病が憎い
突然、なんの前触れもなく、空からばたばた落ちてくる驟雨を、よけられる人などいるだろうか。なんとなく今日は雨が降りそうだと思い、雨具をもって歩いている人でさえ、最初の数滴はよけきることができないだろう。
私にとって、鬱症状の発作は、突然の豪雨に降られるようなものだ。
鬱の雨に対して、私は油断なく、いつも雨具を持ち歩いている。雨が降るまえから傘をさしていることさえある(それを笑う人もいるが、笑いたいのならば笑えばいい。私には関係ない)。
それでもやはり、こうして濡れることがある。
降ってきた!そう思って急いで傘を広げる、けれどすでに頭や肩は雨に濡れていて、それは服をとおり、肌をとおりぬけ、私の血管に侵入してくる。ゆっくりと。
そうなると、しばらくはその鬱と付き合わなければいけない。
すこしの止み間に安堵して、傘をたたんでしまえば、次の驟雨でさらに濡らされ、くたびれてしまうことになる。
今日はそれで、すっかりまいってしまっている。
仕事をなんとか終えて帰宅して、「なんでもいいから食べなければ」という強迫観念にも似た感情に追われている。別に空腹というわけでもないのだけど。
人には、ひとりにつきひとつの胃袋があるけど、私はちがう、もうひとつある。
ひとつめの胃袋は、おなかに詰まっている臓物で、それをじかに見たことはないが、あるらしいということはわかる。
教科書に載っているし、レントゲン写真にもうっすらみえるし、空腹になればどこでも構わずに鳴りだすし、食事をとれば満たされるし、食べすぎれば重たくなるし、無理をすればキリキリと痛むのだから、「ここにあるのだ」ということがわかる。
ふたつめの胃袋は、決して見えない。
これはおそらく脳のどこかにある。私は医者でも科学者でもないから、それがどこかは見当もつかないが、たぶん脳髄の宇宙のどこかにある。
持病の鬱が発症すると、この見えない胃袋が暴れだす。
何十本と煙草をすっても、何杯と珈琲を飲んでも、食事をいくらとっても飢えている。いくら休んでも休まらず、いくら眠っても眠い、その胃袋はずっと飢えて渇いている。
私が正気と狂気のはざまに立って、その日を死なずに生きることだけに集中しているようなそういうときに、不意に存在を誇示しはじめ、常になにかが足りないという欠乏感をわきあがらせ、それを煽りつづけてくる。
私はものを口に運ぶ、舌はとっくに不能におちいっていて、味などまるでわからない。ただ脳の奥から飛ばされてくる(おそらく誤作動の)その指示に従うだけの操り人形になる。ほかに選択肢はないのだ。
体重が増えてしまうことがいやで、かわりに煙草や珈琲を口にはこんで誤魔化そうとするけれど、暖簾に腕押しほどの効果すらない。
そうして、見えない胃袋を満たすために、ひとつめの胃袋をぱんぱんに膨れ上がらせ、体重は日に日に増え、そのことでさらに私は追いつめられ、また見えない胃袋に虐待されていく、そういう負の螺旋の日々がある。
厳しい食事制限と、徹底的な運動を半年間毎日つづけて、25kgの減量を成功させた時も、その感動のまだ生々しい感触の残っている年明けに、大きな鬱がやってきて、たったひと月で10kgも増えてしまったときなど、私はこの悲しみから逃げるために胃袋を抉りだして棄ててしまうべきだと本気で思った。
病が憎い。
病が憎い。
私はこの病が心底、憎い。
殺してやる。
そう叫んで手にしたナイフは、どこへ突き刺せばいい?
脳か?
「精神障害者」といわれるくらいだから「精神」を刺せばいいのか?
精神に刃は刺さるのか?
精神はどこにあるっていうのだ。
結局この喉をかっさばいてしまったほうが早いのではないのか…。
私が死ねば、この憎い病も死ぬだろう。影法師のようなやつ。
私はこの病を殺したいのだ。
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