第6話「え、なに? 僕の人生が?」

「すいませんでした……。全然気づかなくて」


「…………」

 

 目深にかぶったフードで顔は見えず無言のままで、さらには激しくキーボードを打っているという状態ではあるものの、それでも小さく頷いてみせた彼。

 テーブルの上にはカフェオレと、そして小型のパソコンが一つある。

 当然体の向きはテーブルに向いていて、僕に視線はない。


「あの……」


「…………」


「いつから、そこにいらっしゃったんですか?」


「…………」

 

「もしかして、結構前からいたりしました?」


「…………」


「姉さんから……何か聞いてたりしますか?」


「…………」


「あの……その……」


「…………」


 カタカタトントン。

 その体勢が僕に向くことはなく、視線一つを向けられることもなく。

 キーボードを叩く音は鳴り止むことなく続いていって、響いていって。

 むしろ僕の声をかき消すために一層激しくなったような気すらした。


 ああ、なるほどね。

 そういう感じね。

 そういう感じの人ね。

 初対面から無視する系のやつね。

 オーケーオーケー。

 まあ心の準備してきたから驚かないよ。 

 変人だということはもはや予想通りだし。

 予想の範囲内だし。

 驚かないし、傷つかないよ。

 当たり前じゃん。

 あの究極変人の弟を二十年やってきた僕で、

 さっき自称ロボットを相手にした僕だぜ?

 まま、これぐらいじゃあへこたれないよ。

 姉さんとも一条さんともまた違うタイプだけれど、それでも変人という枠では同じだ。

 平気平気。

 これぐらい全然予想通り、想定通り。 

 むしろ無視程度でよかったとすら思っているね。

 問題ナッシングすぎて心配になってくる。

 大丈夫ですか? 

 こんな難易度で大丈夫ですか?

 いまならキャラ入れ替えとかしてもらっても全然いいですけど。

 ……あ、そう。だったら別にいいんだけど。

 え、何。

 いやだから、別に傷ついてなんかいないって。

 これほんだから。

 全然傷ついてないって。まじで。

 

 そんな、自身への鼓舞を独り言のように呟かなくてはいけないぐらいに傷ついていた僕である。


「幸人さん、違います」

 

「え、なにが? 僕の人生が?」


「何を言ってるんですか。さっさと正気に戻って、彼のパソコンを見てください」


「……パソコン?」

 

 言われるがまま、その液晶に目をやる。

 目を細めて、その画面を見る。 


『幸人さん、初めまして! シナリオライター志望の小柳千尋と言います! お姉様からご紹介いただいていましたが、その通りにかっこいい方でびっくりしました! さすが女神の弟さまだけあって変わらずお美しいお姿だと思い、感服いたしました! 今回は僕たち一同の新規劇団設営にご助力いただけるという話、本当にありがとうございます! 今後、僕がこうして筆談でしか人と会話をすることができない重度のコミュニケーション障害を持っている人間であるということを含め、色々と何かとご不便ご迷惑をおかけすることにはなるとは思いますが、それでも僕にできることであればもうなんでもさせていただきたいと思っております! 短い期間になるとは思いますが、その期間をお互いのことをよく知れるものに昇華していけるような努力を絶やさず行なっていきたいです! 僕がここにきたのはつい十分前です! 集合時間的には抵触していない時刻ではありますが、お待たせいただくことになったのであればすいません。言い訳苦しく情けない話になりますので聞き流していただいて全然結構なのですが、私がここに来るまでの電車の中で隣のカップルが何やら喧嘩をしていたの思わずその取材に夢中になっていたところ駅をひと回り乗り過ごしてしまい、また、その後ローターリーにある交番に連れこまれる若者三人組の姿が見えたものですから、彼らが一体何をしたのか、これからどうなるのかがとても気になってしまいまして。そして隠れて聞き耳を立てつつ再び取材を行っていたらいつの間にかこの時間になってしまったのです。なので一時間前に到着する予定だった時間をイタヅラに食いつぶしてこうしてギリギリの集合になってしまったわけでありますです……。本当に申し訳ありませんでした……。ちなみに綾さまからは特に何も伺っていません! ただこの時刻にこの喫茶店に来るようにメッセージアプリで仰せつかっただけであります! ……ところで話は変わるのですが、それから綾様に何度メッセージを飛ばしても連絡が帰ってこないのです。もしかしてその御身に何かあったりしたのでしょうか? 病気か事故か、はたまた大きな事件に巻き込まれたりなさっていないでしょうか? 一応そのお身体を心配するメッセージを数百件ほど送らせていただいたのですが今だに一件も返信が返ってくることはないのです。以前も似たようなことがあり、その節はメッセージだけでなく電話やメールなどを使って千ほどの連絡をさせていただいたのですが、最終的にひどく怒られてしまった結果になったので僕としてもイタズラに連絡を取ることもできず……。何かその件についてご存知であれば僕めにご教授いただけないでしょうか?』


 最後まで読んだことをまず誰かに褒めて欲しいぐらいの長文だった。

 なんだこれ。

 いやほんとなんだこれ。

 まあ読んだから内容は分かってはいるのだけれどさ。

 内容じゃなくて、もっと深い部分での疑問が僕にはある。 

 なんだこの文。

 てかなんだこいつ。

 所々以上に不思議が多すぎるだろ。

 不思議というか。

 謎というか。

 意味不明の塊みたいな。


 一つ一つ言っていくと全くきりないとは思うレベルではあるし、もういっそ全てを放り出してさっさとこの場から立ち去りたい一心なのだが、だからと言ってまさかここで逃げ出して良い訳もあるまい。

 何度も何度も繰り返して言うように、僕は自分の意思ここにいるのではないのだ。

 脅された結果ここにいる身である。

 自由意志など、最初からない。


 だからまあ。

 なお無視できない要素一つを取り上げて言葉に出すけれど。

 

 なんだ、あの所々にある『綾様』という表現と、シャレにな理想もないストーカー的発言。


 なんか……最初女神とかとも言っていたよな。


 なに。姉さんって劇団作っていたんじゃないの?

 罷り間違って宗教作ったりしてない?

 やだよ僕、教祖の弟とか言われるの。

 

「——というのが彼、小柳千尋なのです」


「いや、何が?」

 

 一条さん、あなたは一体何を説明した気になってんだ。 


 いや、申し訳ないけど、まだ何もわかってないからね。

 こいつが重度の危険人物であるってこと以外何もわかってないからね。

 それってマイナスもたらしただけで実質ほとんど何もわかっていないってことだからね。


「わかりませんでしたか?」


「うん、全く」


「そうですか」


「うん」


「じゃあ彼について、説明しますけど」


 彼女はやれやれといった感じでしかし無表情のまま説明を始める。

 

「つまりですね」


「うん」


「彼は第二劇団のシナリオ志望で」


「ほお」


「彼は筆談でしか会話ができない人で」


「ふむ」


「コミュニケーションに重度の障害を持っていて」


「なるほど」


「ネタ探しに命をかけていて」


「へえ」


「綾さん公認のストーカーなんです」


「やっぱそこがわからない」


 なに、公認のストーカーって。

 ストーカーって公に認められることがあるの? あっていいの?


「そんなこと私に聞かれましても」


「君に聞かないで僕に何をどうしろっていうんだよ」


「知らないですよ。綾さんにでも聞いたらどうですか」


 それだけを冷たく言い放って(表情も声色も変わらないままである)腕組みをした一条さんは、ちらりと、視線を彼に向ける。


「にしても……こんなにおしゃべり彼は初めて見ました」


「そうなの?」


「ええ、私とか他の人といる時は本当に事務的な連絡すらしない彼ですから。まさかここまで彼が喋る人だったとは知りませんでした』


「ふむ」


『まあきっと綾さんの弟だからですね。幸人さんに取り入って綾さんの外堀を埋めようとしてるんですよ」


「はぁ」


「そもそも彼が綾さんにつきまとっている理由も彼女の人間性がシナリオのネタとして相当に有用だから、ですしね。あわよくばその弟である幸人さんからも何かネタを探そうとしているのでしょう」


「なんでだろうね。君の話を聞くたびに僕は物事の些事が余計にわかんなくなってくるよ」


「安心してください。私も彼に対しては深く理解していません。というより彼は理解しようとしたらダメな人間だと思います」

 小柳千尋という人間はそういう人間なんですよ。

 

 腕組みしながらちらり一瞥、一条さんが言葉をかける。

 まあ君も相当理解しちゃダメな人間だと思うけど、という言葉は飲み込んだ。


 彼のタイピングがようやく止まる。

 フードごと、こちらをちらりとだけみた……気がした。

 そして……また、タイピングが再開。

 今度のは早く終わった。

 液晶に数行の文字が映る。


『さっきから黙って聞いていれば。なんなんだこのクソビッチ。ストーカーストーカーと人を変態みたいに。お前に一体僕の何がわかるというんだ』


「だからわからないと言っているでしょう。変態の思考などむしろ一ミリだってわかりたくもないですね」


『僕は純粋な思いで彼女のことを思っているんだ。いわばそれは立派な愛情表現だろうが』


「純粋って。シナリオのネタ集めでの求愛の一体何が純粋だというのか、理解に苦しみますね」


『それだって立派な理由で純粋だろう。誰がなんと言おうと僕の脚本に対する愛は本物だし、それのためになら命だって捧げてのいいと思っている。だからその一環として話題性が豊富なあのカリスマに惹かれてしまうのは、もはやライターとしてほとんど当然の本能だ。だいたいお前だって綾さまに惹かれた人間の一人だろうが』


「私はそんな不純な動機ではありません。純粋な彼女の演劇に対する気持ちの強さに惹かれたのです。あなたのように見返りを求めた結果の産物などではありません」


『は、不純だとは。言ってくれる。見返りを求めたらいけないのであれば世の中全てのカップルや世界中の夫婦の間にはきっと須く愛はないんだろうな』


「極論です。世の中とか、世界とか。中学生ですか」


『僕は別に何もおかしなことは言っていないだろう。極論じゃない。見返りを求めないで付き合っている人間関係など存在してたまるものか』


「それはあなたの感想です。随分と狭い世界でご生活をされてきたんですね、かわいそうに。世の中はそこまで汚いものではないですよ。少なくともあなたのそんな薄汚い思考よりは幾分も綺麗なものです」


『楽観主義もここまで行くと流石に笑えてくる。どんなだけ頭お花畑で育ってきたんだという話だ。このメンヘル処女』


「百歩ほど譲歩したとして、仮にあなたの言葉が正しかったとしても、その見返り欲しさを口にして、言葉にして、相手に媚びて、その結果得られた関係性に愛は必ず芽生えません。それは愛情ではありません。ビジネスです」


『ふーん。つまり、僕がやっているのはビジネスであって愛情はないと?』


「少なくとも私はそれを愛だとは認めませんし、それが愛情表現に値するとも思いませんね」


『……まあいい。それこそ君の勝手な意見で勝手な思考だからな。いつまでもその空っぽの頭で夢を語っているといいさ。君のような面白みのない人間の人生なんて、僕には全く関係のない話だ。人の知らないところで一人のたれ死ねくそビッチが』


「演者としてこういうことはあまり言いたくありませんが、しかし私も同じ気持ちです。あなたのような冷たい血が通った人間の書いたシナリオの演者には絶対になりたくありません。二度と視界に入らないください。二度と話しかけないでください」


「…………」

 …………。

 知らぬ間、預からぬ間、あっという間。

 一瞬にして仲間の三分の二が絶縁関係になってしまったわけなのだけれど。

 さて、と。


 僕はこれから一体どうするべきなのだ。

 僕は、どうしたらいい。


 もはや笑いがこみ上げてくる。

 なんだこれ。

 何これ。

 いやほんとなんの罰ゲームですかこれは。


 と、電話が鳴った。

 画面を見る。

 メッセージが一つ。

 姉からの連絡が一つ。


 ——今日来るはずだったうちの一人。眠いから今日は無理だってさ。どんまい。頑張れ団長。公演まであと一ヶ月だ!


 画面を閉じる。電源を切る。

 ブラックアウトして写った僕の顔は、んなぜか家を出た時よりも幾分か痩せているように見えた。

 はてさて。


 もう一度言おうか。


 僕は——どうしたらいい?

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