第5話「幽霊的……な話でしょうか?」
意味深な発言を一つだけ言った後、特に続いた言及はなかった。
なので。
だから当然僕は固まったままなわけで。
だから沈黙が訪れるのも当たり前だった。
心なしか店内を流れるBGMが悲しげに聞こえる。
「えっと……」
「はい」
「それは……なんというか……」
「はい」
「幽霊的……な話でしょうか?」
「いえ、違います」
「……はぁ」
「じゃあ……その……身体的にではなくて、メンタル的に、精神的に死んでいる、ということでしょうか?」
「違います」
「…………」
「全然違います」
「あ、はい」
「……はぁ」
なんか怒られた。
で……小さくため息つかれた。
これ見よがしに。
同い年の女子に。
……え、何。これって僕が悪いだろうか。
一条さんはそのまましばらく黙ると、虚空を見つめたまま口を開いた。
「私——自分の人格を殺しているんです」
「……人格?」
「ええ」
それだけ言って彼女はグラスを持つ。
ストローを使わずに彼女はそれを傾けて飲んだ。
「役者をやっている人なら全く珍しくありません。むしろそれがプロフェッショナルならなおのこと、普通のことです」
「……そうなんですか?」
「ええ」
彼女は深く頷いた。
「何かを、誰かを演じるということは、誰かの人格をそのまま投影するということです」
「まあそうですね」
「そして、人間は一人の中に複数の人格を持つことは難しい。これもわかりますね」
「まあ、なんとなくですが」
理解はできる。
「ともすれば、です。ではここで一番邪魔でいらないものは、なんだと思いますか?」
「いらないもの?」
僕は数秒だけ時間をもらって考える。
思考を通せばすぐに答えは出た。
「それは——つまり」
「はい」
「『自分』ですか」
「お見事です」
わざとらしく拍手の真似をしてくる一条さん。
自動人形みたいで可愛らしかった。
「そうなんです。私、自分を殺してるんです」
役を演じるために、どんな役でも入り込めるように。
彼女は本当に無表情のまま言葉を並べる。
「私のこだわりとか、食べ物の好きとか嫌いとか、科目の苦手得意とか、そういったもの、そう言った特徴は全部いらないんです。演じる上で邪魔なんです。私が私である必要がないんです」
だから、私は自分を殺したんです。
自分を消したいんです。
それだけ言って、視線を彼女は前にする。
無感情に言葉を述べる一条さんの言葉は、確かにそれに重みは少なく思えた。
重み、というか。
実態、というか。
そのどちらなのかは全く定かではないけれど、でも今まで聞いたことがない種類の言葉だった。
……いや。聞いたことはあった。
姉さんの声で、聞いたことはあった。
「だから、幸人さんがいった『ロボット』という表現はとても正しいです。私には『私』という人格はもうほとんどないですし、空虚ですから。外から何かを入れない限り動くこともありません。判断することもありません。好きな人も嫌いな音楽も好きな漫画も好きなご飯も——私にはもうありません」
「そこまで……する必要があるんですか?」
「その程度しか、ですよ。私にはそれしか才能はないですし。それしかできないですし、それしか、ないんです。それに……だってまだ私には、残っていますから」
演劇——というものへの熱量は、どうしたって消えてくれません。
「本当にプロフェッショナルな人たちはそれこそ演劇に対するこだわりすらなくして、常に他の誰かの人生を辿っています。周りの熱量や、状況、場所や時間や天気や空気なんかに関係なく、常に自分を殺して、こだわりをなくして」
そして——誰かを演じています。
「こだわりを全て捨て、自分を全て消し、そしてたどり着ける境地があるなら、その才能が私にもあるなら、いつか——その景色を見たいものです」
「…………」
「すいません。長くなってしまって」
「……いえ。聞いたのは僕ですし」
短いながらも簡潔な告白から読み取れたこととしてあるのは、彼女の役者という仕事に対する想いの掛け値ない強さと、願いと憧れの切実さ。
そしてその話を僕のような劇どころか、何にも興味を抱けていない人間が聞くべきではなかったということ。
さらに……加えてなんとなく、彼女がここにいる理由もわかった。
姉が一条さんをここに連れてきた理由がわかった。
劇団に染まれず、集団に居られず。
こうして——今、ここにいる理由。
意識の差——というやつなのだろう。
僕自身、何も知らないし、わからないことだけれど、それでも……予想することぐらいはできる。
きっと彼女のような本気度で向かい合っている人間は珍しくて。
きっと僕のような大学生を中心とした劇団であれば、なおのことそれは珍しくて。
きっと周囲と合わず、意識も合わず、目標も、目的も、ゴールも志までも、違う状況がそこにはあって。
それでも……やっぱり劇は一人じゃできないことだから。
なんとか協調して、協力して、共同して、
頑張って。努力して。頑張って。
でも——そんなものがうまくいくわけがなくて。
そしてうまくいかなくて。
だから——。
そんな程度のことを予想することぐらい、僕にだってできる。誰だってできる。
あまりにありふれて、使い古されて、よく聞いた話……は、しかし現実、こうして前にすると何も言葉は出ないものだった。
*****
いよいよ目の前の志の高い彼女に対しての申し訳なさとか恥ずかしさとか、この後に来る人への不安とか心配とか、そもそもなんで姉はここに僕を派遣したのかとか、後その他諸々で、一刻も早くこの場から消えてしまいたい衝動に駆られた僕である。
が、しかしまさかここまできてくれ、あまつさえその身の上話すら語って聞かせてくれた彼女を置いて、勝手に去るわけもいくまい。
脅迫されたとはいえ、一度引き受けた仕事。
それに最終的には姉に全部を放り投げるにしても、ある程度の目処と算段を立てて仕事を返すべきだ。
……と。
そんなあまりに当たり前な思考をトレースすることでなんとか口実を見つけてこの場からの脱出を試みようとする自分を鼓舞しつつ、ふと、僕はあることに気がついた。
「……あの」
「はい」
「今日って、その……時間とか連絡されてました?」
「時間ですか?」
「集合時間です。ここに集まる時間です」
「ああ、はい。そういうことですね。っと……」
一条さんは自身の腕時計に視線を向ける。
その画面が起動した。
スマートウォッチ、というやつだろう。
「はい、今から……ちょうど十分前ぐらいですね。私がきたのは集合時間の五分前です」
「……ですか」
「それがどうかしましたか?」
「いや、別に大したことじゃないんですけど。他の人たちってどうしたのかなぁ、と思いまして」
「ああ、なるほど。……確かに少し遅い気がしますね」
「ですよね」
「集合時間は全員に行ってるはずなので、まあ時期に来るとは思いますけど」
「……二人とも、何かあったんでしょうか」
その言葉を自然に出した僕だったから、当然何も帰ってこないことを前提とした相槌だったのだけれど、しかし彼女から帰ってきたのは思いの外強い疑問だった。
「え」
「ん?」
一条さんはまっすぐ僕を見ている。尋ねる。
「……二人?」
そして首を傾げた。
「……あれ、違いましたっけ?」
「ここに来るのは全員で四人です。あなたと、役者志望の私、シナリオ担当の男性一人に、劇伴担当の女性が一人です」
なので後ここに来るのは一人ですよ。
指を立てて冷静に説明をする一条さんの表情は変わらない。
その冷たさに注意がそれかけるも、しかしここでは会話の違和感が勝った。
「えっと……」
「はい」
「あの……すいません。どういうことでしょう?」
「どういうこと、というと?」
「全員で四人なんですよね」
「はい」
「僕と、一条さんと、女性と男性の一人づつ」
「はい」
「だったら……ここに来ていない人は後二人じゃないですか?」
「違います」
ブンブンと、首を横に振って否定を示す一条さん。
肯定と否定をしっかりと表現してくれる彼女はとてもわかりやすい。
そして、動作同様、続く言葉も簡潔でわかりやすかった。
「彼——さっきから後ろにいるじゃないですか」
ずっとあなたを見ていますよ?
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