第9話「あ、はい」
個人情報保護法の実在が疑われるレベルの代物をポケット一つに抱えこんだまま、それを取り出して眺める。
頭を動かさず。脳を動かさず。
目だけを活字に追わせる。眺める。
この劇団の設立理念や経営陣の名前。
先ほどの佳奈さんの立ち位置や役職名まで、事細かに記されていたその文章。
その中に『第二劇団員』と名のついたフォルダを見つける。
一条凛。
小柳千尋。
三枝優姫。
以上三つのテキストデータが格納されていた。
最後のは劇伴担当の子の名前だろう。
僕は一番にその子のファイルを開いて、また、眺める。
顔写真に始まったその情報は、住所氏名などの個人情報に加え、入団希望理由や経歴、学歴、犯罪歴、受賞歴から家族の構成図まで。
それらすべてが載っていた。
なるほど、確かに。
大見得切って言葉を並べるぐらいの情報はそこにはあった。
僕はそれらを一通り眺め終わって画面を消す。
上を見る。
白い天井。
今朝見た天井がそこには広がっていた。
そこに、僕は頭の中で先ほど見た情報を整理し出してまとめる。
わかりやすく、見やすく。
彼ら彼女らの情報を一覧にする。
一条凛。
東京都に在住。東京都出身。
一人暮らし。
母子家庭で仲は良い。
兄弟はおらず、一人っ子。
大学には行かず、高校卒業と同時に劇団に入団。
努力家の性格で、女優志望にしては気取った様子もなくどんな仕事もこなす優等生。
好きな食べ物はサラダ。
嫌いな食べ物はタンパク質。
演劇の才能もあり、声もよく出る。
高校時代に演劇部の部長として県大会に出場。優秀賞を受賞する。
普段から物静かではあるが内に秘める劇への愛はとても強い。
しかし、周囲との協調性にかけることもしばしば見受けられ、時折意識の差からくる衝突が見受けられる。
金の卵ではあるがしかしそれはあくまで卵である。
卵じゃ、空には羽ばたけない。
劇団志望理由は『それしかないから』
小柳千尋。
埼玉県在住。兵庫県出身。
実家暮らし。
父母ともに健在で兄弟も彼以外に三人。
好きな食べ物はラスク。
嫌いな食べ物は薬味。
家族仲はよくなく、基本的に家にこもってシナリオ作りに邁進している。
高校は二年で中退。
『紅のソナタ』『闇弱』『あの丘の上で僕たちは』など、数々のゲームシナリオを手がける。
『ネタ探し』というわかりやすい行動原理をもち、それに従って生きている。
常に何かを書いており、言葉を用いるよりも筆談を好む。
あまりシナリオ部の人間と接点はなく、姉さんの言葉がなければ滅多に外にすら出てこない。
一年前に姉さんの演劇に感銘を受け入団。
基本的に誰とも喋ることはしないが、それでも節々に見受けられる言葉から周りを見下したような発言が汲み取れる。
とはいえ姉さんの言葉には従うから全てに反抗的なわけでもない。
どちらにしろ協調性は全く期待できないと言っていい。
劇団志望理由は『綾さんがいるから』
三枝優姫。
神奈川県在住。神奈川出身。
両親共に他界。
現在は姉と二人暮らしで大学に通っている。
好きな食べ物は面白い人。
嫌いな食べ物はつまらないこと。もの。
三人の中では最もまともな性格をしていてコミュニケーション力も柔軟にある。
調律師の姉の教育もあって幼少期から音楽に囲まれた生活を送っており、本人曰くできない楽器はないとのこと。
実績も申し分なく、高校時代の管弦部では抜きん出た存在で彼女を慕う後輩も少なくなかった。
動画サイトにアップロードした『一人オーケストラ』の動画は現在五十万再生を達成している。
またボーカロイドを中心とした楽曲制作にも携わり、不定期ではあるが動画を公開している。
友達も多く気さくで話しかけやすい人柄から、いつも周りに人がいる印象が強い。
しかし、三人と同様、彼女も大きな問題を数個抱えている。
自分の好きな時に好きなことをやる——というスタンスこの少女は、良い風にいえば天真爛漫なのだろうが、しかし悪く言ってしまえば自分勝手。
どんな約束でも直前に自分のモチベーションと相談してから行動を起こす彼女は、典型的な『信頼はないけれど才能はある』タイプである。
劇団にも、偶然であった姉さんと意気投合し、その場で入団を決めてから、まだ一度だって来ていない。
当然、厳しい入団試験を乗り越えて入った他の劇団からの不満は噴出。仕方なくこの劇団への転属を決めた次第だった。
劇団志望理由は『面白そうだから』
とかく三人をまとめてしまえば、『めちゃくちゃ集団行動が苦手な人たち』となるだろうか。
以上。
ようやく情報の整理が頭の中で終わらせる。
時間にしておよそ一時間ほど。
いらない情報を省いて、精査して。
必要な情報を並べて箇条書きにして。
それでもあまり余った情報を抜き出して消して。
ようやく人となりについての大枠がつかめるぐらいの情報だった。
それぐらいの量だった。
ここまで周到に個人のことを調べ上げることなど普通はできない。
まさかこの量をあのズボラな姉さんが書き上げたとおも思えないから、きっとあの劇団には相当優秀な探偵か秘書でもいるだろう。
それほどの長文で、それほどの質の文章だった。
内心深く感服しながら、そして恐怖に震えながら。
僕は目を閉じる。
これから。
明日から、何をするかの計画を立てて、これからすることを羅列して。
視界を切る。
そうすると——いつの間にか意識が現世から遠のいていくような感覚になった。
……思ったよりも疲れているらしい。
そしてその日。
結局、僕が目を覚ますことはなかった。
泥のように眠った僕。
自分でも意外だったことにまだ起床してから十時間も経っていないのにも関わらず、思いの外疲れているようで、特にベットの上で不毛な時間を過ごすことなく、僕は眠りについた。
夢は見なかった。
翌日。
起きると姉が一人、前日のように寝ていた。
ソファに。
上裸で。
上にタオルケットをかけて。
爆睡をしていた。
いびきは聞こえないけれど、一定のリズムで刻む寝息は僕の耳まで届いた。
見まわす限り……他に人はいない。
佳奈さんは帰ったのだろう。
テーブルの上にそれらしき置手紙が置いてある。
そのついで。
僕はあくび混じりにそう判断して酒の空き瓶を見た。
あれからさらに二本ほど増えているその瓶は一本が地面に転がっている。
中身は空のようで地面は濡れていなかった。
あくびが再び湧き上がる。
……ダメだ。
眠い。
僕はぶっ倒れている姉さんを横に見流しつつ、その眠気を飛ばすため、洗面台へと向かった。
「……あ」
独りでに、扉が開いた。
ちなみに言うけど、うちに自動ドアは搭載されていない。
「…………」
「…………」
肌色の何か。
肌色の何か。
肌色の何かがそこにあった。
「…………」
知らない人、知らない目。
それがそこにあった。
視線があった。
無表情。
無感情。
そのまま口が開かれる。
「あのさ——」
「はい」
直立不動。
僕ははっきり返事を返す。
「そんなジロジロ見られるとちょっと困るんだけど、これって外で待ってていただけることとかできる?」
「あ、はい」
「あはは、ごめんね」
言われた通り、命令どおり。
僕は外で待った。
扉を閉めて。
しばらく立ち尽くして、そして座った。
ダイニングに座った。
「…………」
テーブルの上の紙を見る。文字を見る。
『じゃあ私、用事あるから帰るけど、後、綾の処理よろしくね。
一応応援として一人、女の子呼んだんだけど、その子、幸人くんがまだ会っていないうちの一人だから。お姉さんが気を利かせたと思ってくれていいぜ!
ぜひ起きたら仲良くしてあげてね。じゃ、また』
「…………」
まあ。
言えることがあるならば。
言っておくことがあるならば。
——あのバスタオルは、果たして僕にとってありがたいものだったのかどうなのか。
という哲学的な問ぐらいだろう。
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