟君だね。普通の姉弟だったらこんなの激昂して家を飛び出しているレベルよ」


 白い歯を見せて笑った佳奈さんは、「偉い偉い」と、僕の頭を乱暴に撫でると、また右手に持ったウイスキーを傾けた。

 氷が溶けてカランとグラスに当たる音が響く。


「……お酒」


「ん?」


「佳奈さんって、意外とお強いんですね」


「……お? どうしてかな?」


 僕は視線をグラスと、そして開けられたウィスキーとウォッカのボトルにやる。

 合わせて間違いなく一リットルは下らない内蔵量のそれは、すでに二本とも空だった。


「あー、これか。なるほどね。……ううん、違うわ。さっきラッパ飲みするところ見てなかった? 開けたのは、ほとんどこの子。私なんてさっきからグラス一杯も減らせてないもの」


「……姉さんが?」


「うん。私以上に弱いくせにね」


 そういって、また一口だけ口に含んだ佳奈さん。

 心なし、その顔色は最初よりも赤い気がした。


「全く、勝手に呼び出したと思ったら、勝手に酔い潰れやがって」

 ほんとに友達やめるぞこら。


 と、佳奈さんは姉の鼻を摘んでひねった。

 その顔は言葉とは裏腹の薄い笑顔が浮かんでいる。


「まあ、こいつにしては頑張っている方か」


「……何がですか?」


「ううん、別に」


 と、視線を僕に合わさずに首を振った佳奈さん。


「さっきも言ったけどね。綾とは大学の同期だったのよ」


 起きない姉の髪を丁寧に撫でながら、言葉を続ける。


「……一昨年ぐらいだったかな。入学式の日ね、いきなり声かけられたのよ。『あなた、起業とか興味ない?』って」


「完全に変質者ですね」


 この人、外でもそんな感じなのか。

 と、視線をちらりと姉に向ける。

 寝息のタイミングは変わらない。


「もちろん丁重にお断りしたわ。起業なんかにはもちろん興味なかったし、サークル選びで忙しかったし、何より……まあ普通に怪しかったからね」


「それはそうでしょうね」


「それからね。どうしてかこの子に目をつけられちゃったみたいでさ。毎日毎日、声かけられるようになったの。『私と一緒に冒険しない?』『一度きりの大学生活よ?』『夢とかない?』『今不幸じゃない?』『悩み事ありそうな顔してるわね』『それらを一気に解消するいい手があるんだけどどうかしら』『ほらここにサインしてくれるだけで問題なくなるのだけれど』」


「後半ほとんど宗教勧誘なんですけど」


 もしくは占い師か何か。

 まあ、間違いなく初対面の人間にかける言葉ではないだろう。


「一ヶ月間ぐらいだったかな。入学式からずっと声かけてきてね。私もいい加減我慢の限界きちゃってさ。『声かけてこないでください』ってはっきり言ってやったの」


「まあ当然ですね」


 むしろそこまでされて今までそのセリフを言っていなかったことにも驚きだった。

 僕ならもう間違いなく公的権力に頼っている段階である。


「それからね。確かに声をかけられることはなくなったの」


「良かったですね」


「でも……ね。彼女、なんでか毎日校門で私のこと待ってるのよ。時間割も決まってなかったし、クラスだって全然違うし、授業だってバラバラのはずなのに。絶対私が来る時と帰る時、決まって門の前に立って、そして私をじっと見ているの」


「……すいません」


「何かしら」


「これは……ホラー映画の番宣か何かでしょうか?」


「いいえ、あなたの姉の話よ」


「…………」


「……続けて大丈夫?」


「……あ、はい。嫌です」


「そう、ありがとう」


「…………」


 もういいや。

 なんでもこい。

 

「でね。それからまた数週間が経った頃ね。まだ、校門に立って私を見ているこの子に、私言ったの。『すいません、校門の前に立って私を見るの、やめてもらえますかって』って」


「まあ当然ですね」

 もうさっさと110番しろよという話ではあるが。


「それからね、結局この子が校門に立って私を待つことはなくなったの」


「よかったじゃないですか」


「でも……ね。それから綾、どうしてか私のバイト先とマンションのエントランス前で私のことを待ち構えるようになったのよ。私、どこで働いているのか誰にも言ってなかったし、シフトもいつもバラバラで帰る時間も違うのに。なぜか毎日、私が帰る時にはそこにいるの。そして、私のことも見ずに、ただそっぽ向いて、空を見てるの」


「……すいません」


「何かしら」


「これは……恐怖体験の告白か何かでしょうか?」


「いいえ、あなたの姉と私の出会いのお話よ」


「…………」


「……続けていいわね?」


「……あ、はい。嫌です」


「そう、ありがとう」


「…………」


 もうやだ、この話。この人。


「でね。それからまた数日が経った頃よ。その日もバイト終わりの夜の時間に私の家の前で佇んでいる彼女がいたの。一体何を見ているかもわからない遠い目をして、長い黒髪はい丁寧に輝いていて、何かブツブツと小さく言葉を口ずさんでいたわ」


「なんどもすいません」


「なにかしら」


「これは本当に恐怖体験ではないんですよね?」


「本当に恐怖体験ではないわ」


「良かったです」


「続けていいかしら」


「嫌です」


「そう、ありがとう」


「もしかしてさっきから僕の声届いてなかったりします?」


「……そして、ね。私、ついに彼女に聴いたのよ」


「うん」


「意を決して、想いを決めて、心を振るって。『どうしてそんな私に付きまとうんですか』って」


「ほう」


「そしたらね、……なんてこの子言ったと思う?」


「……さあ」


「たった一言よ」


「一言」


「『なんとなく』」


「……え?」


「『なんとなく』って、そう、この子言ったの」


「…………はあ」


「あんだけ付きまとって、迫りよって、家の前とかバイト先まで訪ねてきて、最終的なその理由が『なんとなく』って——そんなのこんなの考えられる?」


「知りません。僕はだいぶ前から考えるのをやめてますし」


「ね。ね。そうでしょうそうでしょう!」


「あの……すいません。さっきから佳奈さんは何と会話をしているんでしょうか?」


「その日は結局帰ったんだけどね。家に帰って自分の部屋に戻った時にさ。なんていうか……私もうほんと頭きちゃって」


「はぁ」


「絶対次の日あったらとっちめて、問いただして、責め切って、そしてさっさと警察にでも引き渡してやろう——ってそう思ってたのよ」


「やっとですか」


「で、翌日にね、難なく学校にいた綾をとっちめて、捕まえて、初めて私から声をかけて——」


「はい」


「それでまあ——仲良くなって、そして今に至るのよね」


「すげえ省きましたね」

 前略っていうか全略って感じだ。


「何? 第二章聞きたかった?」


「心の底からいいえ」


「一応、第四章まであるんだけど」


「話が長いというより、普通にチャプター管理していることが嫌です」


 何ちょっと取り出しやすくしてんだよ。

 別に誰も見ねえし聞かねえよその話。


「まま、要約するとさ」


 と、長い掛け合いの中。

 

 一つ息を吸って吐いて。

 呼吸を整えてから

 赤らめた顔のまま、切なげに呟くように佳奈さんは言った。


「こういう何かに夢中になれるやつって——すごいなぁって、いつの間にか思ってたのよ」


「…………」

 夢中。

 


「熱中でもいいけどね。とにかく何かやりたいことがあって、なりふり構わず、理由もなく、周りの迷惑も、法律だって構わずに、ただ『なんとなく』前に進んで行って、歩いて行って、走って行って、向かって行って……。そういうの、私、無理だからさ」

 みんなすごいな——って思っちゃう。

 いいな——って感じちゃう。

 なんで自分はできないのかな——って考えちゃう。


 佳奈さんははにかんだ。

 その微笑みは前のと比べて少し空虚に見える。

 それはきっと気のせいだし、見間違いだろうけれど、それでもそう見てしまう自分が嫌だった。

 そう見えてしまう自分が嫌いだった。

 

「…………」


「? どうしたの、幸人くん?」


「……あ、いえ。なんでもないです」


「……あら、そう?」

 

 僕は再度頷いてみせた。

 これ以上考えることをやめる。

 思考を止める。

 

「——って、そうだったそうだった。こんなことを話している場合じゃなかったんだ」 


「はい?」


「あ、私もうすぐ酔いつぶれて全部忘れちゃうと思うから、その前にとっとと済ませるわね」


 いきなり慌てて、コップを置いた佳奈さん。

 ポケットを両方弄りケータイを取り出す。画面を見る。

 

「実は今日ね。私がここにいるのは、それはもちろん綾に呼ばれたってのもあるんだけどね。それ以上に劇団の副団長として、第二劇団の団長くんに支援物資を届けるため——っていう事情もあったのよ」

 流石に孤立無援すぎると思ってね。

 佳奈先輩の大サービスです。

 と爽やかなぶん顔で笑った佳奈先輩。


「支援物資?」


「ええ、そうよ」


 と、ケータイを見ながら一気に言った。

 ——ブブッ

 タイミングよく僕のケータイのバイブ音が揺れる。

 

「正確には支援情報——と言ったものだけれどね」

 でも、きっと役には立つ情報だと思うわよ。


 ケータイを手に取り画面を見る。

 通知が一件。表示されていた。

 押す。

 

「新劇団員三人の情報よ。住所氏名郵便番号電話番号大学名に学部学科メールアドレス、定期代からスリーサイズまで。そこに完全収録しているから是非活用してね」

 

 ウィンク交じりにそう言った佳奈さんは——そしてその後、宣言通り、すぐに眠るように死んでいった。

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