第4話「あー……。はい。うん。こちらこそ。ご丁寧にありがとうございます。よろしくお願いします」
ということで。
大学生になって迎える二回目の夏休み初日。その昼の時間。
僕はカフェテリアにいた。
これだけの文章だとまるで僕が資格や就活の勉強を熱心に心掛けている優秀な学徒のそれか、はたまた、横文字多めの会話をスターバックスで展開することに命をかけている種族の一員か、そのどちらかであるように思えてしまうかもしれないけれど——しかしなんてことない。僕がいたのはドトールだった。(別にバカにはしてない)
あれから。
あの脅迫から。
僕は姉の指示のまま、のこのこと指定されたこの場所にやってきたわけである。
最寄駅からちょうど五駅。
遠くもなく。
さりとて近くもない。
もし僕の面倒くさがりを姉が考慮したのであれば、これはまたなかなか絶妙な距離感の場所だった。
確かにここぐらいまで電車に揺れてしまえば、僕だってもはや抵抗をする気は起きなくなるものである。
……まあ話ぐらいは聞くかね。
なんて。
そんな気にさせられてしまう。そんな気になってしまう。
理不尽を、忘れてしまう。
思い起こせば姉はいつもこうだった、ような。
何かやらせる時、何かを手伝わせる時、何かを決める時。
何か理由と言い訳を用意して、僕を動かしてきた姉だった。
こうして大学に入って、なおももいいように動かされてしまうところを見ると、どうやら僕の行動がほとんど姉の支配下にある、みたいな。そんな気さえする。
「…………」
思考がとてもいい方向に転ばない予感しかしないので僕は深く考えることをやめて店内を見回した。
昼時だからか。
空席がちらほらと見えるその周りを横目で確認しながら、僕はアイスコーヒーをすすった。
店内に音はなく、グラスに当たった氷の音が、少し強く聞こえた。
「幸人さんですか?」
唐突にかかった声と呼ばれた名前に、若干以上のびびりを見せつつ振り返る。
「あ、良かったです。人違いだったらどうしようかと思いまして」
「え、あ……はい」
「こんにちは、初めまして。綾さんからご紹介いただいたいているとは思いますが、私、一条凛と申します。役者志望です。今回は私たち三人のために団長を引き受けていただけるとの申し出、心から感謝いたします。どうかよろしくお願いします」
そこにいたのは一人の女性。
綺麗な顔立ちにすらりと伸びた手足が目立つ。
本来であれば決して好印象にはならないであろうその無表情も、彼女に関して言えばその名の通り、『凛』とした雰囲気を醸し出す一助になっている。
足元まで伸びきったロングスカートと、羽織るようにしてある茶色のカーディガンがとても似合っていた。
「…………」
「……?」
「あー……。はい。うん。こちらこそ。ご丁寧にありがとうございます。よろしくお願いします」
まあ僕はどこの誰の情報も全く聞いていないわけなので、彼女がどこの誰なのかなんてそんなことは全く知らないのだけれど、しかしだからと言ってその部分で姉を攻める気はない。
あの人の使われることに慣れれば大したことはない事象だ。
それに、一応、今日が第二劇団の顔合わせであることはさっきの会話からでも十分分かっているし、目の前の彼女は僕よりも事情を理解してそうな雰囲気である。
なのでここは適当に合わせるだけで十分だろう。
「……あー、えっと」
「はい」
「一条……さんだっけ」
「凛でいいですよ。みんなそう呼んでますし」
「一条さんは、えっと……姉さんに言われてここに来たんだよね?」
「はい。そうです」
そういって彼女は自身のスマホを取り出した。
「『今日の一時十七分に駅前にあるドトールの二階席窓側の右から二つ目の席。アイスコーヒー持って冴えない顔したつまらなさそうに外を見ているダサいボーダーのティーシャツを着たジーンズにクロックスを履いているやつ。加えていうならきっと世界一かっこいいと思しき男がそこにいると思うんだけど。まあそれが私の弟だから。見かけたら声かけてあげて』――と、『昨日』連絡が来ました」
「…………」
「どうかしましたか? いきなり周りを見たりして」
「……いや、ごめん。なんでもない。ちょっと変な寒気がしてさ。冷房強いのかな。はは」
「ちょうどいい空調だと思いますけど。今夏ですし」
「…………」
「…………」
「あれだ」
「はい」
「一条さん、店内入ってきたばっかだから」
「私ここについたの三十分前です。一階で台本読んでました」
「…………」
「…………」
「あれだ」
「はい」
「ここ二階だから」
「温かい空気は上に行くものです」
「…………」
「…………」
「あれだ」
「はい」
「……とりあえず座ったら?」
「そうします」
なんなのだあの姉は。
怖いとか通り越してほとんど低レベルだぞ。
なんで僕の明日の服装を把握してんだ。
それも席の位置まで。
もはや超能力か何かを疑うレベルだ。
まあそんな姉に対する言及はともかく。
僕は隣に視線を送る。
着席してから未だ一ミリだって動いてなさそうな隣に視線を向ける。
持っていたグラスとプレートを丁寧に机に置くと機械のよう。
視線は前に、外に向かれていて。
足はぴったり閉じられて。
背筋は伸ばされてまっすぐだった。
「……えっと」
「はい」
「……辛くない?」
「はい?」
「その姿勢。態勢」
「いえ、全然」
「……あぁそう」
「はい」
「…………」
「…………」
とりあえず時間稼ぎに飲み物口に含む。
第一印象は「綺麗な子」
第二印象は「空気読めない子」
第三印象は「変わった子」
と言ったところだろうか。
あの姉さんが『個性的』と称す人間か――と、だいぶ身構えてここまで来たわけだけれど、しかしその判断も思いの外間違っていなさそうだ。
まあ少なくとも僕と同種の人類ではないだろう。
いわゆる普通で、特になんの変哲も無い、そんなありふれた学生——ではなさそうだ。
まあとはいえ。
別に姉さんほどに狂っているわけでもないだろう。
奇天烈に。強烈に。
変、変わっているというわけでは無いようだ。
少なくとも……今の所特別変な部分は見えていないわけだし。
会話は通じる。
言葉はかわせる。
意思疎通に、問題はない。
……いや、まあこれは姉さんもできるけどね。
僕はジャブから放つことにした。
「あの……」
「はい」
「いきなり変なことを聞いちゃうみたいで恐縮なんですけど」
「はい」
「いつも……そんな感じなんですか?」
「そんな感じ、ですか?」
「なんというか」
「はい」
「その……」
「はい」
「機械的……というか」
「機械……」
「ロボット的……というか」
「…………」
「あ、すいません。気を悪くされたのなら謝ります」
「いえ。特にそんなことはないので大丈夫です」
「そうですか」
「はい」
「…………」
「…………」
「…………」
「ロボット……」
一言、それだけ呟いた一条さんは、ゆっくりと顎に手を当てる。目を閉じる。
数秒。
黙り込んで固まった。
「…………」
あ。
僕は思った。
傷つけてしまった、と僕は思った。
初対面であるということ、彼女が女性であること、
それらを考慮せず、配慮せず、
二、三言しか言葉を交わしていないのに、随分と失礼なことを言ってしまった。
考えなしに言葉を吐いてしまった。
人によっては感情の起伏が少ない人間も一定数いて、
それにコンプレックスを抱いている人だって同様にいて、
その一人が目の前の女性だったのではないか。
それを抱えて今日まで生きてきた勇敢な女性だったのではないか。
……だとしたら。
そうだとしたら。
自分がしたのはなんと愚かしい言葉なのか。
なんと罪深い発言だったのか。
最低だ。
最悪だ。
僕は一体どんな謝罪をすれば許してもらえるだろうか。
と。
その数秒を使うことでようやく失礼な質問をしてしまったことへ自覚が芽生えた僕。
何をすれば償えるかという論題にいよいよ金銭的解決方法まで模索し出した頃合いに彼女は答えた。
結論から言えばその思考は必要はなかった。
必要性は皆無だった。
「ロボット……ですか」
「え……あ、えっと……」
彼女は何か、思い当たったかのように頷いた。
「うん、なるほど。ロボット。確かにその通りです」
「え、えっと……もし何か気に触るようなことを言ってしまったのなら……」
「ああ、いえ。そんなことは全くありませんでしたので、お気になさらないでください」
むしろ私を正しく言語化していただいて嬉しく思っていたぐらいです。
「ふふ、なるほど、ロボットですか……」とつぶやくように言って、手を振って、僕に謝らせまいとするその動作を見せて、彼女は続けた。
「死んでいる私には、あまりにぴったりな言葉ですね」
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